見出し画像

【官能小説R18】耽溺依存症【2/4】

本作品はR18指定作品です。
18歳未満の方の閲覧は固く禁止しておりますので、18歳未満の方はブラウザバックをお願いします。


前回のお話はこちらから


本編


1

 以前会ったコンビニの前で、吹雪はプラスチックの筒を肩にかけ、包装紙に包まれた額縁付の絵を手に持ちながら青木を待っていた。筒の中には、彼がいままでに教室で描いたデッサンや絵が入れられている。手に持っている絵は、廊下に飾られていた裸婦画だ。

 目の前に広がる暗闇を見ながら、吹雪は頭の中で青木の姿を描きだした。特別な感情はないはずなのに、先月会った時から彼のことがなかなか頭から離れなかった。

 仕事から帰って自慰する時も、彼の顔が自然と浮かんでしまった。年下の男だというのはわかっていた。好きだの恋愛だのといった感情も放棄しなければいけないことも知っている。それでも、頭の中で彼にあられもないことをされている自分を想像するのがやめられなかった。何度も何度も彼のことを思い浮かべては快楽を浴び、自慰に耽った。

 特に社会人クラスの日はひどく、青木がいないとわかった時点で軀が疼いてしかたがなかった。家に帰るとすぐに服を脱いで、眠くなるまで自慰に耽った。今日に限っては遂に我慢の限界を迎え、授業中だというに体調がすぐれないと嘘をつき、トイレに行き何回も自慰をしてしまった。戻った時にはもう授業は終了していて、生徒の姿はどこにもなかった。

 等間隔に照らす街灯の中に一人の男が映った。顔はまだ見えないが、それが青木だと吹雪は確信を持った。前会った時と同じスウェットを着ている。二メートルほど先に彼が立つと、吹雪は口を開いた。


「こんばんは」


 軽く頭を下げてから彼を見た。目の前に現れた青木の姿に、吹雪は驚愕した。

 前に会った時よりもかなりやつれている。頬はこけ、身なりもどこかみすぼらしくなっていた。きっと何日もまともな食事を食べていないのだろう。でなければ、ここまで痩せるはずがない。


「あの、先生?」

「あ、ああ、ごめんなさい」


 まともに彼の姿を見ることができなかった。今の彼は、あまりにも過去の自分と重なりすぎている。それでも、どうにか平静を装いながら吹雪は口を開いた。


「こんな時間に呼び出してしまって、本当にごめんなさい。でも、青木くんが辞めるって聞きて、どうしてもこれを渡そうと思って」


 吹雪は筒を肩から外し、青木に渡した。


「これは?」

「青木くんが描いたデッサンよ。そして、これはあなたが描いた裸婦画。教室にあっても、いつかは捨ててしまうことになるから。せめて返そうと思って」

「これを渡すために、わざわざ電話してきたんですか?」

「迷惑だった?」

「いえ……ありがとうございます。用事というのは、これだけですか?」


 いいたいことはまだ沢山あった。しかし邪な思いが邪魔をして、何もいえなかった。


「ええ、そうよ」

「そうですか。わざわざありがとうございます。では、これで」


 自分の庭に埋めた花を他人に無惨にも摘み取られていく思いにかられた。とても酷い憤りが襲い掛かってくる。それなのに、何もできない自分に虚しさを覚えた。

 踵を返し颯爽と立ち去ろうとする青木に向かって、吹雪は声を掛けた。


「あ、青木くん、ちょっと待って」


 一歩踏み出した彼の足がとまり、そのまま振り向いた。


「まだ何か?」

「あの、どうして辞めるのか訊いてもいい? 私のことが嫌いだからとか、教室の雰囲気が変わったからとか。その……今後の運営の参考に、したくて……」


 気まずい空気が流れた。少し釣りあがり気味の彼の目が睨みを効かせている。なぜか入ってはいけない彼の心の部分に、土足で踏み込んでしまった気がした。


「仕事が……忙しいので」


 彼の目が泳いだのを吹雪は見逃さなかった。嘘をいっているのは明らかだ。しかしその嘘を咎めることが、彼女にはできなかった。


「では、これで」


 そういって彼が再び踵を返した時だった。どこからともなく大きな腹の音が聞こえた。その音を聞いて、いてもたってもいられなくなった吹雪はまた彼に声を掛けた。


「お腹空いているの?」

「いえ、そんなことはないです」


 恥ずかしそうに青木がいった。またとないチャンスだと思い、吹雪は厚顔無恥を承知で言葉をまくし立てた。


「嘘はいけないわ。さっきの音、青木くんのお腹からでしょ。それに、ここ何日かまともな食事取ってないんじゃない? 前に会った時よりもだいぶ痩せているわ。実は、私もまだ夜ご飯食べてないのよ。よかったら一緒にファミレスでも行かない? もちろん私のおごりよ」

