社会化された芸術至上主義 : 「ボイス+パレルモ」展を見て

埼玉県立近代美術館で開催中の「ボイス+パレルモ」展。「社会彫刻」の概念を提唱したことで知られるヨーゼフ・ボイス(1921-1986)と、ボイスに学んだブリンキー・パレルモ(1943-1977)を並列的に検証する企画となっている。

本展はボイスとパレルモの「一見遠いようで近い」関係にフォーカスし、その「近さ」の象徴として、ボイスの(花瓶に挿された)薔薇(《直接民主制の為のバラ》1973)とパレルモの2色版画(《無題》1974)を、赤と緑の構成という点で隠喩的に重ね合わせている。

しかしながら筆者がどうしても拭いきれなかったのは、その「遠さ」だった。ところでこのテキストは、ボイスやパレルモに関する数多の言説を充分に顧みず書かれているため、ある面では不誠実かもしれない。だから、その点での批判は受け入れたいと思っている。その上で、筆者はこのnoteを、アカデミックな体裁の外側で言葉を紡ぐことを許す場として運用したいと考えている。

前置きを挟んでしまった(もしかするとこんな前置きは必要なかったかもしれない)が、ボイスとパレルモの「遠さ」について。ボイスの「社会彫刻」の概念は、芸術の下位ジャンルとしての「彫刻」とは一致しないだろう。それはむしろ、世界へのあらゆる主体的な働きかけを制作として、「芸術」として把握する態度ではないだろうか。その燃料=動機は、人間の身体(ボイスという芸術家の身体がそれを代表する)に通う生のエネルギーである。脂肪やフェルトのような有機体や保護材は、主体的にアンガージュすることの生と明に暗に結びついている。あらゆる活動を「芸術」と認めることは、「芸術」の定義不可能性を肯定するに等しい。だがボイスの身振りには、その定義不可能性を逆手に取り、「芸術」を記述不可能な特異点として神秘化しつつ温存するようなところがないだろうか。いつも同じ帽子とジャケットを身につけたボイスには、芝居がかったキャラクター性がある。特別な眼を持つとされる占星術師の言葉のように、ボイスの仕事はボイスという固有名に還元されてしまう。

一方パレルモの方は、30代という若さで亡くなったゆえに「早世の画家」と言われる。だがそれはあくまでも後世の人間がそう呼んだというだけのことだ。それでパレルモが神秘化されるとしても、それはパレルモの仕事と関係ない。この点に、ボイスとパレルモの「遠さ」があるだろう。ボイスはあまりにも自己演出的にすぎる。パレルモは「絵画」という問題を、そのメディアとしての規範の限界を探るように展開した人だったと思う。枠と中身をめぐるパレルゴン的な関係を明白に意識し、壁画の仕事には、建築空間の内部で人の認知機能の編成に働きかけることが賭けられていた。絵画というメディアを(グリーンバーグがしたようにその固有性に還元するのではなく)、彫刻や建築、キルトなど他のジャンルや技術と干渉する領域まで押し広げてみること。本展の最後にあたる金属絵画は、一見すると矩形という絵画の伝統的な条件を引き受けているようだが、そこで問われるのは矩形そのものや理想化された平面性ではなく、金属板という物体のエッジであり、リテラルな硬い平滑面の質である(金属板に薄塗りされる筆触は、キャンバスに浸透するのとは異なる「乗り方」を示す)。

こうして見ると、ボイスとパレルモの差とは、「芸術」と「絵画」の差と言えるのかもしれない。《私はアメリカが好き、アメリカも私が好き》(1974)のボイスは、コヨーテという非人間的な主体と連なり合うマテリアル(フェルトの塊)となっていて面白いのだが、やはりトータルとしてボイスの身振りを通覧した場合、神秘的な個人(史)によって集合的な社会参加を媒介する、「社会化された芸術至上主義」とでも(矛盾を承知で)呼ぶべき態度が見え隠れしないだろうか。

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