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【小説】HELLO HOLLOW NEVER END_2

第二章 ――夜が呼んでいる。――


Ⅰ.孤独な公園

 夏の日差しがピークを越え、午後の公園には弛緩した空気が漂っていた。緑の木陰からセミの鳴き声がシャワーのように注ぎ、遊具は熱せられて誰一人近づこうとしない。湿気を含んだ熱風が吹き抜け、まるで息苦しい温室のようだ。
 ベンチには、高校生が四人だけ座っている。まるでこの蒸し暑い空間が自分たちの指定席だとばかりに、バテ気味の姿勢でスマホを弄ったり、アイスを舐めたりしていた。

「……で、ユウヤケはどうしたんだろ」
 そう切り出したのはアサヒだ。小柄で利発そうな印象は相変わらずだが、今は額ににじむ汗を拭いており、少々疲れた顔をしている。
「さっきラインきたよ。 ‘先生に捕まってまだ出られない’ って」
 ツキがスマホを見ながら答える。彼女は肩までの髪をまとめ、高校三年生にしてはあまり勉強に力を入れていないが、内心いつもこれでいいのか迷っているようだ。

「補習、出ちゃったのか。あいつも意外と真面目だからなぁ」
 茶髪を手ぐしでかき上げるソラが、やや呆れ交じりに言う。普段から何事も勢いでこなす彼にとって、補習は「退屈で面倒な存在」以上でも以下でもない。
「ま、来るだろうね、あとで。いつもそうだし」
 ツキが肩をすくめてそう付け加えると、隣に座っているヒカリがようやく顔を上げた。やや伏し目がちな瞳はどこか暗く、昨夜の夜更かしの疲れがとれない様子だ。

「そうだよ、ユウヤケは結局サボるって決めるタイプだから……。でも、それより、俺たちほんとに昨夜あの ‘夢の世界’ 行ったんだよな」

 まるで確認するように呟くヒカリ。その声には、確信と不安がないまぜになっていた。アサヒがため息をつくように答える。
「行ったよ。あたしなんかさ、何度も起きた。ていうか、寝たら絶対あそこに行く気がして落ち着かない」

「……私も。怖いけど、なんかほっとけないし……」
 ツキがスマホを握りしめながら呟く。
「そうそう、あの ‘イオン’ って人、もっとちゃんと話聞きたいよな。 ‘光の王国’ とか ‘虚ろな帝国’ とか、ぜんぜん意味不明だし」
 ソラがやや興奮気味に口を挟む。彼らはもはや「同じ夢の世界」を否定する段階を過ぎ、「どう向き合うか」を考え始めている。

「イオンが守ってる国……なんだっけ。 ‘ハレ’ ? ‘光の王様’ がどうとか言ってなかった?」
 アサヒが記憶をたどって訊ねると、ヒカリは遠い目をして頷く。
「うん……ちゃんと聞いたわけじゃないけど、 ‘ハレの王が封印されている’ みたいな話をチラッと……」

「封印……? ファンタジーかよ」
 ソラが半ば呆れて笑うが、当の本人もまるでゲーム世界に放り込まれている気分を隠せない。すでに一度盗賊のような集団とも小競り合いを経験したため、それが単なる夢の産物とは思えないのだ。

「……でも、あれ夢なんでしょ? 現実とは違うんだよね」
 ツキが目を伏せて言う。「そうだといいんだけど……」という意味合いが透けて見える。なぜなら夢なのに痛みを感じるし、空腹や恐怖もリアルに体感するからだ。

「それが分からない。どんだけリアルでも、現実じゃないって思いたいけど、もし危険がもっと増えたら、俺ら普通に怪我したりするのかな」
 ヒカリは声を落とす。アサヒが息を飲んだ。「考えたくないけど、あり得るよね……。昨日だって、剣を持った連中が押し寄せたらやばかったし……イオンが助けてくれなかったらどうなってたか」

 沈黙が訪れる。あまりにも“非常識”な状況のはずなのに、彼らは日常と違う場所で一緒に動いているのだ。それは補習や受験などのレベルではなく“命の問題”にも思えてくる。


Ⅱ.悪夢

 そのころ、病院の廊下を車椅子で移動している少年がいた。母親の押す車椅子がキィと床を鳴らす。朝方までは微熱程度だったが、昼近くからまた熱が上がり始め、医師が追加の検査を指示したのだ。

