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【官能小説】お母さんは僕のモノ【前編】


この小説には肉体的にも精神的にも残虐な描写が多く含まれています。
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 おかあさんのつくるシュークリームには、あながあいていた。やいたきじのなかに、クリームをいれるためのあなだ。ボクは、よく、そのあなにゆびをいれて、おこられた。

「こら、やまと。食べ物で遊ばないの」

 おこるおかあさんはとてもこわい。でも、おこったあとはかならずギューってしてくれる。おかあさんにギューされると、やさしくていいにおいがした。
 だからボクは、そのひもシュークリームにゆびをいれた。
 

 火葬が終わり、兄弟とも呼べる幼馴染の加藤優斗の位牌を持ちながら送迎バスへ乗った。空いている座席は二つしかなく、他は中高の友達や大学の先輩後輩、先生、また大和も知らない人で、補助席まで使いすべて埋まっていた。そのことが、生前の優斗の人望の厚さを物語っているように思えてならなかった。
 新村大和は並んである二つの席のうち、窓際の席に座った。雲一つない晴天の空から太陽が差し込んで、思わず目をつぶってしまった。優斗が死んだ日も、ちょうど今と同じぐらいきれいな晴天だったなと、大和は思い出した。
 その日、二人は大学の夏休みを利用して友人数名を誘い川でバーベキューをしていた。肉や酒やとどんちゃん騒ぎをして大いに楽しんでいたが、夕方ごろ、女性の大きな声が聞こえた。見ると、上流からまだ幼い子供が流されているのが見えた。

「おい、行くぞ!」

 考える暇もなく優斗に肩を叩かれた。大和は大きく頷いて、彼と共に子供を助けに行った。結果、無事に子供を助けることができた。
 しかし子供を抱きかかえながら岸へと戻る途中で、優斗が深い沢に捕まり流されてしまった。すぐに手を伸ばした大和だったが、つかむことができなかった。その後、下流に流される優斗を見ながら、どうにか抱えている子供だけでもと思い岸に上がった。
 警察へはすぐに通報した。しかし二日ほど捜索がなされた後に、下流を流れる優斗の死体が見つかった。死因はもちろん溺死だった。アルコールを多量に飲んでいたせいもあり、上手く泳ぐことができなかったというのも原因の一つとされた。体には複数の傷跡や生傷があったが、警察には流されていく途中で岩などにぶつかった傷だと説明された。
 大和は、もう一度空を見た。あの時、下流へ流れていく優斗の背景に移っていた空とそっくりだった。生々しい嫌な記憶が蘇ってきたが、すぐに前を向いて現実と向き合った。
 五分ほどして、喪主であり優斗の母である加藤千鶴が乗り込んできた。お腹の前で、火葬で骨となった優斗の骨壺を抱えている。四十歳とはおもえない、やけに喪服の似合う哀麗な彼女は、参列者に一言お礼の言葉を述べた後、泣きはらして赤くなった目を押さえながら大和の隣に座った。どこか懐かしさを感じる香りが、いたずらのように彼の鼻孔をくすぐってきた。
 ほどなくしてバスが発進した。車内で話す人など一人もおらず、ただひたすらにバスのエンジン音とクーラーの音だけが響き、時折鼻をすする音だけが聞こえた。
 そんな重苦しい空気に耐えながら、大和は横目で千鶴を見た。施設にいた大和にとって、彼女こそが本当の母親といってもいい存在だった。
 優斗の家へ遊びに行くたびに、彼女はやさしく出迎えてくれた。遠足で持っていくおやつの買い出しにも、御盆に一緒に旅行しに行ったこともある。高校生の時には、毎日お昼のお弁当を作って持たせてくれた。
 また人生を投げやりになって万引きした時には、施設の人よりも先に迎えにきてくれた。彼女は何度も「私のせいです」と答えて、ひたすら店員に頭を下げていた。警察署をでた後は、本当の母親のように叱ってくれた。自分のやったことを棚に上げて母親面するなと逆切れすると「大和くんは私の子供よ!」といってもくれた。
 だからこそ、頼れる身寄りが一人もいない千鶴から位牌を持ってくれと頼まれたのだと大和は思った。自分のことを本当の子供のように思っているからこそ、彼もまた、千鶴のことを本当の母親のように思っていた。
 そんな千鶴が、今は充血した目で優斗の骨壺を大事に抱えている。女手一つで育ててきた、本当に血のつながった一人息子を前に、彼女が何を思っているのか想像してみたが、いくら考えても大和にはわからなかった。

