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【官能小説】特別な関係【3/X】

前回のお話


 朝九時に七海の車を使い家を出た。途中までは下道を使い、八王子JTCから圏央道に上がった。はじめこそスムーズに流れていた圏央道だったが、関越道に入る手前で渋滞に巻き込まれた。一向に進まぬ車と山ばかりの景色だけがゆっくり流れていく。車内には聞いたことのない音楽だけが流れていた。
 ハンドルを握りながら、藤井は助手席に座る七海をちらりと見た。口を横一文字に結んだまままっすぐ前を向いている。目も鬼のように釣りあがっていた。
 昨日の一件以来、七海とはまともに話ができていない。朝、家を出ていく時でさえ必要最低限の会話しかできなかった。以降、彼女はずっと口を閉ざしたままだ。普段お喋りな分、隣に座っているのが本当に彼女なのか疑いたくなるほどだった。
 曲が変わった。今度は聞き覚えのある曲だった。ただしREMIXなのか、原曲とはち違っていた。
 藤井はいよいよこの沈黙に耐えきれなくなっていた。すべてが自分のせいだとわかっているだけに、気楽に話しを振ることもできない。かといってこのまま黙っていても、責められた気分で落ち着かない。いつもみたいに七海が話題を振ってくれれば楽なのに、と頭の中で思ったが、今日ばかりはそれも期待できなかった。

「なあ」

 藤井がいった。七海の反応はやはりなかった。聞こえなかったのかなと思いもう一度呼ぶと、七海が無言でオーディオから流れる音楽を消した。

「別に消すことないだろう」すこし戸惑いながら藤井がいう。

「無理しなくていいですよ。音楽がうるさかったんですよね。すみません」

 いい終えると、彼女はぷいっと窓の方を向いた。

「怒っているのか」
「怒ってないですよ。別にいつもと同じです。――前、進みましたよ」

 そういわれて、ゆっくりとアクセルを踏みながら、藤井はどうしたものかと考えた。彼女が怒っているのは明らかだった。特に、口調がいつもの体育会系の喋り方ではないことが何よりの証拠だ。機嫌が悪い時や自分の思い通りにいかなかった時など、七海はすぐに口調が変わる。

「住所、教えてくれないか。それがいやなら、カーナビに行先をセットしてくれるだけでもありがたいんだが」

 そう尋ねるも、七海は景色を眺めているだけだった。

「わかったよ、ありがとう」

 結局、会話は続かなかった。その後も、何をいっても一言だけで返され、会話のキャッチボールが成り立たなかった。音楽も消えた車内には重苦しい空気だけが残り、二人の間には見えない壁が築き上げられた。
 鶴ケ崎JCTを抜けて関越道に入ると、渋滞からも抜け出すことができた。ようやく運転に集中することができると思っていたが、やはり七海のことが気になって仕方がなかった。ただし、気になるだけで話をすることはできなかった。結局、前橋ICまで無言のまま走り続けることになった。

 久々に訪れた群馬に、藤井は改めて車が多いなという印象を抱いた。右を見ても左を見ても車ばかりだ。そのかわりに、全くといっていいほど路線バスを見かけない。実際、これだけ車が走っていれば公共交通機関のバスなど必要ないのだろうなと藤井は思った。
 大通りを進んで行く途中、目に見えたコンビニの駐車場に入った。出発してすでに二時間が経っていた。渋滞に巻き込まれたとはいえ、意外と早く着いてしまった。

「とりあえず休憩だ。何か飲むか?」
「いいです。気を使わないでください」
 七海がいった。シートベルトを外さないところをみると、どうやら降りる気はないようだ。
 そんな七海を車内に残し、藤井はコンビニに入った。ペットボトルのお茶と七海がよく飲んでいるカフェオレを手に持ち、レジへと向かった。カードで手早く会計し終え、すぐに車へ戻った。七海にカフェオレを渡すと「いりません」といってつき返してきたので、仕方なくオーディオ下にあるドリンクホルダーに入れた。

