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正解と別解

最近のインプットはもっぱらポッドキャストだ。
通勤しながら、ご飯食べながら、「○○しながら」が通用するのが強い。

音声メディアがこれから強くなっていく、というのも納得。
ラジオが流行ってテレビが流行ってYouTubeをはじめとした動画コンテンツが流行って、また音声が勢いを取り戻す。

面白いようにグルグル回っているな、と。

そんな話はこの記事ではどうでもよくて。

今回テーマにしたいのはポッドキャストの中で聴こえてきた
「正解と別解を大事にする」というフレーズだ。

今は検索1つで正解が手に入る時代になった。
だからなのか、正解がすぐに欲しくなるようにもなった。
自分で考える時間は減って、抱える正解だけが増えて。
正解を知って満足して、それ以上は考えない。

全員がそうというわけではないが、そういう人も多いんじゃないだろうか。

これが悪いわけじゃない。
情報が多くなった時代だし、可処分時間の効率化が求められる時代でもあるし、楽できる部分は楽したいに決まっている。

そんな効率性を増す一方で、我々は1つの正解に捉われつつある。

「こうじゃないといけない」

その枠に収まって、身動きがとりづらくなる。

でも世の中、そんな簡単に白黒つけられるんだろうか。
そんなことを考えると決してそんなわけではないなと思う。

もちろん白黒つくものもある。
その一方でグレーな部分も多い。グラデーションも多い。

正解がある一方で、「別解」も多い。


就労支援の現場にて、失語症の方に訓練用の文法問題を提供した。
文章中にある()に助詞助動詞を埋めていくもの。

正解としては、「ここには~を入れるのが正解です」と設定されている。その方はその正解とは違う回答を答えた。正解を得ることが目的であればこれは「間違い」になる。

でもその方がつくった文章を読むと、正解とは回答が違うけど文章としては内容が伝わるものになっている。内容が伝わることを目的とするならばこれも立派な「正解」、つまり「別解」だ。

私は「正解はこれです」と伝えた上で、「でも○○さんの文章も内容は伝わるのでこれも正解です」と伝えた。


世の中大事なのは正解だけじゃない。
でも正解がわからないと別解もわからない。

どっちも必要。
それに別解を多く知ることは自然と知識の増加につながる。

昨日Xでこんなポストをした。

知識が増えると視点が増える。
視点が増えると気付けることが増える。
気付けることが増えると今よりちょっと優しくなれる。


正解も別解も大事にしていきたい。

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