ホームレス先輩
途中駅で停車した電車の中。その姿を確認する前に、臭気がうなりをあげて私の鼻腔に飛び込んできた。それは粘膜に溶け込むと次に、その放たれた方向に私を振り向かせた。
活きのいいホームレス先輩がそこにいた。
乗客は、蜘蛛の子を散らすように・・・って、蜘蛛の子が散ってる場面てのに遭遇したことってあります?無いよね。
乗客は、願いを叶え終えたドラゴンボールのように方々へ散っていった(ドラゴンボール知らない方、ソーリー)。圧倒的バリアをまとった飛沫感染皆無のスタイル。
手には、私達にとってのゴミ、この御仁にとっての宝を2袋。足には、ABCマートの真対極、“XYZマート” の定番商品、ビニール袋をお召しになっていらっしゃる。
この、ホームレスに対して、ホーム有るの皆さんは「可哀想」方面の意見と、「甘えだ」方面の意見のどちらかに分かれると思いますが、冗談いっちゃぁいけません。
アレは彼らの “ダンディズム” であります。
時流に乗らず、孤独にひっそりと自分のルールを持って生きる。家すら無くていいという、その生き方への強いこだわり。流行りの “ミニマリスト” ってのは、頭蓋骨の中がミニマリストですから、そんな “にわか” とは混じり合うことのない禁欲的美学。
「ミニマリストの収納術」って、ありゃ一体なんなんだい?収納が必要な程、物を持ってる凡人だろ?みんなでヤツらぁSNSの中に封じ込めておこうぜ。
デネ!
同じように、時代に抗う “パンク” という生き方や、また、自己陶酔、自己愛の強い “ナルシスト” に対して、「可哀想」「甘えだ」とは思わないでしょう。いや、彼らは、それ以上に “こだわりが強すぎる奴” です。世の中と同じ方向を向いていないのだから、逆風に吹かれるのは当たり前。まあ、それも美学の内として楽しんでいるはず。
「でも、悲しい事情でやむなくそうなった人もいるよ・・・」いやいや、“悲しい事情” なんてのは、ホーム有るの中にも沢山ある。なんなら、割合でいくとホーム有る側の方が多いのではないでしょうか。だって、心酔し盲目になる程のこだわりを持っていない人が大半だもの。
とある未来の日本。
レスA「ここんところまったく良いメシにありつけてねぇや。新聞、雑誌も無くなっちまって、世の中のことも見えてこねぇ。どうなってやがんだ」
レスB「あぁ、まったくだ。ちょいと前のここ銀座じゃあ、新鮮で美味いモノが山のように道っぱたに積まれてたのによぉ」
レスA「高架下の長老、昔の仲間ぁ痛風持ちでアル中になっちゃったって言ってたもなぁ」
そこに、馴染の料理屋のオヤジが通りかかる。
レスA「いよっ!旦那様!久々にさぁ、マグロの端っこを肴に、客の呑み残しの大吟醸あたりで乙なザギンの夜なんてのを演出したい・こ・ろ・よ♡」
旦那「乞食共が何を言ってやがる。食いモノの値ぇ跳ね上がっちまって捨てるモノなんてどこにもありゃあしないよ。食いたきゃあ働いて銭ぃ出しな。」
レスA・B「マ・ジ・で?」
と、彼らの多くが生きるために「ダンディズム」を捨て、仕事を、定職を求めだした時。その時こそが不景気のドン底、日本終了の合図でございます。
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