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自分で自分を知ることはできない

「他人は自分を映す鏡」っていうのは、よく聞く言葉ですよね。

他人の態度自分の態度が映し出されている……というような話だったり、他人に見える嫌な部分は、自分にもあるから映し出されている……というような話だったり。いろいろな解釈がありますね。

これだと、他人と自分に、作用反作用的な関係性があるような話になるので、わたしとしては、いまいち釈然としないのですが。(自分が不機嫌でも、上機嫌で接してくれる素敵な人はたくさん居るだろうし、他人の嫌なところは単に嫌なだけで自分にあるかどうかとは別だと思う)

ただ、ひとつ言えるのは、実際の鏡と同様、自分の姿を見るためには、鏡(他人)が必要ということですね。

最近、せっせと毎日noteを更新していて、思うのです。Facebookでシェアしていると、ありがたいことにコメントやアドバイスをくださる方もいらっしゃいます。

もちろん、コメントやアドバイスの額面通りを受け取って、なるほど自分にはそういう面があるのか……と気がつく場合もあります。

そういう直接的な場合もあるとは思うのですが、本質的には、アドバイス等に限らず、他人の行動や言動等を通じて、「自分が“どう感じるのか”」知るというところに、鏡の効果があるように思うのです。

ムーミンに出てくる「リトルミイ」の名言でいうと……

逆よ、全く逆よ。自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ。いろんな人と関わりあうのよ。お友達とおままごとしろって言っているんじゃないの。自分の知らない、自分を知らない人たちと関わりあうのよ。見えてくるわよ、本当の自分が。

……ということですね。

自分と向き合ったところで、自分を知ることはできない。そういうことです。このリトルミイの名言は、なんとなく理解していたつもりでしたが、最近、あらためて納得した感があります。

自分を知りたければ、いろんな角度の鏡(他人)を用意するしかないですね。

まぁ、自分を知りたいのか……というと、あんまり関心がないわけなんですが(別にどういう自分でもいいや……という感じ)、そう言いつつも、どうやら自意識過剰説があるので、見極めが必要ですね(笑)。

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