「優斗……」

 千鶴の声が聞こえた。悲哀に満ち溢れた、まるで蚊の鳴くようなとても小さい声だった。

「優斗……!」

 千鶴の目が力強く閉じて、大きな涙の粒が頬をくだり、優斗に垂れ堕ちた。一滴、二滴と垂れ堕ちたのを見て、大和は彼女の手を握った。雪のように白く、繊細で、とても冷たい手だった。肩を貸すと、耐え切れなくなった千鶴が言葉にならない声で鳴き始めた。結局それが引き金となり、式場に着くまでバスの車内は涙を我慢する音や鼻をすする音でいっぱいになった。

 そんな重苦しい空気の中、大和は一滴も涙を流さず、心にかかった霧にうなされながら、ただただ千鶴の手を握り続けた。
 
 

 ♢

 にちようびになった。
 ボクがいつものようにおきると、となりでおかあさんがねていた。
 でも、ボクはきにせずリビングにいって、テレビをつけてヒーローにむちゅうになった。
 ヒーローがおわるとすぐにべつのアニメをみて、アニメもおわると、ボクはやっとテレビをけした。すぐにしんとなったリビングに、ボクはこわくなった。お母さんがいないのだ。

「おかあさん、どこ?」

 おふとんのあるへやにいくと、おかあさんがいた。おかあさんはまだねていた。おこそうかまよったけど、ボクはおかあさんのふとんにはいって、いっしょにねることにした。
 おかあさんをだきしめると、すごくいいにおいがした。
 
 

 2

 バスが葬儀社に着くと、引き出物を渡されて各々好きなタイミングで解散となった。名残惜しむように優斗へ話しかける者もいれば、すぐに帰る者もいた。みな一様に悲しみに暮れており、自分なりの方法で彼との決別をつけようとしていた。
 大方の参列者が帰ったところで、大和は声をかけられた。

「よお、大和」

 軽快な声に振り向くと、小学生時代からの親友が立っていた。彼とも高校まではほぼ毎日、優斗と一緒につるんでいた仲だ。いまは一足先に、東京で社会人をしている。

「一昨日、突然電話して悪かったな」大和がいった。「仕事中だったんだろ」
「いや全然いいって。むしろナイスタイミングだった。実はあの時、会社の上司と飲んでてさ、帰るタイミングが見つからなかったんだよ」
「そっか。それはよかった」
「それにしても、本当に優斗は死んだんだな。アイツが川で溺れて亡くなるなんて、今でも信じられねえよ」
「俺も同じだよ」
「水泳で全国獲っても、溺れるもんなんだな」
「色々な不運が重なったのさ。服も着てたし酒もたらふく飲んで酔っ払ってた。それに前日降った雨のせいで、普段よりも川の勢いが強かった。ダメ押しは、川底の深い沢に捕まって、急に体の自由を奪われたことだ。いくら泳ぎの名人でも、これだけ不運が重なればしょうがないよ」
「よくそんな詳しく覚えてるな」
「目の前で優斗が流されていくのを……この目で見たからな」
「あ……すまん」

 何かを察した親友が、すぐに頭を伏せた。

「気にすんな。――そんなことより、もう東京に帰るのか?」
「ああ、そのつもりだよ。別れの言葉はいったし、オバサンにも挨拶すませたしな。それにお前ら大学生と違って、俺はもう社会人だ。明日も仕事があるのさ」
「そっか。せっかく会えたのに残念だよ」
「悪いな。また今度帰った時にでも、飲みに行こうぜ」
「ああ、そうしよう」

 そういって固い握手を交わすと、幼馴染は駐車場にとめてある車に乗り込んで帰っていった。
 参列者がいなくなったところで、大和は千鶴に声をかけた。

「千鶴さん、もう帰るんでしょ。送るよ」
「ええ……ありがとう」

 朗らかとは言い切れない顔を千鶴が向けてきた。ただでさえ幸薄い雰囲気の千鶴がいつも以上にもの悲しく見えた。同時に、天涯孤独になった彼女が、今まで見たことのないぐらい麗しく見えてしまい、大和の心をいたずらに揺さぶってきた。

 千鶴の家に着くと、葬儀社の人が和室の一角に祭壇を飾ってくれた。そこに遺骨や位牌、遺影なども綺麗に飾ってもらい、最後に四十九日の説明をしてくれた。千鶴の精神状態がまともに説明を聞ける状態ではなかったので、代わりに大和が全部の説明を受けた。最後に玄関先でお悔やみの言葉をもらうと、葬儀社の人がようやく帰っていった。