「いえそんな、大丈夫です。先生に迷惑かけるだけですから。それに、この時間にやってるファミレスなんてあるんですか?」

「あ……」


 痛いところを突かれ、一瞬言葉が途切れた。それでも吹雪は食い下がった。


「なら、ここのコンビニでお買い物して、どちらかの家でお食事しましょうよ」

「でも……」


 また青木の腹の音が鳴った。


「決まりね」


 吹雪は強引に彼の手を掴み、コンビニへ入った。 


2

 大きな袋を抱えながら二人はコンビニを出た。レシートを見て初めて五千円近く買い物をしていたことに吹雪は少しだけ驚いた。だが無駄遣いしたという気持ちは一切なかった。必要経費だと割り切ってしまえば、とても安い買い物だ。

 大通りの車道を横断歩道のない場所で横切った。そのあと路地に入り、知らない近所を歩いた。向かう先は青木のアパートだ。


「そういえば、青木くんって仕事何しているの?」


 ふと思いたって訊いてみた。彼の詳細な職業を吹雪はまだ知らなかった。


「一応、小説を書いています」

「へえ、小説家なんだ。すごいねえ。いわれてみれば青木くん文学部出身だもんね。私、文章なんて全然書けないから、すごく羨ましいわ」

「すごくなんかないですよ。賞だって取ったことないし、書いてもまったく売れないし、書店にだってまだ並んでません」

「えっ、どういうこと。本、出してないの?」

「ええと、紙の本を出していないって意味です。僕、電子書籍で自費出版してるんです」

「そうだったの。でもすごいじゃない」

「そういってもらえると、助かります」

「どんなお話を書いてるの?」


 変な質問をしたつもりはまったくなかった。話の流れで、彼がどういう本を書いているのか知りたくなっただけだ。それなのに、彼は急に押し黙ってなかなか答えようとしてくれなかった。口を開いても変に言葉を濁らせて、曖昧に話しを終わらせようとしてきた。


「あまり人様にはいえないジャンルです。人によって後味が悪いというか、読んでいて気分を害するようなものですし、だから、その」

「グロテスクなホラー、とか?」

「いえ、ホラーではないです」

「あ、イヤミス……だっけ。読んだあと後味が悪くなる小説。それ?」

「それでもありません」


 あまりにも話をはぐらかされるので、余計に彼が何を書いているかが気になった。

 吹雪は彼に詰め寄った。


「教えて」

「いや、さっきもいいましたけど、あまり人様にいえるものではないんです。特に、先生みたいな人には……」

「私には教えられないって、どいうこと。私のことを馬鹿にしているの?」

「いえ、そうではありません」

「なら教えてよ。教えてくれないなら、今日奢った分、後で請求するわよ」

「そんな……」

「ふふっ、冗談よ。でも本当に気になる。ねえ、お願い。絶対誰にもいわないから、私だけにこっそり教えて」


 そういうと、しばらく考えるそぶりを見せていた青木がようやく口を開いた。


「引きませんか?」

「ええ、引かない。約束するわ」

 青木が一度だけ深呼吸をした。自分が書いている小説を人にいうのにそこまでのことが必要なのかと、吹雪は少しだけ後悔した。


「――です」

「えっ、なに?」


 あまりにも急な発言だったせいで聞き逃してしまった。仕方なく聞き返そうとすると、彼の顔が恥気に満ち溢れているのに気が付いた。


「ごめんなさい、ちょっと聞こえなくて……」


 悪そうに謝りながら、心の内では彼が何の小説を書いているのかという好奇心でいっぱいになった。そして、再び青木が口を開いた。


「官能小説です」


 いい終わると青木は俯いた。
 次の言葉が咄嗟に出てこなかった。まさか官能小説といわれるとは夢にも思っていなかった。重い空気が二人の間に流れはじめた。


「やっぱり引きますよね、官能小説なんて」

「そ、そんなことないわ。私は、す、すごく素敵だと思う。ジェロームもドガも、有名な画家はみんなエッチな画を描いているし、他の画家だって貧乏な時は、そういう画を描いて食いつないでいたぐらいだし。私もそういう絵を描いたことあるし。そ、それに官能小説も立派な小説よ。私も団鬼六なら読んだことあるわ。えっと……その……。と、とにかく官能小説がおかしいなんてまったくないわ」


