勝俣涼 Ryo Katsumata

1990年生まれ。美術批評・表象文化論。最近の評論に「個人の危機と芸術――ハロルド・ローゼンバーグ『芸術の脱定義』をめぐって」(『コメット通信』第12号、水声社、2021年)などがある。

社会化された芸術至上主義 : 「ボイス+パレルモ」展を見て

埼玉県立近代美術館で開催中の「ボイス+パレルモ」展。「社会彫刻」の概念を提唱したことで知られるヨーゼフ・ボイス(1921-1986)と、ボイスに学んだブリンキー・パレル…

【レビュー】砂紋と躯の浸透――吉田志穂「砂の下の鯨」(hpgrp GALLERY TOKYO)

 海風にあおられた砂が舞い、すでにそこにあった何かの上に降る。そうやって砂の下に潜る何かは、かつて打ち上げられた鯨の躯かもしれず、砂の表面がなす縞状の肌理は鯨の…

誰が知っているか?――フィリップ=ロルカ・ディコルシアの映画的写真

フィリップ=ロルカ・ディコルシア(1951-)の写真は、映画的と言われる。実際に撮影の状況をあらかじめ設定し、文字通り演出をして撮影された作品もあるが、本稿では、「…

【レビュー】過去の溶け出し――「裏声で歌へ」展

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不確かな位置、先延ばされる成就――レオス・カラックス「アレックス三部作」

レオス・カラックス監督『ボーイ・ミーツ・ガール』(1983)、『汚れた血』(1986)、『ポンヌフの恋人』(1991)は、「アレックス三部作」として知られるように、いずれも…

密着と離散の行程――ヴィム・ヴェンダース『パリ、テキサス』

あらゆる所有物も記憶も喪失したような男トラヴィスが荒野をひとり放浪する印象的なシーンから始まるのが、ヴィム・ヴェンダース監督のロードムービー『パリ、テキサス』(…