 和室に戻ると、祭壇の前で正座しながら俯く千鶴の姿があった。
 より拍車のかかった幸薄顔。首に着けた真珠よりも白く滑らかな肌と、それと対照的な黒く艶のある髪。そしてワンピース型の喪服によって、より千鶴の悲壮感が上がっているように見えた。そしてなにより、ほのかに漂ってくる記憶の奥底で強烈にこびりついた母親の香水の匂いが、より彼女を美しく仕立てている。
 そんな彼女の姿に、大和は思わず胸を詰まらせてしまった。
 まるで映画のワンシーンを切り取ったような、幻想的な光景が広がっていた。哀愁に打ちひしがれる千鶴が、恍惚に見えて仕方がなかった。

「千鶴さん、大丈夫?」

 大和は声をかけた。いつまでも見ていたかったが、ずっと立っているわけにもいかなかった。
 彼女は目線を変えずに、優斗の遺影を見つめながらゆっくりと頷いた。

「葬儀の人、帰ったよ。四十九日ことも、俺が変わりに説明聞いておいた」
「ありがとう……。大和くんもつらいのに……あなたにばかり頼ってしまって」
「俺は大丈夫だよ。それよりも千鶴さんのほうが心配だよ。ここ数日、ずっと何も食べてないでしょ。お昼のお弁当だって、一口も手つけてなかったし。何か買ってこようか?」
「ありがとう。でも大丈夫。私、お腹空いていないから」

 そういって、少しだけ口角の上がった表情を千鶴が見せてきた。しかしすぐに元の表情に戻り、彼女の目線は優斗の遺影に移った。
 大和は千鶴の横に座った。そして慰めるつもりで、いつの日か彼女がしてくれたように抱きしめようと腕を伸ばした。しかし彼女から帰ってきたのは、伸ばした腕をやさしく振り払う拒否の反応だった。

「ごめんね、大和くん。あなたの気持ちは嬉しいけど、今は一人にしてほしいの」

 千鶴の目線は優斗に向いたままだった。心にかかる霧が、なぜかさらに強くなった気がした。

「ねえ千鶴さん。こんなこというのは酷いってわかってるけど、いくら悲しんだって、もう優斗は戻ってこないんだよ」
「……」
「悲しいのはわかるけど、俺、早く元の千鶴さんに戻ってほしいよ」
「……」
「ねえ――」

 次の言葉をいいかけた時、彼女が掌を見せて制止してきた。

「慰めてくれてありがとう。私もね、早く立ち直りたいって思ってる。でも……ごめんなさい。お願いだから、今だけは一人にして」

 いい終わると彼女の手がダランと落ちて、再び綺麗な正座の姿勢に戻った。そして、ゆっくりと視線が優斗に向いた。
 心の中の霧が渦を巻き、さらなる霧を作り出して、大和の中に嫉妬を生み出した。

「千鶴さん……」

 大和はあきらめきれず、片手を肩に乗せた。

「どうして優斗ばかり見るの。あいつはもう死んだんだよ。もう、帰ってこないんだよ」
「大和くん……私の気持ちも察してちょうだい。私は、たった一人の息子を亡くしたの」

 たった一人の息子、という言葉が大和の嫉妬を増大させた。

「大和くんだって、わかるはずでしょ。お母さんを亡くした時、悲しかったでしょう」

 大和は母を亡くした時のことを思いだした。幼い記憶だが、母との思い出は全部覚えている。

「ごめん……千鶴さん」
「いいのよ。わかればそれで」

 生まれたときから父親がいなかった大和にとって、母だけが唯一の家族だった。母が死んだことを理解するのには随分と時間がかかったが、それだけすごく悲しかったのを覚えている。同時に、千鶴が自分にしてくれたことを思いだし、チャンスだと思った。

「なら……僕が千鶴さんの子供になってあげる。そうすればもう悲しくないでしょ。だから――」

 次の瞬間、千鶴の怒声が聞こえた。

「ふざけたこといわないで! 私が亡くしたのは、この世でたった一人の血のつながった家族なの。自分のお腹を痛めて産んだ、たった一人の息子なの! あの子の代わりなんて……どこにもいないの!」

 千鶴の怒号に大和は言葉を失った。どうして……と彼は思った。千鶴さんが僕の母親代わりをしてくれたように、自分もただ優斗の代わりになろうとしただけだ。それがなぜ怒られることになるのか、理解ができなかった。

