1か月目~可能性に満ちている~
note初投稿(ついに!!)
2023.4.1(土)、株式会社カキヤに入社しました。
新卒から6年間お世話になった商工中金を退職し、おじーちゃん(会長)とおとーさん(社長)からの反対を押し切って実家の食品工場に入った僕が、自分自身何を感じたのか何をやってきたのか何をやっていきたいのか、自分の中で棚卸をするため(&承認欲求を満たすため)にも、書いて残していきたいと思います。
家業に入って1か月目に初投稿。せっかくなら毎月投稿して1年間を「全12章+あとがき」くらいにまとめていけると、なんかいいなぁ。
家業に入った経緯
僕の家業である株式会社カキヤはおじーちゃんがはじめた食品製造業で、今はおとーさんが2代目の代表取締役社長(おじーちゃんは会長)として会社を経営している創業50年超の老舗中小企業です。僕は小さい頃からおじーちゃんに会社に連れられては社員さんやお客さんからの「3代目」コールを浴びていたので、いつかは自分がこの会社の経営者になるんだろうな、と自然に思ってました。
小学生~中学生で同級生から「社長の息子」「おぼっちゃま」みたいな冷やかし?を受けるようになり、実家が会社を経営しているのは普通じゃないことだと感じてから(アトツギあるある?)、経営者以外の仕事を夢見つつも、心のどこかで3代目になる時のことを考えながら、大学は経営学部、就職は商工中金を選びました。そして商工中金でたくさんの中小企業、たくさんの経営者と出会い、実家の会社そのものの魅力+会社経営ができる環境の魅力を再認識したことで、商工中金として全国の中小企業の未来を支える仕事にやりがいを感じつつも、家業の3代目として地元に戻りたいと思うようになっていったのだと感じています。
一方で、それまでおとーさんから家業を継ぐように言われたことは一度もなく、むしろ「継がなくていい」と言われてたので、商工中金での勉強のためだと言って家業の決算書を毎期見せてもらったり、事業計画をつくってみたり、おとーさんに対して「経営者になる準備もしてるよ?何年かしたら継いでみたいとも思ってるよ?」的なジャブを打って反応を見たりしてました。(結局「戻ってきてほしい、継いでほしい」とは言われないまま家業に入社することに)
そんななかで、「商工中金を入社6年で辞めて家業に入ろう」とダンコたる決意ってのができたのは、実は辞める半年前と急だったのですが、、、様々な事情や想いが複雑に絡み合った中で、突然ベストなタイミングがやってくることってありますよね。まさにそれが今回2023年4月1日の家業入社だったわけで、詳しい経緯や暴露は別の機会にまとめるとしますかね(本当は10年くらい銀行で勉強しようと思ってた・・・壮絶すぎるぜ・・・)。
そんなこんなで、僕は株式会社カキヤに入社しました。
現場に入りたい息子vs近くにいてほしい父vs何でも屋が欲しい社員
工場に入って細かいところこそしっかり覚えなきゃ!という意識が強い僕と、細かいことはいいから俺と一緒にいて全体を学ぶべき!というおとーさん、どちらも一歩も譲らなかったので「じゃあ社員さん全員と面談して何するべきか聞いてみよう」と方向転換し入社前に実施した全社員との1on1面談がはじまりました。これは本当にやって良かったですし、結果として(各部署の仲が悪いから)(社長が恐いから)(そもそも自分の部署に部長がいないから)「りょうさんが色々間に入って色々うまくやってほしい」というざっくりな要望をほぼ全社員からいただき、基本社内にいて全部門にちょっかいをかける経営企画部という役回りを担うことになりました。というのも、ここ数年のわが社は、社長が倒れたり、会長が実権を取り戻したり、専務が昔からいた部長層引き連れて突然辞めたり、これまで色々やってた人たちが突然いなくなり、補充もなく、引継ぎもなく、誰がやるのかもよくわからん、みたいな業務がたくさん置きっぱなしにされてるような状況だったのです(これは入社してから分かってきたこと)。
自分の役割はそんな埃被った色々な業務を色々な部署で色々やってみる何でも屋さんだと認識し、そんな何でも屋さん精神を周りに浸透させていくのをやりがいにしようと決めました。
今月やったこと~うちの会社は可能性に満ちている~
入社前に全社員と面談をした何でも屋さんの目の前にはみんなの「こうしてほしい」がいっぱい!ルールもマニュアルもコミュニケーションもないうちの会社で、これをどうやってみんなと一緒にやってやろうか。こんなの一人でやりたくねーよ!という気持ち(オイ)・・・ではなく、こんなに皆さんに喜ばれる仕事一人でやるにはもったいない!という気持ち(コラ)を胸に、「みんなと一緒に楽しく幸せな会社をつくっていく」ことをセンターピンに置いて1か月目からワチャワチャやっていきました。
