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もっと楽しそうにできないの?

日記と銘打って、毎日更新をはじめて3週間程度(数えていない)。

日記の割には、タイトルなどを振り返ってみても、いったい自分が何をやってきたのか、ほとんど思い出せないことに衝撃を受けています。

決まっているのは、まったく自分に向いていないカフェの給仕をする毎週水曜日は、闇堕ち率が高いくらいでしょうか。そんなわけで、今日は水曜日。闇堕ちの日です(おい)。

身近なところに夜行性の人が居ないので、まったく共感されませんが、わたしは夜になると頭も身体も冴えてくるタイプです。それなのに、この時間にぼ~っとするのは、なんでかな……と思うと、あぁ、今日は人とたくさん会ったからだ……と納得して、闇堕ちするんですね。

ぼ~っとするから、できるだけ「考える」仕事より「作業のみ」の仕事をする方が良いと思っていて、とりあえず、毎週水曜日は単純に振り返りの日としようかと。

そんなわけで、ちょっとnoteの投稿履歴を見返してみて感じたのが、冒頭の「日記なのに振り返ってみても、何をやってきたのか思い出せない」という事実。もはや日記じゃないよね、これ。

一応、原因追求すると……

・そもそも記憶力の衰え
・日記の内容が、日常行動の動線上にない

……ということでしょうか。

記憶力の衰えについては、いわゆる「耄碌」じゃん……というツッコミを入れたいところですが、日々への「興味関心のなさ」につながるようには思っています。

身内も含め、昔から身近な人からは「もっと楽しそうにできないの?」と真顔で聞かれることも多いので、結局、そういうことでしょう。

これに無理やり対策を考えるとすれば、何事も楽しくなるポイントを見つけるということなんでしょうけれど、それができれば苦労しません。ゲーム感覚で楽しもうなんていうアドバイスも、いまいちゲームが楽しくないという感じですね。勝敗無頓着。以上、みたいな。

「そんな、つまんなそうにしてて、生きている意味あるの?」的なことはよく問われるのですが、自分でもそう思って、ちゃんと調べているんですね。

結論、意味なんてない。

圧倒的な不平等で生まれてきて(いわゆる個性ってことで、悪いって意味じゃないよ)、みんなが違うことそのものに意味なんてないですよね。むしろ、意味にすがる方が怠慢なのかもしれないと思ったりして。

あ、これは闇堕ち展開になるのでここで終わり。

次に「日記の内容が、日常行動の動線上にない」というのは、続ける方が目的になってしまっていて、いわゆるネタ的なものを捻出しているような状態ということですね。

このやり方で、むしろよく続いていると思うくらいです。(単に品質が低くなっているだけ説があるな……)

日々を観察して、そこから気づいたことを日記にしていく方が、脳みその筋トレになるように思うし、ネタが尽きないように思うんですよね。普段やっていることからネタが出てくることになるから。

そのためには、いろいろと行動が必要ですね。いろんな経験がネタになっていく。そして、人と会って闇落ちする。あれ、ダメじゃん。

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