ゲームが楽しめなくなった

あれだけ好きだったゲームやアニメ、映画、あと漫画も読んでたけれどどれも楽しめなくなった。

ゲームがなぜ楽しめなくなったかっていう理由については、中々に同意する意見をされていた方がいた。
これはゲーム以外のアニメやらにも案外当てはまると思う。
それが以下だ。

1.擬似的なタスク遂行である事に気づいてしまうから。
2.擬似的なフローステートである事に気づいてしまうから。
3.擬似的な人生である事に気づいてしまうから。
4.遊ぶ事に理由を求めてしまうから
5.ゲーム内で次に起こる事が予測できてしまうから。
6.ゲームが終わった後の自分の精神状態が予測出来てしまうから。
7.シュミレーションの繰り返しである事に気づいてしまうから。
8.コントロール出来ない現実的な体験に意識が向いてしまうから。
9.現実世界の多くの仕組みは本質的にゲームと同じ動力を有していて、仮想世界に時間の大半を費やすよりも、それらに関わる事、その中で生き方を模索する面白さ・楽しさに気づいてしまうから。

ゲームが楽しくなくなった理由を書いているブログや掲示板意見を否定する訳ではないが、どこか本質的ではない感じがしていた。
上記は何となくニュアンスが被ってる感じの言葉もあるけど、そこらの掲示板やブログで見た話よりは中々に共感出来た。

結局の所ゲームを最小単位にしてみると、プログラムの入力、出力、繰り返し、分岐だ。
これだけだ。
これらの組み合わさり方と演出の違いで出来ている。

こう考えただけでも、僕はゲームというものの捉え方が変わった。

アクションゲームのキャラクターをうまく操作出来るようになる事とRPGでレベルが上がり強くなる事。
両者は本質的には同じに思う。
要は擬似的な自分が成長していると言う事。

これってゲームじゃなくて現実世界でも同じ事が起きている。
ただゲームよりもコスト(資金や時間、労力)が掛かり成長を実感しづらい。
かつ、成長してもそれを活かせる場面がないと無意味に感じてしまうし、努力をしても所謂、成功するかどうかの要因が運である比重が大きい。
ゲームでキャラクターの見た目を凄くこだわるけど、現実世界の自分はこだわってない。なんて事は往々にしてあると思う。
でもよく考えれば、ゲームのキャラクターに課金服を買うより現実の自分がリアルな服を買い、見た目を整えた方が、モテるかもしれないし、成功するかもしれない。
でもやっぱりかもしれないだ。
実際にはもっとやらないといけない事がある。
見た目以上に内面を磨かないといけないし、人によっては服を変えたくらいで、何か自分の人生が変わるとも思えないかもしれない。

その点ゲームはありがたい事に成長した事で必ず成功する。
世界を救えたり、時には恋が成就したりもする。
それに非現実的なストーリーが描かれる。

人間の本質的な欲求の幾つかがお手軽に満たされたしまう。
しかしながら、それらは初めにあげた理由で言うところの擬似的なものであると、結局は何の意味もない事に気づいてしまう。
そこに気づい(体感し)てしまうと、子供の頃の様にその瞬間を楽しむためだけにすると言う行為が出来なくなってしまう。
服を変えた事で人生ってが変わったとしたら、それこそゲームを無意味に感じるだろう。
それを大人になるに従って経験する。
そして人間の愚かさを知って自分も愚かな人間の1人になる。

最終的に死ぬなら全て意味のない事だから、とも思うかもしれないが、、いや。
確かに死んだ後を基準にすれば何もかも意味のない事と言えるのかもしれない。
しかし、死の直前に思い返すのは多分あのゲーム面白かったなぁではないと思っている。
多分どんなに面白いゲームでもない。
ゲームが出てくるとすれば、友達や家族とゲームをして楽しんだ日々なんじゃないかって気がしている。
でも実際には多分それも出てこない。

後これは僕個人の考えだけど、ゲーム実況やオンライン化が進んだ事も原因の一つでもある気がしている。

娯楽でしかなかったゲーム(プロゲーマーはいても一般的ではなかった)、で稼ぐ人が出てきた事。
そして、実際にはハードルは高くても、誰でもその一歩を踏み出せてしまうくらいお手軽に思えてしまう距離感の近さである事。

こうしてただの娯楽だったゲームが仕事になりうる可能性を見出してしまったために生産性を考えずにはいられなくなり、ただ遊ぶだけのためにゲームをする事がバカらしくなってくる。
ゲームのキャラクターが成長するなら、自分が成長するために時間を使った方がいいと。

あとはよく言われる、操作が複雑になった。
確かにとんでもなく違う操作感である事はないにしろ、新しいゲームをする度にあのボタンの数、更にはボタンの組み合わせ、システムを理解するのは疲れる。

もう一つ言うならストーリーだろうか。
ストーリーもなんだかんだ言って、形を変えているだけだ。
人間が心を揺さぶられるシチュエーションは昔から普遍的でそれらが矛盾なく綺麗に描けていれば良い。後は時代のニーズに合わせる。

簡単だと言っているわけではない。
間違いなく、とは言うものの難しい。
実際に作るとなると、心を揺さぶる物語を作るのは難しい。
だけど、結局はそう言う事だ。
それに気づいてしまうと、ゲームの入力、出力、繰り返し、分岐と同じで、キャラクターや世界観、設定が変わっているだけでやっている事(人間がどう感じるか)は変わっていない。

そんな風に思う。
でも多分人生が充実していると言う感覚がないからって言うのが一番の理由だと思う。
無意味、無駄、と感じる事に時間を費やさない余裕のなさがゲームを楽しめなくする一番の要因なんじゃなかってここまで書いて思いました。






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