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ネオンサイン 第7話

 ある日の夕方、女子高生ルナは、また東大の駒場キャンパスで講義を終えた父と待ち合わせると、渋谷に行くことにした。お笑いコンビ”丸子ポーロ”の二人が行方不明になってしまったあの事件以来、元気がないルナを励まそうと、父が誘ってくれたのだった。
 二人は駒場キャンパスの裏手から、歩いて渋谷に向かうことにした。
「ほら、あれが一二郎池だよ」
 裏門近くにある細長い池を指して、ルナの父が言った。
「いちにろう、池?」
「夏目漱石の小説で『三四郎』っていうのがあるだろう。あの話に出てくる池は、東大の本郷キャンパスに本当にあって、あの小説の中で使われてから三四郎池って呼ばれるようになったんだけど、駒場の池はその弟みたいなものだから、一二郎池、って呼ばれてるらしいよ。駒場は主に1、2年生が通う場所だから、うまいこと付けたよね」
「へー、そう言われてみると可愛い池だね」
「ふふふっ、この池を見ると留年するらしいよ」
「えっ、パパは学生の時にこの池見たの?」
「ううん、見なかったなぁー」
「ひどーい、私もう見ちゃったじゃん!留年したらパパ責任とってよね!」
「それじゃ、まず東大に合格しないとな」
 二人は楽しく会話をしながら、やがてキャンパスの裏門を出ると、15分ほど歩いて渋谷の百貨店に着いた。そこには、都内でも有数の大きな書店が入っているのだ。本好きのルナは喜んで、書店のいろいろな棚を見て回った。
「今日は何でも買っていいからね、ルナ。ちょっと早いけど、クリスマスプレゼントだよ」
「ホントっ?パパ、ありがとう!」
 ルナは色んなジャンルの様々な本を、何十冊も買いこんだ。
「ちょっと重いね、ルナ」
 両手に書店の袋を下げた父が、苦笑いしながら言う。
「買いすぎちゃったかな、ゴメンね、パパ」
「ルナが元気になってくれるなら、これくらい平気さ」
 買い物も終わり、ちょうど食事時になったので、二人は、ルナが最近気になっているという回転寿司の店に行くことにした。そこは、回転寿司なのに回らないらしい。
「すごいね、ルナ。自動で注文ができるんだ」
「うん、楽しいでしょ」
 それぞれの座席の前にタブレット端末が置いてあり、そこに表示されているメニューから、客はタッチパネル方式で自由に注文ができるのだ。しかも、注文した品は、目の前にある、まるで電車の線路のような所に、台車に乗って運ばれてくる。子供も喜びそうな仕組みだ。珍しいのか観光名所にもなっているらしく、客の半数ほどは外国人のようだ。いろんな寿司以外にも、デザート、唐揚げ、麺類、飲み物など、ちょっとした料理が揃っていて安い。
 二人は並んで腰掛けると、好みのメニューを平らげた。
「楽しいね、パパ」
 二人はニコニコしながら、その店を出た。そして、近くにあるペットショップをのぞいた。ベンガルの子猫がいて、ルナは喜んだ。
「元気で可愛いな」
「そうだね、小型のヒョウみたいだ」
 ヒョウの模様がついているベンガル猫は高級で、30万円もした。
 ひと通りペットショップを見て満足すると、二人は家に帰ったのだった。


 (……)

 (………)

 (…………、んっ?)