 途中から自分が何をいっているのかわからなくなった。ただ、彼に無理にいわせてしまった手前、自分が黙るのは申し訳ないと思った。


「でも、すごいじゃない。小説でお金を稼いで、それで生活しているのだから」

「いえ、とてもじゃないですけど小説で稼いだお金だけで生活なんて出来ませんよ。アルバイトと掛け持ちして、ようやくって感じです」

「あ、そうなの……」


 空気が二人の間に流れてしまった。ただ、青木の話を聞きながら、吹雪は昔の自分を思い出していた。

 美大を卒業したての頃、画家を夢見て吹雪もアルバイトをしながら油絵を描いていた。描いた油絵はことごとく売れず、部屋の隅で肥やしになっていった。それでも諦めずに、様々なアルバイトを掛け持ちしながら、時には夜のお店にも勤めながら、画家という夢に向かって邁進していた。


「私も、昔は青木くんみたいな生活をしていたわ。画家を夢見て、毎日毎日売れない油絵を描いて、生活のためにしたくもないアルバイトをした。今となっては、いい思い出ね」

「そうだったんですね。なんだか意外です。てっきり先生は昔から絵だけで食べている人だと思ってました」

「そんなことないわ。私だっていろいろ苦労したのよ。消しゴムに使ったパンを食べていたこともあったわ。もう二度とあんな生活はしたくないけど」

「そうなんですね。でも、うらやましいです。今はこうして好きな絵の仕事に就けているんですから。僕なんて、売れなかったらそこで終わりですよ。――あ、僕の家ここです」


 青木が古いアパートを指差した。外観を見ただけで築年数に相当な気合が入っているのがわかる。また、そのアパートからは明かりがひとつも漏れていなかった。真夜中だということを加味しても、まるで誰も澄んでいないゴーストハウスのような、寂しい雰囲気が漂っていた。

 共用部の廊下を歩きながら一番奥の角部屋まで歩いた。洗濯機を外に置くタイプのアパートだが、彼の部屋以外に洗濯機は一つも置かれていなかった。また、各部屋の郵便受けを見ると、すべてにガムテープが貼られてあった。


「このアパート、再来月には取り壊されるんです。今住んでいるのは僕ぐらいで」


 吹雪の視線に気づいたのか、青木が静かに答えた。


「そうなの。どおりで静かだと思った」

「僕も早く引っ越さなくちゃいけないんですけど、なかなかいい部屋が見つからなくて。あ、どうぞ先はいってください」


 促されるように玄関に入り、吹雪は靴を脱いだ。

 彼女が部屋に上がってまず驚いたのは、その狭さだった。元々の広さでさえ四畳半と狭い部屋が、無数の段ボールと本棚によって半分以上が埋められていた。おまけに長方形の大きな炬燵が部屋の真ん中に置かれているせいで、さらに狭くなっている。生活できるスペースは、実質キッチンの前の一畳程度のスペースだけだ。しかも、そのたった一畳のスペースにさえ座布団代わりの布団が敷かれており、床が見えなかった。


「すみません狭くて。汚いのは……勘弁してください」

「いえ、大丈夫よ」


 確かに部屋の狭さには驚いたが、汚いという印象は抱かなかった。なぜなら昔の自分の部屋のほうが百倍も汚かったからだ。彼の部屋は油臭くもなければ、壁や床に絵の具が飛び散ってもいない。使い捨てられた絵具チューブが床に転がってもいなければ、パレットやナイフが無造作に置かれてもいない。彼の部屋は、充分に綺麗といえた。

 コンビニで買った袋をキッチンの上に置き、吹雪は布団に正座で座った。何もしていないのに背中がキッチン台の戸に着いてしまった。仕方ないので足を崩し、そのまま戸にもたれかかった。