「まだ怒ってるのか」
「だから、怒ってませんて。しつこいですよ」
「怒ってるじゃないか。口調がいつもと違うぞ」

 そういうと、七海は「もう!」といって肩を叩いてきた。

「何が、口調が違う、ですか。怒ってないっていってるじゃないですか。そういうところがムカつくんですよ。私を弄んだくせに。少しは黙っていてくださいよ」

 十分に殴った七海は、そのままドリンクホルダーに入れてあるカフェオレを取り、一気に半分ほど飲み干した。

「機嫌直せよ。お前だってわかるだろ。俺の気持ちも察してくれ」
「じゃあ私の気持ちも察してください」
「……。もう近いのか、相馬先生の家まで」
「さあ、知りませんよそんなこと。私、群馬に来たのは初めてなんで、あとどれくらいかなんて、自分で調べればいいじゃないですか」
「ならいい加減に住所教えてくれ。カーナビに入力するだけでもいい。当てのない家を虱潰しに探すのは時間もガソリンも無駄だ」

 そういっても七海は動こうとしなかった。なぜ動こうとしないのか、ある程度は予想ができだ。

「そんなに俺と相馬先生を会わせたくないか」
「……」
「嫉妬深い女は嫌われるぞ」

 再び七海に殴られた。しかし藤井は殴られたことを気にする素振りを見せず、ペットボトルのお茶に口をつけた。

「いまさら会ってどうこうするつもりなんてないよ。ただ会って話がしたかっただけだ。それでも七海が嫌だっていうなら、このまま帰るか?」
「……」
「何とかいえよ。いつもの七海らしくないぞ」
「……」
「わかったよ。じゃあ帰るか。でもその前に、せっかく群馬まで来たんだ。飯でも食ってから帰ろう。美味い飯屋があるんだよ。値は張るがかなりうまいぞ。もちろん俺のおごりだ」

 そういってシフトレバーに手を掛けようとした時だった。藤井の手を七海が制してきた。呆然とする藤井をよそに、七海はカーナビへ住所を入力していった。やがてルート設定画面まで行くと、無機質な機械音声が案内を始めた。 

 2

「いいんすか、本当に会わなくて」

 デカい唐揚げを頬張りながら、向かいの席に座る七海がいった。顔は怖いままだが、口調が和らいだのを見ると怒りはだいぶ収まったようだ。

「いいよ、別に。多分いなかっただろうし」
「どうしていないってわかるんすか」
「お前も見たろ。駐車場に車が一台も止まっていなかった」
「車、持ってないだけかもしんないっすよ」
「それはない。群馬は車社会だ。東京や神奈川と違って、電車も路線バスもまともに走っていない。となれば必然的に車を持つことになる。それに四台も駐車するスペースがあって一台もないっていうのは、どこか不自然だろ?」
「そうっすか」

 興味なさげに七海がいう。そっけない態度とは裏腹になぜか喜んでいるようにも見えた。
 二人は駅から程近い飲食店にいた。以前、群馬に来た時に案内された店だ。定食が一食千円を超えてくるほど値段設定の高い店だが、味は美味く、量もそれなりにある。
 七海が、自分の口以上に大きな唐揚げが三つも載った定食を、揚げたての熱い肉汁と格闘しながらどうにか食べていた。

「うまいか?」

 七海が頷く。頬が若干赤くなって見えるのはチークか、それとも照れているのか、藤井にはわからなかったが、そんな彼女の顔を見ながら彼も箸を進めた。

 店に寄る前、相馬彩子の家に向かった。彼女の家は国道50号を東に向かい、田畑が目立つ狭い道路を抜けた先に建っていた。二階建ての木造住宅は周りが塀で囲まれており、車四台を余裕で止めることのできる駐車スペースと、大きな松の木が植えてある広い庭を有していた。
 二人は家には立ち寄らず、車に乗ったままゆっくりとその家を眺めながら通り過ぎた。どちらとも無言で、今後一生買えないであろう家をただ眺めていた。