「どうしてそんなに怒るの。僕、何か悪いこといった? 優斗の代わりになってあげるのが、そんなに悪いこと? 僕が優斗の代わりになれば、それで全部解決するでしょ」

 いい終わると、千鶴の平手が飛んできた。

「そんなことで解決なんかするわけないでしょ。ふざけたこといわないで!」

 いままでに見たことのない鬼のような形相だった。体が震えあがるほど恐ろしかった。それでも、彼はなぜ怒られたのかを理解することができなかった。

「どうして叩くの。僕が千鶴さんの子供になるのが、そんなに嫌なの」
「当たり前でしょ。何が子供になるよ。私の子供は、優斗だけよ!」

 大和は戸惑った。彼女がいった言葉の意味を、信じることができなかった。

「じ、じゃあ僕は何なの。こどもじゃないなら何なの。昔、大和くんは私の子供だっていってくれたじゃん。あれは嘘だったの?」

「いいえ、嘘じゃないわ。でも、今の大和くんに同じ言葉を同じ気持ちでいうことはできない。今の大和くんと私は、あかの他人よ」
 体が熱くなった。チリチリと頭の中で音がなり、思考がどこかへ飛んでいくのを感じた。他人という言葉が、研ぎ澄まされたナイフのように、やけに冷たく胸に突き刺さった。

「他人? どういうこと。ねえ、そんなの嘘だよね」
「嘘じゃない。もう大和くんとは他人よ」

 大和は焦った。彼女の目線が二度とこちらへ向かないことに恐怖した。

「う、嘘だ。そんなの嘘だ。嘘っていってよ。ねえ!」
「嘘じゃない。もう大和くんなんて知らない。今すぐこの家から出て行って!」
「嘘だ……。嘘だ嘘だ! 嘘だああああ!」

 死んだ優斗にばかり目の行く千鶴のことが許せなかった。同じ血が流れているだけで優斗を優先する千鶴が許せなかった。もう一人の息子を無視する千鶴が許せなかった。

「あ、大和くん、何するの。ちょっと、やめっ、ああ!」

 千鶴に抱きついた。彼女が抵抗する前に仰向けで組み伏せて、両手首を掴み、股のあいだへ身体を入れた。状況が理解できていないのか、抵抗らしい抵抗は受けなかった。

「やめて。痛い! ああっ!」

 子猫ほどの抵抗を受けたが、腕の力を入れずに大和はそれを制圧した。
 大和は全体重をかけて千鶴に抱きついた。「はうっ!」と苦しそうな声が聞こえ、彼女の軀が少しだけ沈んだ。腕に力を入れ、やわらかい軀を潰すように抱き着くと、この上ない幸せがやってきた。

「やめて……。い、息が……く、る……しい」

 息絶え絶えの千鶴を無視して、大和は首筋に鼻を押し付けた。そして深呼吸をしながら、本当の母に抱きついた時のように匂いを嗅いだ。記憶の中にいる母の匂いと、全く同じ匂いがした。

「スゥゥゥ……ハァ。スゥゥゥゥゥゥゥッ……ハア」

 呼吸するたびに、大和はより強く千鶴を抱きしめた。強く抱きしめれば抱きしめるだけ、より千鶴に母を感じ、求めてしまった。

「あ……かはっ……はっ、あぁぁ、あっ!」

 千鶴の軀が痙攣し始めた。どうやら限界を超えたらしい。仕方なく、大和は腕の力を緩めた。名残惜しかったが、壊しては元も子もないと思った。

「はあ……はあ……」

 肩で息をしているのがわかった。大きな深呼吸を何度もしている。大和は探し求めていた母の匂いを嗅ぎながら、呼吸をするたびに押し付けられるやわらかいおっぱいの感触を堪能した。

「た、たすけて……だれか……誰か」

 ようやく呼吸が整ったらしい千鶴が声を上げた。

「どうして助けなんか呼ぶんだよ。まるで僕が悪いことをしているみたいじゃないか。悪いのは千鶴さんだろ。僕のことを他人だなんていった、千鶴さんが悪いんだろ。なあ、そうだろ!」
「ああ……あああ」

 怯えて言葉も出ない千鶴を無視し、彼はもう一度抱きしめた。それだけでは飽きたらず、無理やり唇も重ねた。
 幼少期の母の唇を思い出した。母は眠る前には必ずキスしてくれた。あの時と同じ感触の唇に、大和は心が揺さぶられた。ずっと吸い付いていたいと思った。自分のことだけを見てほしいと強く思った。

「んんん!」

 淫猥な悲鳴が耳に届いた。被虐心を逆撫でさせられている気分だった。もっと千鶴をいじめたくてたまらなくなった。なので、より力強く彼女の唇を貪った。

「んっ……ぷはあ、ああ、やめて。お願いだからやめて。んぷっ」

 彼はキスを繰り返した。自分を植え付けるように、長年探し求めていた母を感じるように、何度も唇を押し付けた。
 千鶴が暴れる。バタバタと背中や肩を叩かれる。しかしその度に大和は力で抱きしめると、また懐かしい母の匂いを嗅いだ。

