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テストの点数は、努力を計測したものではない

このところ、老若男女様々な人と関わっているのですが(偏りがあるけど)、それぞれ生まれ持った個性っていうか、特性みたいなものってあるな……と感じるのです。

才能とか能力とかに限らず、身体的特徴、考え方、価値観など。

同じ人間であっても、それぞれまったく違うわけで。年齢を重ねれば重ねるほど、努力では如何ともし難い“違い”が見えてくる気がします。

それで、ふと思ったのです。いろんなものを同じ土俵で勝負(比較)してはいけないな……と。

はるか昔に、学校生活というもので、いろいろと苦労してきましたが、そのなかで上位を争う苦労のひとつがテストや成績のよる評価でしょう。

わたしは親戚一同のなかで、ダントツで落ちこぼれてたので、いつも従兄弟などと比べられては怒られていました。

テストの点数や偏差値で数値化されますからね。

当時は、その点数等が低い場合は「努力が足りない」ということだと言われていたし、自分でもそう思っていました。

単純に、90点のA君に対して、60点のわたしは、30点分の努力が足りない……と。そんな感じですね。

でも、今更ですが、その30点の差は、決して「努力の差」とはイコールではないですね。多少、努力による変化はあるかもしれませんが、イコールではない。

いや当たり前でしょう……と思うかもしれませんが、学校生活?で染み付いたこの癖は、意外と抜けないものです。

自分が努力で乗り越えることができたのだから、あなたも努力さえすればなんとかなる……みたいなロジックを使い始めたら、疑うべきですね。(感覚的に……ですが、ビジネス関連によくある気がする)

別に努力を否定するわけじゃないですよ。数学者秋山仁氏の「努力は報われず、正義は滅びる」という言葉が好きですが(実際は続きがある)、努力しなければ見えない世界もあるのは間違いないです。

ただ、多少なりとも、誰もが同じように……というような考え方になってきたら、注意が必要と思ったのでした。

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