「ごめんね。すぐ終わるから……我慢してね」
母親は気遣いながら車椅子を押す。少年はうなずくのが精一杯。眠いのか痛いのか、自分でも整理がつかないが、とにかく体が重たく、声を出すのも辛い。

 エレベーターを降りた先のフロアには、似たように検査へ向かう患者が何人か並んでいた。少年はうっすらと目を開けるが、誰も彼も疲れた表情をしている。冷房で涼しいはずなのに、自分の頭は熱く火照っている気がして仕方ない。

(また……あの、城……見るのかな)

 頭を巡るのは、昨夜のように夢に現れた崩れた石畳。自分がそこを歩くのか、あるいは見ているだけなのか、はっきりしないまま幻聴じみた“助けて”がこだまする。診察室に通されると、医師がかける言葉も耳に入らず、母親が心配そうに彼の顔をのぞくのが見えた。
 意識が遠のきそうになるほどの倦怠感。だが少年は、これ以上母親に迷惑をかけたくなくて、唇を噛んで耐えている。


Ⅲ.脱走

 一方、暑い公園のベンチでは、四人がうとうとしていた。昼を少し回ったところで、補習が終わったのか、ユウヤケが汗を拭いながら姿を見せる。

「いやあ、先生に怒られた怒られた……でも途中で抜けてきた。何やってんだろ俺」
苦笑いしながら息をつくユウヤケ。ヒカリ、アサヒ、ツキ、ソラの顔を見ると、また少し安堵したように微笑む。

「おつかれ。……どうだった?」
ソラがスチール缶のアイスコーヒーを差し出し、ユウヤケは一口飲んで「はあー」と伸びをする。そこにアサヒが「で、先生はなんか言ってた? 出席日数アウトだぞとか……」と心配するが、ユウヤケは「まあギリ大丈夫だって。でも ‘夏の宿題しっかりやれ’ ってさ」とため息。

「宿題か……俺らまだ手つけてないもんね」
ツキがスマホを弄りつつ口を挟む。「もう半分以上過ぎてるのに……」

「ああ、ヤバい。分かってるけど、あの夢のこと考えると勉強する気起きないし……」
アサヒも愚痴るように言う。ヒカリは黙って空を見上げ、ユウヤケは半ば目を閉じる。受験という現実と、謎の夢世界が頭を二分している状況だ。

「…………」
ソラがぽつりと視線を遠くに向けた。それをきっかけに皆が口を噤む。補習だの受験だの言っている場合ではないかもしれない――昨夜の出来事を思い返すたびに、そんな気持ちが強くなる。けれど口に出すのは怖い。

結局、昼下がりをこうして無為に過ごし、気づけば午後も終わりに近づいてきた。


Ⅳ.まどろみ

 少年は検査を終えてベッドに戻り、エアコンの風が当たらないように毛布をかけて横になっている。母親は仕事の電話で少し離れた廊下にいるらしい。点滴の滴る音が静かな部屋に響き、時計は午後4時を指していた。

(……赤い月……また……)

 微睡みの中で、少年は高まる熱とともに、あの光景に引き込まれるのを感じる。体を動かすのが辛いのに、胸の奥で何かが疼き、「城に……行かなくちゃ」とぼんやり考える自分に気づく。不思議な感覚だ。自分を呼ぶ声もあり、逆に自分がそちらへ駆け寄っていくようでもある。

(助けたい……? 誰を? 誰かが……)

 脳裏に浮かぶのは、同世代らしきシルエットの青年や少女。服装は見慣れないもので、武器を持っていたりする? 意識が不鮮明で確信はない。ただ一瞬、今朝見た公園の高校生たちと重なるような違和感を覚えるが、すぐに霧がかかったように消えていく。

「……っ……」
 少年は小さく呻き、再び目を開けた。夢に引き込まれそうになるたび、熱がこもって呼吸が苦しくなる。「落ち着いて」と自分に言い聞かせるが、頭は熱に負けてまた揺らいだ。まるで夕闇に染まる病院と、崩れた城が同期しているようだ。


Ⅴ.夏の夕刻

 夕方。五人は結局、公園でだらだら過ごしたあと、コンビニでアイスを買ったりして時間を潰し、また公園のベンチに戻っていた。補習をサボる連帯感と、夢の世界に行くかもしれないという恐怖――ある意味不思議な一体感が生まれている。