「それにしても、どうして旦那は離婚なんてしたんすかね。いくらセックスできないからって、相馬先生みたいな金の生る女を逃がすなんてもったいないっすよね。他に女でも見つけて、バレないようにセックスして暮らせばよかったのに……」
「おい、口が悪いぞ。いっていいことと悪いことがある。それに、その旦那の浮気がバレたから離婚したんだろ」
「本当にそうなんすかねえ」

 七海が首を傾げた。

「どういうことだ?」
「いや、別に何でもないっす。ただ少し気になっただけっすから」
「じゃあ、その気になったこといえよ」
「いいません。セックスしてくれるなら別っすけど」

 そういって、七海がいたずらな笑みを浮かべた。彼女がどこまで知っているのか藤井には想像がつかなかった。しかし、きっと自分以上にすべてのことを見透かしているのだろうなという気がした。そうでなければ、この笑みの説明がつかない。

「まだあきらめてないのか。いい加減、考え直せ。いくら天地がひっくり返っても、俺はお前とはやらねえよ」
「ほんとケチっすね。意気地なし。チキン。下手くそ。短小チ○ポ」
「フフフ……」

 どこからともなく笑い声が聴こえた。ほかの客に聞かれたのだと思った藤井は急に恥ずかしくなった。すぐに七海の口をふさごうとしたが、彼女が黙ることはなかった。

「強姦魔、浮気性、女たらし」
「おいっ」

 有り余る悪口につい凄みを利かせたが、七海がひるむことはなかった。ケタケタと笑いながら、まるで闘牛士のようにひらりと身をかわしていった。面倒くさいと思いながらも、七海本来の調子が少しづつ戻っていることに藤井は安堵しつつあった。

 やがて料理を食べ終えた二人は会計をするために席を立った。すでにレジ前には三組ばかりが並んでいた。二人そろって並ぶこともないと考えた藤井は、七海だけを先に車に行かせて一人だけで並んだ。
 あと一組で会計の順番が回ってくる時、後ろに別の客が並んだ。最初は気にしていなかった藤井だが、ふと懐かしい柑橘系の匂いが鼻に付いてしまったので、周りを見渡すふりをしながらちらりと盗み見てしまった。
 肩甲骨まで伸びた長くて艶のある黒髪が、見覚えのあるシュシュを使って項あたりで結ばれている。透明感のある切れ長の目が形よくにらみを利かせ、ハの字型の眉がそれを中和していた。そして薄幸という言葉がよく似合うその女性が、どこか懐かしそうに藤井を見返しながら、特に驚きもせずゆっくりと口を動かした。

「前、空いたわよ」

 まるでつい昨日会ったかのように声をかけてくるその女性の言葉に藤井はハッとなり、あわてて伝票をレジに置いた。
 会計している間も後ろの女が気になって仕方がなかった。世間は狭いというが、ここまで狭くはないだろうという感想を純粋に抱いた。どうしてこうもタイミングが悪いのだと自分を恨まずにはいられなかったが、七海がすでに店からいないことが唯一の救いだった。
 会計を済ませて店の出入り口まで退くと、藤井はもう一度女性を見た。挙手一投足がまるで黄金比を奏でるように美しく動いていた。袖から覗く腕はほどよく脂肪のついた綺麗な形を保ち、七海とは正反対の、見事に実った豊満な胸へとやわい曲線を描いていた。
 女性が会計を済ませ、こちらに歩み寄ってきた。改めてみると、やはり美しい顔をしていた。頬に出来た若干のほうれい線が、老いではなく艶めかしさを演出しているほどだった。

「久しぶりね、良介」
「お久しぶりです」

 藤井は軽く頭を下げた。

 目の前にいる女性は、紛れもなく相馬彩子であった。


続き


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