古書部の役割│回想記3
自分語りが続きます。オジサンになったということですかね……。
昨日は「古本」と「古書」の違いについて書きまして、まずは「古書」を扱っていく方針にしたという話でした。
祖父の立ち上げた出版社の名前は「甲陽書房」ですので、単純に「甲陽書房古書部」という屋号……というか、部署名というか……みたいな名称といたしました。
ところで、開店休業状態の出版社を復興させたい……ということだけど、そもそも祖父の跡を継いだ父が目の前にいるんだから、父から編集のことを学べば良いじゃん……っていうツッコミもあるかと思います。
父から見て、わたしがあまりに文学に対して才能・興味がない……という根本的な原因もあるのですが、実は父は大病からの病み上がり状態で、気力・体力ともに、ちょっと厳しい状況もありました。
そういう兼ね合いもあって、いろんな意味で体力を取り戻すために「古書部」からスタートとなったわけです。
……で。
あたかも、新規で「甲陽書房古書部」を立ち上げたかのように書いてしまいましたが、実は祖父が存命だった際にすでに存在していたんです。もちろん、誰か雇って……なんてことはなく、祖父がやっていたのですが。
これがちょっと特殊な立ち位置なので、ちょっと説明をしておきます。
祖父も古書の蒐集家でしたから、当然、古本屋(古書店)としての機能もありました。
……が、出版社が古本屋をやる……というのは、またちょっと違った側面があるんですね。出版社が全国に本を売りたい(書店に並べたい)となると、原則として「取次」という流通業者を通すことになります。
ご存知の方も多いと思いますが、出版物(書籍・雑誌)というのは、再販制度が認められています。
いろいろな難しい話は置いておいて(えっ)、要するに、定価で販売できる制度っていうことですね。独占禁止法では禁止されているわけですから、ある意味、特権みたいなものです(説明が雑すぎる)。これに守られていた部分もおおいにあったと思うのです。
なぜこの話をするかというとですね。
甲陽書房は、祖父が創業したわけですが、時代でいうと戦後すぐ……くらいなんですね。その時期と現代では、貨幣価値が違うんです。要するに、同じ「1円」という表記でも、今と昔では価値が違うということです。
昭和初期から昭和中期くらいにかけて、激変したものと思われるのですが、以下のサイトを見ると、昭和34年ごろの初任給は2万円程度だったようです。
ものすごい単純に話すと、昭和30年代くらいに出版した本の定価って100円……みたいな話なのです。
それをそのまま額面通り、現代で定価で売るとなると、100円……。
もちろん、出版社(版元)が値段改定をすれば良いだけの話ではあるのですが、零細の身の丈となると、それもまたそれでコストがかかる……。
そこで、登場するのが「古書部」なんですね。
昔に出版した自社の本は絶版とし、古書扱いとして「古書部」で販売する……と。なので、「版元在庫品」という不思議な状態の古書が並ぶ「古書店」となるんですね。
んー、書いていて、めちゃめちゃ語弊・誤解を生むような気もしてきましたが、いずれにしても、出版社という立ち位置で古書店をやる……っていうのは、ちょっぴり特殊という話です。
ちなみに、祖父が作った甲陽書房古書部の「古書目録(商品一覧のカタログのようなもの)」は、価格設定が妙に高いんですね……。最初は物価の違い、時代背景かな……と思っていたのですが、あとになってその理由がわかります。それはまた別の機会に。
さて、次は、ネット上で実際に古書店をはじめるまでの話をします。
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