「今夜も絶対呼ばれるよな。どうする、何か対策するか?」
ソラが言い出す。ツキは腕を組んで考え込む。「夢で何か持ち込めるか分かんないし……でも何もしないよりマシかも。包帯とか持って寝る? 変すぎるけど」

「いや、もういっそ ‘眠らない’ とか。でもそれしんどいし、眠くなったら勝手に落ちちゃうんだよな……」
アサヒが肩をすくめる。ユウヤケは「んー、徹夜は無理だろ。明日も暑いし」と現実的に無理を認める。

 ヒカリはうつむいたまま、「もしまた盗賊が来ても、イオンと一緒なら大丈夫かも……てか、もっとしっかり聞きたい。 ‘光の王国’ って何? ‘王様が封印されてる’ ってどういうこと?」とぶつぶつ言う。

「まぁ、何かしら話が聞ければこっちも ‘何やってるのか’ 分かるかもね。冒険してるのか、戦争に巻き込まれてるのか、よく分かんないし……」
ツキがため息をつく。アサヒも「ただ、現実でケガしたり死んだりしたらシャレになんないよ。しっかり注意しよ?」と真面目な声を出す。

「分かってる。……あとは ‘助けて’ って声の正体知りたいんだよな。何かがずっと訴えてる気がするし」
ヒカリがそう言ったとき、不意にソラが携帯を見て「うわ、こんな時間!」と声を上げる。時計は午後6時近く。日が長い夏とはいえ、夕闇が少しずつ世界を青く染める時間帯に入ろうとしている。


Ⅵ.迫る夜、そして共鳴する世界

 公園を一旦後にし、5人はそれぞれの家に戻った。家族と顔を合わせることもなく、夕食を済ませるか済ませないかのうちに部屋へ引きこもる。親から「夏休みの宿題は?」と問われても「あとでやる」と適当に答えるだけだ。

「はあ……」
ヒカリは自室のカーテンを閉めて小さく息を吐く。既に空は薄暗く、つい先日まで感じた遊びの誘惑より、今は“あの世界で何が起きるのか”への関心が上回っている。PCで調べても得られる情報はなく、結局ベッドに横になってスマホを握る。

 画面には仲間のメッセージが並ぶ。アサヒ「ちょっと怖いけど寝るわ」、ソラ「うーし、冒険するかー!(笑)」、ユウヤケ「明日先生に何言われるかな……まあいいや」、ツキ「死にませんように」。ヒカリは苦笑いし、短く「また後で」と打ち込み、スマホを置いた。

(本当に行くんだな、今夜もあの城に……)

 眠りに落ちるのが早いのか遅いのか分からない。ヒカリはわずかな期待と不安を抱きながら、意識をゆっくり手放していく。


 同じ頃、病室の少年が点滴スタンドの静かな駆動音を聞きつつ、母親に看取られながらまどろんでいた。高熱はまたぶり返している。苦しくても泣かないように、歯を食いしばっている。やがてまぶたが重くなり、意識が遠のいていく。

(あの……城……また、行くんだろうか……。誰か、いる?)

 その問いは声に出ないまま宙に消える。母親は看護師に「今夜も熱が上がりそう」と不安げに訴えるが、医療的には打つ手は限られている。眠るしかない。少年は息を詰まらせ、何かに引き込まれるように夢の底へ落ちていく。
 暗闇の中で、赤い光がかすかに瞬いた。


ⅶ.扉

 深夜。あたりは静まりかえり、通りには街灯がぼんやり浮かぶだけ。家の中も病院も、人々が寝静まる時間。だが、何かが動き出す気配がある。

 ヒカリはまぶたを閉じながら、背中に冷たい汗を感じていた。自室の布団が滑り落ちかけたまま、意識が泳いでいる。遠くでアラームか何かの音が鳴っているようにも思えるが、もう身体が動かない――

ざわざわ……
 聞こえる。あの廃墟特有の湿った空気が、皮膚を撫でるような気がする。足元に落ちる石の破片や、かすかな水滴の音。まるでゲームのように“夢”へ転移する瞬間が近づいている。次に目を開けば、きっとまたあの城だろう。

 一方、病室の少年もまた高熱のまま、汗だくでシーツを握りしめている。どこかで母親が看護師に声をかけているが、それが届くかどうか分からない。意識が深い眠りへと移行し、そして――

(誰か……いるの?)

 闇の中に落ちるような感覚。かすかに踏みしめる石床の感触。赤い月の光が、崩れた天井から射してくる。


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