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理想の対義語は現実なのか

皆さん、こんにちはー!

今日のnoteは、「理想の対義語は現実なのか」という話です。


それって、理想ですよね?

最近、会議で聞いて、ビビった言葉があります。それは、

「それって、理想ですよね?」

という言葉です。

文脈としては、「そんな理想論を話していないで、現実を見ましょうよ」というニュアンスでした。


僕が何にビビったかと言いますと、その時、僕たちは理想について、話をしていたと思っていたからです。

というか、ほとんどの職場での議論は、

「ありたい姿(理想)があって、そこに向かって埋めていく現実とのギャップを特定して、そのための方法、行動を決める」

というものだと考えていました。


まさか、理想が否定的な文脈になることがあるとは・・・・!


現実の積み重ねが良いのか・・・?

確かに、「理想と現実」というように、理想(最も好ましい状態)の話ばかりして、現実から目を背けても、何も進歩はありません。

そして、掲げた理想の多くは、成し遂げられないことも多いでしょう。


しかし、それは、理想から目を背けて、現実を見る理由になるのでしょうか。

僕は、そうは思いません。

「それって、理想じゃないですか?」と、理想をまるで不毛な存在のように言う方は、全てが現実の積み重ねが良いのでしょうか。


「資本主義という大量消費と経済成長を前提とした仕組みである以上、地球が壊れるのは仕方ない。現実的に今の仕組みが資本主義なのだから。」

「子どもには、自分の人生を自分で選んでいけないのは仕方ない。だって、社会維持のためにやらないといけない仕事はたくさんあるし、現実に自分で選んだ人生を歩んでいる人は稀なんだから。」

「将来はサッカー選手になりたいな。でも、僕はボール買ってもらったばかりで、蹴ったこともほとんどないから、現実的に無理だ。」

イケてる例えが思いつきませんでしたがw、そういうロジックですよね?

「サービスのありたいビジョンや理想の話ばかりしても、達成できないから仕方ない。現実的に、やるべきことを考えましょう。」

って言っているんですよね?

僕は、そんな考えで、現実を過ごすのはめちゃくちゃ嫌です。というか、だったら議論する必要もないです。



理想は、現実の対岸にはない

この考えは、理想と現実が対義語の関係になっているということで起こるのかもしれません。

ちなみに、僕は、対義語なんて概念はいらないじゃないかと常日頃から思ってます。何かを中心において、反対の関係になる言葉が不要という意味ではないですが、その概念によって、何か生まれる気がしないです。少なくとも、僕の日常の範囲では。

例えば、過去と未来は、現在を中心にした対義語ですが、だから何なんでしょう?過去と現在と未来は、時間という流れの中で、繋がっています。過去から学ぶ、未来もあれば、未来から考える現在もあります。

勝ちと負けとかも、どちらも学べることが多いですし、勝負の結果という意味で同義語とも言えると思いますが、対義語と捉えた瞬間に、勝ちは良いこと、負けは悪いことっていう認識になってしまいますよね。その捉え方で、何か素敵なことがあるのでしょうか。

対義語って、なんだか、思考の呪いになりやすい概念な気がします。


・・・・話を戻します。

このように、理想と現実を対義語として捉えてしまうと、思考停止してしまい、現実しか見ないという考えになってしまうのではないかと思うのです。

でも、そもそも、理想と現実は何を中心として対義語なんですかね・・・?

本当は、理想の反対は、「望ましくない姿」とか「ディストピア」とか「最悪な想定」とかじゃないですか?現実を中心において。

いづれにしても、理想の対岸に現実があるのではなく、現実があるからこそ、理想も生まれ、僕らは(できないかもしれなくても)そこに向かっていくのであるということは(それこそ僕の理想として)、ここに言語化しておきます。


最後に

今日のnoteは、「理想の対義語は現実なのか」というテーマで、理想と現実は反対ではなく、叶わなくても理想を掲げ、そこへ向かっていった方が素敵ではないか?というお話をしました。

ただひたすらに現実から積み重ねていくのは、なんだか切ないと思いませんか?

では、また!



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