あの頃、夜の街で
台風のあと、雲が圧倒的な速さで空を駆け抜けるのを見たことがあるだろうか。
僕はある。あれは19歳の頃で、初めてのアルバイトとして新聞配達をしていたときだった。
なぜ、新聞配達か?それは、①人に会わずに出来る仕事②一人で黙々とできる仕事、であるからだ。
中学の教員をしている今とは大違いだ。だけど、その頃は違った。僕は3年間の引きこもりと、1年間の病気療養期間の後だった。
毎日が生まれ変わった気分だった。表情は日に日に明るくなり、体力もどれだけ動いても疲れを感じなかった。18歳だったのだ。僕はとっくに自分の身体がさび付いてしまったと思っていたが、そんなことはなかった。春に咲く新芽のように、身体は疲れを知らなかった。
新聞配達の仕事は深夜12時頃から始まる。
家から自転車で10分くらいの配達所まで行く。少しすると大型のトラックが配達所まで新聞を運んでくる。
新聞をバケツリレー方式で、僕を含めた配達員が運ぶ。
各配達員はその後、新聞にチラシを入れていく。すべて入れたら、それをHONDAのスーパーカブに詰め込み(前のカゴと後ろの荷台)配達をしていく。配達場所はたまたま小中学校時代の僕の通学路であった。
300軒の家を担当していたが、それで一日3000円もらえた。僕のスピードだと、どんなに早くても配達を終了するのは5時だった。つまり、深夜にも関わらず、時給600円だ。
でもその当時は、自分が働いているということだけで、新鮮な気持ちになった。そして、今思うとそれは心のリハビリだった。自分がかつて歩き、遊び、学校へ通った道を再び通ること。配達場所には、僕の通った小学校、中学校やかつての友達の家、好きだった女の子の家、中学時代の家庭教師の家などがあった。みんなが寝静まった夜に、その家のポストに新聞を入れる。時々、万が一家の人が起きてきて、久しぶりの再会になるのを、期待と恐れの半々の気持ちでいた。(幸か不幸かそんなことは一度もなかった。)
でも、夜の街で、かつて自分が生きていた街を再訪することで、色んなことを思い出していた。そして、今彼らが何をしているのかをそっと想像した。
もうたぶん会うことはないのかもしれないけど、僕は彼らの生活に少しでも関わっていることが嬉しかった。きっと、彼らは朝起きて新聞を見て、天気とか今日のテレビ欄とかを確認する。でも、絶対に僕がそれを配っていることには気付かない。
中学3年のときに突然学校に来なくなり、その後、何の音沙汰もない人間が新聞を配っていることに。
誰にも気づいてもらえないけど、新聞を配る。一度は嫌い憎んだ街で。
あの頃、僕は僕のやり方で少しずつ街と、人々と、和解しようとしていたのかもしれない。
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