「ああ、すみません。テーブルの上、すぐに片付けます」


 そういって青木が炬燵の上に載っていたものを片付け始めた。ノートパソコンや原稿用紙を全部一緒に重ねて近くの段ボール箱の上に置き、なんとか食事ができるだけのスペースができた。


「あの……」


 青木がいった。どこか申し訳なさそうに俯いている。


「隣、いいですか?」


 恥ずかしそうに聞く彼があまりにもウブだったので、吹雪は思わず笑ってしまった。


「だめっていったら、どこに座るの?」

「え、あ、いや……その……」

「ここは青木くんの家なんだから、私に遠慮なんてしないで」

「はい、すみません。じゃあその、失礼します」


 そういって、青木が横に座ってきた。互いの肩が触れ合うか触れ合わないかの距離を保ちながら、吹雪はコンビニで買ったお酒とおにぎりを机の上に出した。 


3

 炬燵の上に広げられたスナック菓子をつまみながら、吹雪は五本目の缶ビールを飲み干してワインを開けた。すでに相当な酔いが回ってきてはいるが、宙に浮くような心地よさに精神が高揚していた。


「あおき君の小説みせてよ」


 お酒の力を借り、気分も上々なので勢いよく訊いてみることにした。彼が官能小説を書いていると聞いた時から、実は気になっていた。


「えっ、いやでもそれは」

「かくしても無駄なんらからね。もうあおき君がかんのう小説を書いていることは、知ってるんらからね。おとこなんらから、せいせいどうどう、わたしに見せらさい」

「先生、酔ってます?」

「よってらい!。いいからはやくみせて! 感想いってあげるからあ!」


 捲し立てるようにいうと、青木は困った表情をしながら段ボール箱の中をあさり出した。そこで初めて、段ボールの中身が彼の小説だということを知った。


「そのダンボールの中って、あおき君がかいた小説なの?」

「ええ、そうですよ」

「ぜんぶ?」

「そことそこにあるダンボールは絵ですけど、それ以外は全部小説です。没になった作品とか、書きかけでほっぽり出した作品ばかりですけど」

「ふうん」


 買ってきた紙コップにワインをなみなみ注ぎながら、吹雪は部屋にあるダンボールを数えた。目に入っただけで軽く十は超えていた。ひとつの小説に何ページ使われているのかわからないが、彼が相当な数の小説を書いていることはわかった。

 やがて、クリップ止めされた原稿用紙が目の前に差し出された。吹雪はそれを受け取ると、ワインのつまみにしながら読み始めた。

 物語は二十歳前後の青年が、父親と再婚した四十歳の義母に欲情してセックスするという内容だった。現実ではまずありえない設定に面を食らったが、自然な流れの中でセックスに持ち込む彼の文章力には思わず魅かれた。


「えっちだねえ」

「官能小説ですから」

「小説家なんだからさあ、もっと面白いかえしをいいらさいよ。そんなんじゃあだめなのよ。人間かんさつ、だいじでしょ」


 高揚した気分に身を任せて、酔っ払いのウザ絡みをしながら、吹雪は彼の小説を読み進めた。

 四百字詰めの原稿用紙三十枚程度の作品だったので、十分もしないうちに読み終えることが出来た。短い作品だったが読みごたえは充分にあった。目に映るのはただの文章なのに、どれも美しく感じてしまった。酔っているせいなのか、途中からゲシュタルト崩壊を引き起こし、彼の文章が絵に見えてしまうほどだった。

「どうでしたか?」

「うん、とてもおもしろかった。かんのう小説ってひさびさによんだけど、こんなにも綺麗なのね」

「そうですか。よかったです」

 読み取るのが難しい表情を浮かべながら青木が頷いた。また悪い癖が出てしまった、と吹雪は思った。

 その後もワインを片手に、吹雪は五作品ほど彼の小説を読んだ。純文学風の文体と、女性の生々しい軀の描写の組み合わせが上手くかみ合い、とても美しいエロスを魅せていた。

 だが、気になることもあった。肝心といっていい濡れ場の描写がどれもあまり面白くなかったのだ。序盤はうっとりするほどの流れに胸が高鳴り軀も疼いたりするのだが、すべて濡れ場のシーンで冷や水をかけられた。

