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solitude

「喜ばしい孤独」「積極性な孤独」
と訳される英単語。

最近、人生に足りていなかった要素かもしれない。昔は得意だった。けれど人に与える、愛することの楽しさに最近ハマってしまって、人と会う予定を沢山スケジュールに入れた。
人たらしだと数え切れないほど言われたから、これが自分の才能なんだと確信した。才能は与えられたものだから、周りに惜しみなく分け与えることをモットーにしていたけど、これは相手の人生に否応なく干渉する劇物だと思った。簡単に人を救うし、簡単に人を破滅させる。
自分にダメージがない訳ではない。だから最近嫌気がさしてきたんだと思う。皆から同じ態度を受け取る。「私だけを見てほしいのに、この人はそうなるわけがない」と。あぁ相手のその懸念は正しいねと思う。
やがて傷付くのを怖がって相手の方から距離をあけだす。私はそれに傷付いている。互換性のない強烈な光は、傷付けられる予感を常にはらむのか。まだ君を愛していたいのに。傷つけ足りないのに。
残った人は心のやり取りの経験が全く無いか、凄くあるかのどちらかだ。私の言動への反応の仕方で経験値は分かる。共通点はドM。(真剣な分析!笑)
前者は痛みを知らなくて、後者は痛みは必然だと考えている。どちらも愛が深いけど、表出の仕方が正反対で楽しい。


冒頭の話しに戻るけど、子どもの頃、何であんなに1人で平気だったんだろう。絵を描く事や文章を書く事、スポーツもしていたから、休日は午前中スポーツをして、午後から創作に勤しんでいた。理想の休日だなと今は思えるけど、それでも思春期ゆえの希死念慮が10年はあった。子どもって体と心が本当にちぐはぐ。放散する自分を統率するだけの強さがない。当たり前だけど。

思えば、孤独が目に付くようになったのは、内面が成熟に向かうにつれて人と心で繋がることが出来るようになって、目の前の人と傷を付け合って、からだ。
今は、あなたの好きなように私に傷をつけてくれ、と思って過ごしている。
傷付けてくれ、というより、傷付けられることは無いから、安心して弱さのナイフを突き立ててくれ、と思っている。依存や甘えや弱さを受け容れられる。これ、多分母性と呼ばれるものなんだけど、母性って柔らかいから何にも傷付けられない最強のマインドセットだと気付いた。自我ガチガチだと相手も自分も傷だらけになるね。


孤独って刺激的だよ。おとなになった今そう思う。
言葉や音の粒度が段違いに上がって、世界を独り占めするような気持ちになる。そんな体験ができるのは他者が介在しないこの瞬間だけだ。


低気圧で、やや意識が散漫としていてあんまり集中して書けなかった。読みづらいかも。でも雨音が心地よかったなぁ。
ここまで読む人いるのかな?笑
おやすみなさい🌝あったかくして寝てね。

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