 ふと西澤は目覚めた。
 (ここ、は……?)
 まわりが、ぼんやりと薄いピンクの膜で包まれているような気がする。
「ううっ……」
 突然、声が聞こえた。
「あっ、タケシっ!」
 タケシがうつぶせになって倒れている。西澤はタケシのもとに駆け寄った。
「おい、タケシ、大丈夫か」
 と体を揺らす。と同時に、いったいここはどこなんだ、という疑問が、西澤の頭の中に浮かんできた。あの世なのか、それにしては、リアリティーがある。
「おいっ、タケシっ、しっかりしろ!」
「うーんっ」
 タケシの身体を起こすと、タケシも目を覚まして起き上がった。
「あれっ、俺たち……」
「大丈夫かっ、タケシっ」
「何してたっけな、えーと、あっ、そうだ、海に落ちたんじゃなかったっけ」
「あっ、そうだな、俺たち、クルーザーから海に落ちたんだ」
「えっ、西澤、お前も落ちたのかっ?」
「そうさ、タケシを追いかけて飛び込んだんだよ」
「バカなやつだなぁ、一緒に来ることはないだろ」
「相方の危機を放っておく奴がいるかよ」
「ん、まぁ、ともかく、ここはどこなんだろうな。死後の世界かな。服も濡れてないし、変だよな」
 二人はあらためて、まわりを見渡した。やはり、周囲はピンク色の薄い何かで包まれている。
(ようこそ、”丸子ポーロ”の二人……) 
 いきなり二人の頭の中に、怪しい声が響いてきた。
(ここは、女子高生ルナの太ももの中だ……)
「西澤、今の声、聞こえたか?」
「ああ、頭の中でしゃべってる声だろ」
(お前たちは、よくやってくれた。ちょっと早いが、クリスマスプレゼントだ……)
「何わけ分かんないこと言ってんだよ、お前は誰なんだ」
 タケシが大声で叫んだ。
(私は闇のお笑い神……。女子高生ルナの太ももから、お笑いネタを発信している。お前たちも知っているはずだ……)
「あっ」
 と、西澤は声を上げた。
「そうだよ、なぜか、ネタがひらめく時に、太ももが思い浮かぶんだ、女子高生の……」
(そうであろう……今、お前たちは、まさしくその女子高生、ルナの太ももの中にいるのだ……)
「なに言ってるんだよ、全然意味が分かんねーよ!」  
(摩利支天を見てお前が言った、神の世界もお笑いだっていう言葉、私はとても気に入ったぞ。では、しばらくの間、ゆっくり休んでくれたまえ……)
 それっきり、その声は聞こえなくなってしまった。
「どーいう意味なんだろうな、太ももの中ってさ」
「とにかく、俺たちがまだ生きてるってことは、何となく分かるな」
「あぁ」
 二人は、まわりを包んでいる薄いピンクの膜のようなところに近づいた。近くに来ると、そこはだんだん透明になって、外が見える。
「なんか外が見えるけど、道みたいだぜ。それにしても、動きが早いな」
「歩いてるんじゃねーか!?」
 西澤が声を上げた。
「意味は分かんねーけど、ホントにここが女子高生の太ももの中だとしたら、その女子高生が歩いてるんだよ」
「えっ、じゃあさ、俺たち、すごく小さくなってるってこと?」
「そういう事になるな……。まったく意味不明だけど、今はここにいるしかねーだろ」
 二人はしばらく外を見ていたが、外の風景の揺れが激しいので、またその空間の真ん中の方に来た。
「そう言えば、さっき、プレゼントだって言ってたよな」
「あぁ」
「じゃあさ、別に悪い事は起こらないかもな」
「んー、もしホントにここが女子高生の太ももの中ならさ、その女子高生と一日中一緒だ、って事だからな」
 タケシの頭の中に、とつぜん様々な妄想が広がった。
「それはやべーな」
「やばいだろ」
 そしてそれから1週間の間、二人は様々な光景を見て、十分に楽しんだのだった。
「そろそろ飽きてきたかも、俺」
 タケシが言った。
「刺激もやがて、飽きるもんだな。またお笑いやりたいぜ」
 西澤も言う。
「そうだな。女子高生もいいけど、俺はやっぱりお笑いが一番だぜ」
「そうだな、その通りだよ」
 そんな事を二人が話していると、突然二人の意識は、少しずつ薄れていった。そして目覚めると、二人は、あの古民家カフェがあった空き地に倒れていたのだった。

「あっ!」
「あっ!」
 二人は同時に目覚めた。
「ここは、俺らがネタ合わせしてる所だ……」
「戻って来たのか?下北に……」
「夢……、だったのかな?」
「いや、夢じゃねーよ。いろいろ見ただろ?」
「いろいろ見たよなっ」
 二人は顔を見合わせてニヤニヤした。
「これからどーする?」
「んー、そうだな。とりあえず、監督に無事を連絡しないとな。それから、漫才だ」
「そう、漫才だなっ!」
 立ち上がった二人は、両手を高く上げ、うぉーっ、と叫びながら伸びをした。
 久しぶりに聞く夕方5時の時報が、下北の街に大音量で鳴り響いていた。

 二人が無事だったというニュースは小さく流れただけだったが、二人が無事を報告する久しぶりのツイートを見ると、女子高生のルナもホッとして、またクリスマスプレゼントをもらったように大喜びした。
 ただ、彼らがこの一週間ほど、どこにいたのか、何をしていたのか、なぜ生還できたのかは、全くもって謎だった。それを聞かれても二人はただ、”お笑いの神の世界で遊んでいただけ”と、冗談のような答えしか返さなかったのである。

(第7話 終)   第8話

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