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組織の強さを見る 集団凝集性と集団規範 -前編-

1.今回のテーマ

緊急事態宣言が解除され、リモート/テレワークを継続する企業もあれば、出勤率を少しずつ戻している企業もあるかと思います。世の動きとして、一旦は各社方針も定まってきたところでしょうか。

また、今だからこそすでに懸念されている第2波に向け、これまでの振り返りや改善を行っていくべきタイミングとも言われていますね。

リモート/テレワークを継続している企業とそうでない企業の分かれ目として、出勤率を戻す企業では「うちの組織はリモートにしてちゃんと回るのか、組織としての一体感が薄まっていくのではないか」という点を気にされていた方も多いのではないかと思います。(もちろん、業務上の理由もたくさんあると思いますが)

リモートor出勤。
どちらを選択すべきか。バランスをどこでとるのか。
私は一つの目安として「その組織の集団凝集性と集団規範」に目を向けると良いのではないかと思います。

第2波が訪れた時の組織維持の観点はもちろんですが、「集団凝集性と集団規範」はEmployee Experienceに注力していく今後の組織づくりにおいても、重要なポイントなのではと思っています。

ということで、今回のテーマは
「組織の強さを見る 集団凝集性と集団規範」


2.集団凝集性、集団規範とは

集団凝集性と集団規範という言葉、聞き慣れない方もいるかもしれません。
まずは、集団凝集性について。

『心理学的経営』によると、
「集団のメンバーをその集団に留まらせうる急進的な力が働く強さ」
と説明されており、組織における集団凝集性が高い/低いと考えるようです。

これって、昨今話題のエンゲージメントという言葉にも似ているのかなと思っています。(個人的にですが、最近エンゲージメントという言葉も捉え方が多様化してきていると感じます。あらためて、意味や目的を意識しないといけないですね)


ここで説明されている集団というのは、部門・チーム・プロジェクトといったオフィシャルな組織だけではなく、同期・飲み会仲間・社内サークル活動といったアンオフィシャルなグループも含まれており、企業はこのようなオフィシャルとアンオフィシャル両方の集団から成り立っています。(仮に最初はそのような集団が複数存在していなくても、人数が多くなるのに伴い様々な集団が自然と組成されていきます)

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また、書籍の中では集団凝集性を高める要因として、「集団が持つ目標の魅力」や「メンバー間の対人関係」、「心理的な安定」、「集団への高い評価をメンバーが認知していること」などが重要だと示されています。(これはGoogleのProject Aristotleの結果とも共通点が多いですが、この書籍は1993年に刊行されています)

そして、「その集団に属するメンバーの行動や判断を支配している」のが集団規範と呼ばれるものです。集団規範は実際には目に見えないですし、はっきりとは言語化されていないことも多いいわゆる暗黙知となるものです。

暗黙知とその対になる形式知については、SECIモデルで検索するといろいろと出てきますが、平たく言えば言語化できない知識や経験といったニュアンスです。形式知はその逆で言葉や図で説明できるものを指します。


この集団凝集性と集団規範が強固な組織は組織維持の力が強い。つまり、リモートで離れていても一体感を維持してばらばらになりにくいと言えるのではないでしょうか。

ただ、この集団凝集性と集団規範は目に見えません。なので、強い組織づくりを考えるには、まずはこれらがどのように形成されていくのかを知ることが重要ではないでしょうか。

集団凝集性と集団規範は、

①メンバー間で蓄積された暗黙知(記憶)の量
②それに対する個人の「意味づけと価値づけ」

によって形成されていきます。
前編となる今回は、①について整理していきます。


3.暗黙知の蓄積

上段で蓄積された暗黙知の量と書きましたが、まずは暗黙知を蓄積するってどういうことなのか。

『直感の経営』や『「わかる」とはどういうことか』によると、
人は物事を考えるときに無意識に「意味づけと価値づけ」というものを行っており、その結果として、ある出来事に対して自分の感覚的な対応が発生するのだそうです。(書籍では電車がゆれて足が動き、他人の足を踏んでしまったときに起きる頭と心の動きで例えられていますが、現象学や認知学を自分の拙い語彙力で説明すると余計混乱を招くので、ぜひ一度書籍を読んでみてください)