 彼の書いた濡れ場は、良くいえば理想のセックスだった。フィクションであることを差し引いても、かなり現実離れしている。例えるなら万年弱将校の野球部が熱血先生の指導で、たった半年で全国優勝を果たすような、そんな無理があった。

 また登場する女性にも違和感を覚えた。全員四十代前後の女性だったのだが、皆二十代の若い軀と同じような描かれ方をしていた。「瑞々しい肌触り」や「張りのある乳房」など、あまり現実的ではない。確かに綺麗で若く見える女性はいるが、流石に「二十代後半に見える」はいいすぎだ。少なくとも、吹雪には自分とほぼ同い年の女性を描いているとは思えなかった。

 台無しになっている原因が吹雪には何となくわかった。対象となる人物の観察不足だ。彼の立場になって言い換えれば、セックスの経験不足だ。とくに年上の女性とのセックス経験が、圧倒的に足りないのではと思った。


「青木くんって、年上が好きなの?」

「えっ、あ、いや、その」

「隠さなくていいわよ。まあ、その反応でもうわかったけど」

「はい……すみません。でも、どうしてわかったんですか?」

「どの作品も年上の女性ばかりだったから。ねえ、登場する女性が全員一回り以上離れてるというのは、そういう人とお付き合いした経験があるから?」

「いや、それは……」

「ないの?」

「は、はい……」


 やはりそうか、と吹雪は思った。そうでなければ、瑞々しい肌という表現など出てくるはずがない。

 ふと青木を見ると、心配したくなるほど落ち込んでいた。あわてた吹雪はすぐに別の言葉でやさしく彼を褒め始めた。


「でも、すごいわ。こんなに素晴らしい文章を書けるなんて。私なんて絶対無理よ。この原稿用紙一枚ですら埋められない」

「……」

「自信持ちなさい。あなたの文章は素晴らしいものよ。きっとすぐに売れるようになる」

「それ、本心でいってます?」


 吹雪はドキリとした。彼の目は笑っていなかった。悪い癖を見抜かれたと思った。それでも彼女は本心を隠して言葉を繋いだ。


「あ、当り前じゃない。本心で思わなきゃ、こんなこといえないわ」

「セックスのシーン、つまらないとは思いませんでしたか?」

「そ、それは……」


 核心をつく突然の質問に、吹雪は言葉を詰まらせた。何をいえばいいのか頭で考えたが、スイッチが切れたように言葉が浮かんでこなかった。黙れば黙るだけ、それが答えだという空気が流れた。


「やっぱり、面白くなかったですよね」

「そ、そんなことないわ。とても面白かった」

「無理しなくていいですよ。レビューにも『濡れ場がつまらない』ってよく書かれるんで。だから、気にしてません」

「で、でも他の文章はよかった。まるで頭の中で映画が流れているようだった。本当よ。嘘じゃない」

「ありがとうございます。それもよく目にします。濡れ場以外は完璧だって」


 もの悲し気に青木が俯いた。吹雪は返す言葉を見つけることが出来なかった。


「僕、ダメなんですよ。最初はよく書けるのに、いざ濡れ場を書こうとするとうまく表現できないんです。色々と努力はいるんですけど、なかなか上手くいかなくて」


 俯きながら青木がいった。渋々といった表情に悔しさがにじみ出ている。

 彼がいう努力というのがどのようなものか、吹雪にはわからなかった。だが部屋に積まれた無数のダンボールを見れば、どれだけ努力したのかは容易に想像できた。


「青木くんは、自分に何が足りないと思うの?」


 俯く青木に、吹雪は訊いた。


「……」

「自分に何が足りないのかすらもわからないの? それとも、いいたくないだけ?」

「それぐらい……わかりますよ。でもここでいったら、セクハラになるじゃないですか」


 その言葉を聞いた瞬間、嘘のように酔いがさめた。そして無常な怒りがふつふつと湧き上がってきた。久々に説教したくてたまらない気持ちになった。やさしい言葉をいえばいうだけ、彼の持っている才能を潰しそうで恐ろしくなった。


