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観光客であれ、誤配を楽しめ -観光と建築-

私は鎌倉や湘南エリアから比較的近い地域で生まれ育った。なので小さい頃からこれら二つの地域に訪れることが多かったのだが、大学生になってその経験が自分の建築観に少なからず影響を与えているような気がしてきている。 まず、建築分野で興味のある概念が「コンセプト」だ。まるでそれが当然有効であるかのように教えられるが、その感覚と乖離があった。観光地での経験を通過していると、コンセプトというものは幻想にすぎないと思えるからだ。 実際様々な地域の様々な建築を見たが、言説ほど大きな影響を持

    • 「みんなひとり」の公共性

      ひとり空間というものに興味がある。私自身ひとりでいることの方が好きで、一人で美術館に行ったり、一人旅をしたりして、自分の内面と深く向き合う時間を大切にしている。 そういったことが可能なのはいつも仲良くしてもらっている友人や大学の研究室というホームがあってのことなのだが、ここではそうした集団への所属を前提にした上で「みんなひとり」の可能性を簡単ではあるが書いてみたい。 様々なひとりひとりの面白さとは、その中にポジティブな感情もネガティブな感情も含んでいるということだ。 ポ

      • 自然な灯りのスケール

        死について考えてみようと思ってから、様々な街の風景に眠る生と死について目が向くようになりました。ひとつ前のnoteではかなり大きなスケールで考えようとしていたけれど、もっと人に寄り添うような「いのちのあり方」を建築で表現できないものかとだんだん考えるようになってきました。 そんなことを考えながら夜の住宅街を散歩していました。 割と田舎なので灯りもそこまで多いわけではなく、ひたすら暗闇の中を音楽を聴きながら歩いているうち、住宅から漏れ出る光に不思議と安心感を覚えました。これは

        • 死を想う建築

          卒業設計に向けてテーマを模索しているうちに、自分にとっての建築像だったり建築でやりたいことだったりの解像度が高まってきました。ということで思考の整理がてらnoteを書いてみました。何かの参考になれば幸いです。 一年ほど前、母方の祖母と父方の祖父を亡くした。 祖母の死因は交通事故、祖父の死因は老衰だった。こうしてみるとその最期は対照的で、突然死ぬこともあれば徐々に死んでいくということもあるという言ってみれば当たり前のことを知り、その受け止め方も随分と違うことを身に染みて感じた

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