ポイントはその意味づけや価値づけは本人の無意識化の記憶と結びついており、その無意識の記憶の塊こそが蓄積された暗黙知です。

日常の中で「今日あの人元気なくない?」とか「あれ髪切った?」と急に気になったり目に留まったりすることがあると思いますが、まさにあれです。
普段その人がどれくらい元気なのかや相手の髪の毛の長さを意識して記憶している人は多くないと思いますが、いつもと違うとふと異変に気づく。
それは、無意識化の中で日々その人の元気具合や髪型を五感を通じて体験し記憶、蓄積しているということです。

この無意識化の記憶の量が少ない場合、組織やチームのことを考えようとしても自身の中で意味づけや価値づけの源泉となるものがないので、うまく気持ちがのらず集団凝集性や集団規範の力が弱い状態になります。

昨日集められたばかりのチームと10年ともに過ごしてきたチームとでは当然記憶の量が異なるので、チームに対する思い入れが異なりますと言われればそりゃそうだとなりますよね。

では、リモートor出勤の観点で、暗黙知の蓄積に違いはあるのか。
自分は明確に違いがあると思います。


4.リモートと出勤による暗黙知の蓄積の違い

暗黙知の蓄積は、無意識化の中で五感を通じて蓄積されていきます。なので、物理的に同じ空間(職場)にいるかいないかというのは、使える感覚器の数に差が出ます。
例えば、朝出勤した時に、「今日雨すごくない?」とか「なんか部屋寒くない?」と会話をしたとします。それ自体会話が言語を通じて、雨(=が嫌だった)や寒さを確認しあう記憶になりますが、それ以外にも相手の足元がすごいびしょびしょで冷たそうな様子や雨の日特有のオフィスの匂いだったりを無意識に感じて自分の記憶に蓄積しています。リモートになるとこのような無意識下で蓄積される共通の記憶が絞られてしまいます。

あとは、同じ場所にいるいないによって経験する出来事の数そのものにも違いがあります

例えば会議の始めによくある光景として、
そろそろ時間だなと思い相手の様子をちらっと見る。お、相手も準備してる、よし行こう。部屋の前に移動する。前の会議がまだ終わっていない。部屋の前で一緒に待つ。ふと相手やそれ以外で気になったことを声かけてみる(今日も忙しそうですね。髪切りました?雨やまないですね。廊下もっと寒くないですか?そういえばあの件、共有うけました?などなど)部屋が空く。どこに座るかお互いちょっと様子見る。前の人たちの熱気で部屋がムシムシしてる。送風いれますねの一言。ありがとうの返事。モニター接続を一緒にやる。会議スタート。

これって、時間にすると5分前後の話だと思いますが、この体験ってオンラインの会議ではなかなか再現できないと思います。(オンラインはそれはそれで、音聞こえるー?見えてるー?背景いいね。といった会話があったりしますが、自分が接続しないと始まらないですし、誰かが接続不良の場合でも横について設定みてあげることはできないです)

なので、リモートと出勤では確実に出勤の方が蓄積できる経験が多いというのはまず押さえておく点だと思っています。

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なので、今回の件でリモートでも十分に組織が維持できると感覚的に感じた組織は、まずはその蓄積が十分になされていたと言えると思います。

逆にリモートを検討する際、絶対うちでは上手くいかないと決めつけてしまっている方の中には、出勤で蓄積できる経験量とリモートのでの経験量の差を自然と懸念されていることが多いのかなと思います。
(特に入社する方への対応で、最初からリモートなのか最初は出勤なのか判断迷うケースはこの量の差への懸念が大きいと思います)

5.最後に

前段にて、出勤とリモート時の蓄積される記憶の差については述べましたが、重要なのはリモートでも蓄積はできるということ。その量の違いを理解して工夫すれば蓄積できる記憶の量も多くなるはずです。

そこで次に重要なのが、無意識な記憶が集団凝集性や集団規範として意識されていく際の「意味づけと価値づけ」です。

後編では、この「意味づけと価値づけ」に触れてみます。

今回はここまで。ありがとうございました。

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