「ああ、お願い乱暴はよして。酷いことしないで。大和くんは、大和くんはこんなのする子じゃないでしょ。ああっ!」

 ギュッと手の内に収めるように、大切なものを誰かに奪われないように、大和は力強く抱きしめた。そして彼女の唇に自分の唇を重ね、息もできないぐらいの永い口づけを施した。

「んっ! んんんんんん!」

 全身が幸せになっていく。苦しみも悲しみも気にならないぐらい、全部溶けていき幸せへと変わっていく。母の匂いを嗅ぎながら、母の唇を感じながら、息苦しくなってもキスを続けた。
 しばらくしてから唇を離すと、悲に打ちひしがれている千鶴が、涙を流しながら見つめてきた。

「どうして……どうしてこんなことを」
「他人なんていうからだろ。僕は、僕は千鶴さんの子供なのに」
「わかった……もうわかったから」
「何がわかっただよ。何もわかってないだろ。ふざけんなよ。やっと、やっと一緒になれると思ったのに。本当の親子になれると思ったのにっ!」

 大和は右手を上げ、千鶴の頬を平手で叩いた。一度だけでは気が収まらず、今度は反対側から、彼女の哀くるしい顔を叩いた。

「きゃあ! やめて! 叩かないで!」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい!」
「痛い、痛い! やめて、お願い赦して! 謝るから、もう叩かないで!」
「なら早く謝ってよ。僕に他人っていったこと、謝ってよ!」
「わかった。わかったから。謝るから!」

 大和は手を止めた。ぜえはあ、と息をしながら体を起こし、馬乗りの状態で千鶴を見下した。

「ごめんなさい………許してください」

 まるで化け物でも見ているかのような、差別的な視線だった。どうしてそんな目をするのかと、大和は怒りたくなった。もっと慈愛のこもった、我が子を見守るやさしい母の目で見てほしかった。
 大和はもう一度手を上げた。

「あっ、イヤ、やめて! 謝ったでしょ。乱暴はしないで!」

 そういって腕で顔を守った千鶴を、大和は三回叩いた。最初の二回は腕でガードされたが、最後は無理やり腕をひねってでも頬を叩いた。

「ううっ……うううう!」

 繊細な泣き声が八畳程度の和室にこだました。横を向き、手で顔を覆い泣いている千鶴を見下すと、彼は大きな優越感に浸った。

「千鶴さん」

 大和はいった。彼女からの返事はなかった。

「千鶴さん。ねえ、千鶴さんってば」

 彼女は一向に顔を向けてこなかった。そのことが腹立たしくなり、大和は何度か彼女の手首を掴んで無理やり顔を覗こうとしたが、すべて払いのけられた。

「こっち向いてよ。ねえ千鶴さん。お願いだから向いてよ。向かないと、もう一度叩くよ」

 そういって、彼は手を挙げるそぶりを見せた。

「ううう……ううううう!」

 話が聞こえていないのか、彼女はただ泣き続けていた。手を上げた手前、後に引けなくなった大和はもう一度彼女の手を押さえつけて、少しだけ赤くなった彼女の頬に平手を打った。

「あうっ! うう……ううう」
「僕のいうことを聞かないからだよ。悪いのは千鶴さんだよ。僕は……僕は悪くないよ」

 大和は奥歯を噛んだ。自分のいうことを聞いてくれない彼女に、憤りを感じた。
 彼は千鶴の手首を掴み、無理やり畳へと押し付けた。大粒の涙を流している哀麗な千鶴がそこにいた。バスで泣いていた時よりもより美しく、より艶やかに悲に打ちひしがれていた。

「僕、これから千鶴さんのことをお母さんって呼ぶね。お母さんの子供だからいいよね?」

 千鶴が下唇を噛んだ。

「うんとかすんとかいってよ。もう一度叩かれたいの?」

 千鶴が首を横に振る。

「じゃあ何かいってよ。5、4、3、2――」
「わかったから……お母さんって呼んでいいから。もう……許して」
「ああ、ありがとう、お母さん」
「うううっ……」

 彼女の瞼が力強く閉じた。大粒の涙がとめどなく溢れて、頬へ流れ出た。哀麗な顔が横に向き、五月雨のように泣き始めた。

「ああ、お母さん。泣かないで。僕が傍にいるからね」

 そういって、大和は泣き止むまで千鶴を抱きしめた。


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