細かいものも含めてこれだけ動くことができたと同時に、動けるだけの可能性と潜在能力が自社にあると分かったこと、これが1か月目の大きな収穫でした。
うちのような会社でも、信じて前に進んでいけば、そこには無限の可能性が広がっている。これから体現していきたいと思います。
全体最適=みんな楽しくみんな幸せが一番良い
何かをはじめる時、何かを判断するとき、「全体最適」を考えるようにしています。これは最も効率が良いからコストが下がるとか利益が出るとかそういうことだけじゃなくて、それ以前に「みんなが楽しく仕事できる?」「みんなが幸せになれる?」という部分を一番に考えて動けば、それって会社全体にとって一番いいことだよね、みたいなところを重要視しています。
自分が無意識下でもこれを基準に動けるように、日々意識して口に出しているので、1か月目にして僕のこの判断基準は社員さんにかなり浸透しているように感じます(銀行さんと会う時とか、社外でも必ず口にしてる)。そして同時に、この考えに忠実に動いているからこそ、社員のみんなや社外のみんなから理解されてサポートしてもらえて、結果として色々なことを動かすことができているのだと思います(社長の息子だから従わなきゃ・・・って思われてたら嫌だなぁ)。
「全体最適」を考えるために必要なのは、お互いがどんな仕事をしていて、何を大切にしてて、何が嫌いで、どんなことを考えてるのか、これを共有することが大切なので、そのために1on1面談をしたり、Garoonを定着させたり、いろんな部署に首突っ込んで横串通したりしています。みんながみんなの幸せを考えて楽しく仕事できるようにすることが、自分の使命だと思って仕事をしたいです。
銀行で学んだ「丁寧に革命を起こす」
前職の銀行員時代は、お客さんとのコミュニケーションと同じくらい、いやそれ以上に社内でのコミュニケーションが仕事をしていくうえで重要でした。「政府系銀行」という自分の上司だけじゃなく四方八方に何人もの決裁者といくつもの確認部署がある超絶お堅い組織のなかで、自分がこれやりたい!と思うことを進めていくうえでは、どれだけ社内に良き理解者(味方)を増やして一緒に盤面をひっくり返してもらうかがどうしても必要で、僕はこれを「丁寧に革命を起こす」と呼んでいました。
これは家業でも一番気を付けていて、Garoonや電子化文化を醸成したいと言いながら、自分が何か動きを起こすときには、社員さんみんなと直接話をすることを心がけています。それも会議や朝礼などのみんながいる場では意味がなく、時間を見つけてひとりひとりに丁寧に説明し、自分の意図や想いを正確に理解してもらうことに全力を注ぎました。
社員さんにとっては、どんなに小さくても「今と違う」こと=革命級のストレスがかかることだと思っています。こうしたプロセスを丁寧にすればするほど、変化のスピードは速まると思っていますし、1か月目でも実感できています。
アトツギとしての想いと○○○としての想い
僕が家業に入ったのは、もちろんアトツギとしての想いが強いです。
父のこと、社員さんのこと、株式会社カキヤのこと、地元のこと。自分をここまで育ててくれたみんなに恩返しと、そんなみんなのこれからの未来のために力を使いたい。そんなかっこいい(?)想いが本当に強い。かっこつけてるわけではなく、たぶんアトツギはみんなこうなんだと思います。
そしてもう一つは、一人の人間「菊地諒」としての想いがあります。今の僕自身が好きなこと(興奮すること)は、新規事業だったり新商品だったり、「新しい挑戦をすること+している人の応援をすること」で、前職でもスタートアップや事業再構築に挑戦する中小企業の支援に力を入れながら、自分の考えた新規事業を社内のビジネスコンテストで発表したりしていました。こんな僕が、今一番やりたい(分かりたい)と思っていたのが「会社経営」で、生まれた時から家業と取引先さんに囲まれて、前職から今に至るまでたくさんの会社・経営者に出会ってきて、これからも会社・経営者というものを実践したり関わりながら分かろうとし続けていきたい。「菊地諒」という一人の人生にとっても、家業に入るということが今のベストな選択だと思ったんです。
まだはじまったばかりですが、会社を信じて、みんなを信じて、自分自身を信じて、これからも前に進み続けようと思います。
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