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古書部の役割│回想記3

自分語りが続きます。オジサンになったということですかね……。

念のため今回も書いておきますが、10年ほど前の話を書いています。

昨日は「古本」「古書」の違いについて書きまして、まずは「古書」を扱っていく方針にしたという話でした。

祖父の立ち上げた出版社の名前は「甲陽書房」ですので、単純に「甲陽書房古書部」という屋号……というか、部署名というか……みたいな名称といたしました。

ところで、開店休業状態の出版社を復興させたい……ということだけど、そもそも祖父の跡を継いだ父が目の前にいるんだから、父から編集のことを学べば良いじゃん……っていうツッコミもあるかと思います。

父から見て、わたしがあまりに文学に対して才能・興味がない……という根本的な原因もあるのですが、実は父は大病からの病み上がり状態で、気力・体力ともに、ちょっと厳しい状況もありました。

そういう兼ね合いもあって、いろんな意味で体力を取り戻すために「古書部」からスタートとなったわけです。

……で。

あたかも、新規で「甲陽書房古書部」を立ち上げたかのように書いてしまいましたが、実は祖父が存命だった際にすでに存在していたんです。もちろん、誰か雇って……なんてことはなく、祖父がやっていたのですが。

これがちょっと特殊な立ち位置なので、ちょっと説明をしておきます。

祖父も古書の蒐集家しゅうしゅうかでしたから、当然、古本屋(古書店)としての機能もありました。

……が、出版社が古本屋をやる……というのは、またちょっと違った側面があるんですね。出版社が全国に本を売りたい(書店に並べたい)となると、原則として「取次」という流通業者を通すことになります。

ご存知の方も多いと思いますが、出版物(書籍・雑誌)というのは、再販制度が認められています。

書籍・雑誌の「再販制度」とは
著作物の再販制度(再販売価格維持制度)とは、出版社が書籍・雑誌の定価を決定し、小売書店等で定価販売ができる制度です。独占禁止法は、再販売価格の拘束を禁止していますが、1953年の独占禁止法の改正により著作物再販制度が認められています。

一般社団法人 日本書籍出版協会
https://www.jbpa.or.jp/resale/index.html

いろいろな難しい話は置いておいて(えっ)、要するに、定価で販売できる制度っていうことですね。独占禁止法では禁止されているわけですから、ある意味、特権みたいなものです(説明が雑すぎる)。これに守られていた部分もおおいにあったと思うのです。

なぜこの話をするかというとですね。

甲陽書房は、祖父が創業したわけですが、時代でいうと戦後すぐ……くらいなんですね。その時期と現代では、貨幣価値が違うんです。要するに、同じ「1円」という表記でも、今と昔では価値が違うということです。

昭和初期から昭和中期くらいにかけて、激変したものと思われるのですが、以下のサイトを見ると、昭和34年ごろの初任給は2万円程度だったようです。

1959年(昭和34年)以降では初任給として2万円近くをもらっており、昭和時代の中でお金の価値に大きな変化が生まれたことがわかります。初任給が2万円であったときの1円の価値は、10円ほどです。

https://magazine.tr.mufg.jp/90326

ものすごい単純に話すと、昭和30年代くらいに出版した本の定価って100円……みたいな話なのです。

それをそのまま額面通り、現代で定価で売るとなると、100円……。

もちろん、出版社(版元)が値段改定をすれば良いだけの話ではあるのですが、零細の身の丈となると、それもまたそれでコストがかかる……。

そこで、登場するのが「古書部」なんですね。

昔に出版した自社の本は絶版とし、古書扱いとして「古書部」で販売する……と。なので、「版元在庫品」という不思議な状態の古書が並ぶ「古書店」となるんですね。

んー、書いていて、めちゃめちゃ語弊・誤解を生むような気もしてきましたが、いずれにしても、出版社という立ち位置で古書店をやる……っていうのは、ちょっぴり特殊という話です。

ちなみに、祖父が作った甲陽書房古書部の「古書目録(商品一覧のカタログのようなもの)は、価格設定が妙に高いんですね……。最初は物価の違い、時代背景かな……と思っていたのですが、あとになってその理由がわかります。それはまた別の機会に。

さて、次は、ネット上で実際に古書店をはじめるまでの話をします。

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