「そんなことを考えているからつまらない話しか書けないのよ」


 吹雪はいった。驚いたように青木が顔を上げた。可哀想な顔と一緒に同情を向けてきたが、彼女の口撃は止まらなかった。


「画家はね、たとえお腹が減っても自分の食べるパンを消しゴムにして絵を描くのよ。あなたも官能小説家の端くれなら、セクハラ云々とか考える前にセックスすることを考えるべきだわ」


 哀れみの目を向ける青木が絵画教室にいる生徒に見えてならなかった。分野は違うが、小説も一種の芸術だ。芸術家なら、自分の寿命を削ってでも自分の描きたいものを描くべきだ。


「いまからいうことには正直に答えなさい。女性とお付き合いしたことはある?」


 青木は首を横に振った。


「じゃあセックスは?」


「三回ほど……あります」

「誰としたの? 女性とお付き合いしたことないんでしょ?」

「……」

「ソープね」

「は、はい……」

「それが悪いとはいわない。自分の足りないものをどうにか補おうと努力したのだから。でもね、このままソープに通ってもお金と時間を失うだけよ。上手く書きたいなら、彼女でもセフレでも早く見つけて、嫌になるぐらいセックスしなさい。そうでなきゃ、今以上の小説は書けないわ」


 遠慮などせずに吹雪はいいきった。久々に思ったことをすべていうことができたからか、とても清々しい気分になった。そして、これ以上彼を甘やかしてはいけないと、かつての厳しい自分のような、そんな気持ちになった。


「でも……僕にはそんな女性いませんよ……」

「まだそんなことをいうの。いないなら見つけなさい。アプリでもナンパでも、方法はいくらでもあるでしょ」

「でも……」

「情けないわね。それでも男なの。上手になりたいとは思わないの。またレビューに下手だって書かれてもいいの。こんな貧乏生活を、これから先もずっと続けていくつもり?」

「そ……そんなの、よくないに決まってますよ!」


 悔しさを滲ませるように青木が炬燵を叩いた。


「セックスしなきゃいま以上の濡れ場が書けないなんて、そんなことは先生にいわれなくてもわかってますよ! でもアプリやナンパで声を掛けたって、無視されるか怖がられて逃げられるかの二択なんです。先生みたいな美人は男に苦労しなかったかもしれないですけどね、僕みたいな男はね、女性とお付き合いする前に、もう終わっているんですよ!」


 溜め込んだ思いを吐き出すように青木が叫んだ。昔の自分を見ているようで、吹雪はまた苛立ちを募らせた。

 人一倍努力して、もがきにもがいて、血のにじむ思いで作品を完成させて、それでも結果が出ない。逃げる言い訳だけいっぱしに磨いて、自分の殻に閉じこもる。結果、輝ける才能を潰してしまう。


「いいこと、青木くん。若いからってね、逃げてはダメなのよ。成功している人はみんな当たり前に努力しているの」

「そんなことわかってます!」

「いいえ、わかってない。だって、青木くんはまだ努力していないもの」

「ならどうすれば努力といえるんですか。すれ違った女性をレイプして、無理やりセックスしろとでもいうんですか!」

「それは犯罪よ。そんなことしちゃいけないに決まっているでしょ」

「じゃあ僕は、どうすればいいんですか……」


 深く項垂れて青木が涙声を上げた。どこまでも情けない彼と、彼の才能を天秤にかけ、吹雪は決心した。


「青木くんは……私のことをどう思っているの?」

「どうって……なにがですか?」

「小説に出てきた女性はみんな四十歳前後よね。私、いま四十二よ。青木くんが書いた小説に出てきた女性と大体同じ。そんな私を、あなたが書いた男性のように抱ける? 私とセックス……できる?」


 身体を前に出しながら、ふくらみのある胸をわざと彼に押し付けた。ゆで蛸のように彼の顔が一瞬にして真っ赤になるのがわかった。


「もし青木くんが嫌じゃないなら、今すぐ私を抱きなさい。いっぱい腰を振って、子宮から精子が溢れるぐらいたくさん射精して、もう嫌って思うほどセックスしなさい。そうすれば、きっと上手く書けるようになるから」


 吹雪は身体をさらに前に出し、彼の唇にキスをした。そして勢いのまま彼を押し倒した。

 お酒のにおいがした。失敗したなと思った。

 だが、もう止めることはできなかった。



続き


最後まで読んでいただきありがとうございます。

著者が書いたその他のお話はこちらから読めます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?