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笑顔って、思った以上に

幼い頃の写真では、自然な表情だと、私は割合何かに集中したような表情をしてる。
私の好きな、「塀の上に座り、ぬいぐるみを抱えて、髪が風に流れている写真」も、なんかひたむきにマジな顔してる。

でも多分小学〇年生とかそういう雑誌か、もしくは漫画雑誌で、
「いつも笑顔でいるようにしましょう」と読んでから、私は少し心のバランスを崩してしまった。
真面目だったので。
自然にニコニコって、多分本来前向きでポジティブ、かつ、周りに愛情をたっぷり注がれて、よその人からも「可愛いね」と言われながら育ったなら、自然と身につくものなのかもしれないけど。

私の場合は割合親からは放置され、ディスられつつ育ったので、その経験を大人になってから話した人から「ネグレクト」だねと言われて、初めて腑に落ちたし、ホッとできた。

それに赤の他人からはあからさまに「顔が可愛くない子」とはっきり口にされ、そういう意味では幼い頃にいろんなものを自分は諦めなくては生きていけないと知った。

なのに、不思議に幼稚園の頃にはもう私を大好きな男子が何人かいてくれて、いつも大切にされていた経験が、一生私を支えてくれているとも思う。

だから、誰かを「好き」と言う行為は報われなくても、相手を一生守っている力になるかもと思うと、すばらしいと思うんだよね!

ブスでも投げやりにならず、自分が納得するように自分らしく、周りに合わせ過ぎずに生きていく事には、きっと何らかの意味があるんだろう。
こんな私でも、誰かの力になれていたらいいなと、いつも思ってる。

暗い子供時代と言うわけでもなく、近所には同年代の子供がわんさかいて、遊び友達にも幼馴染にも恵まれ、これ以上ない程楽しい子供時代を過ごしていた。

毎日空き地や公園、近所の山や海で、バレーボール、バトミントン、山歩き(これは子供だけで山奥に入るのはさすがに怖いと思い、あんまり行かなかった。不審者に跡をつけられたらヤバイし)海水浴(海のそばの町では、昔は子供だけでも結構泳いだりしてた)と、真っ黒け。

でも学校では、難しかった。
自由じゃないし、楽しくも無い。
勉強は得意だったが、どうもADHDの傾向があるのか、先生の指示を周りがさっと理解するのに、私は
「今の指示は、〇〇ということかな、それとも△△ということだろうか」と、ありえるであろう全てのシチュエーションを想定せずにはいられないとこがあって。
そんなことを考えてるうちに、先生の話が進んでしまい、ハッと現実に戻った時には途中から話が分からなくなってる、毎日。

でも勉強が得意だったので、性格も内気なのにずっと学級委員。
「先生の話途中から聞いてなかったけど、皆に聞いて・・・」と思ってると、先生が「あとは学級委員に任せる」と言われ、焦る事多かった。

学校生活でも友達に助けられ、人って少なくとも基本半分以上は優しい人なんだと思う。
気が合わない男子からは、美人とあからさまな差別とかあったけど、でも楽しい学生生活だった。

とはいえ、親との関係が影を落とす。

母は私が良い成績を取れば母のおかげでこの成績が取れたと、自分の功績にしてしまう。
が、100点でも学年に他に100点がもう一人いれば、もう文句を私に言い始める。それが一週間も1ヶ月も続く。一体どうしろと?
99点なら、なぜ1点ミスるのかと。
92点でも学年で一位だったよと言う場合も、そんな事いっても100点ではなくミスしたではないかと繰り返し朝も晩もネチネチは続く。
失敗は全て私が悪いが、良い事は全部母の功績となるシステム。

これで勉強やる気になる人、いるだろうか?

私は勉強が好きだった。答えを解くのも理解できるようになるのも、楽しい。
でもやってもやっても文句を浴びせられる毎日が辛くて、勉強をやる意味がわからなくなってしまい、高校で完全に落ちこぼれてしまった。

母は家事も料理以外全然しない人で、いくら頼んでも学校の制服をクリーニングに出してくれなかったのが何より辛かった。
自分で洗おうとすると、「縮んだりしたらどうするのだ、アイロンはかけられるのか、下手にやるとテカテカになるのに。知らないからね!」と言われ勇気がでず・・・
学校では臭いと言われていたと思う。
その事が人生で一番の汚点。

また外食や旅行もしない家族だったので一般的な経験が無く、例えば学校帰りに飲食店に寄っても注文や支払いの仕方とかがわからなかったり、なにもかもが初体験でおどおどした気分だったな…。

我家は貧乏だから親に何かをねだると困らせてしまう、そう思って育ったけど、実際我家は裕福で、母は私達姉妹が社会人になってからは高価な着物や宝石をたくさん買い、旅行も行きまくっていたから、学費の為と思って頑張っていたのだと思うので、感謝していないわけではないのだけど。

でもその中で笑顔を維持するには・・・
結局は作り笑顔のシチュエーションが多くなってた。
戸惑いつつ、笑顔のお面をつけて暮らすのだけでも、努力が必要だった。

へらへらと、意味のない笑顔をなんとなく浮かべて生きていた10代。

でも親と離れ一人暮らしをすることで、私は否定されるだけの毎日から解放されることができた!!
大学で個性イロイロの友人や先輩に恵まれて、私は私らしくても大丈夫なのかなって、思う事ができるようになって、次第に作り笑いが不要になっていったんだろう。
受験に失敗して入った大学と親は言うけど、私にとって母校は最高の大学だった。

でも反対に、気が付いたら40代頃には、普段余り笑顔の無い、厳しい顔つきが普通になってたんだなー。
楽しい会話とか、友人とか、TV観て笑う事は多かったんだけど。
育児って本当に他の何よりキビシイ仕事でもあるよね。
ワンオペで追い詰められてしまってた。

笑顔が無くなっていた事、自分では気が付かないものなんだね。

会社で後輩の事務員さんが入ってしばらくしたら、従業員の皆さんが彼女をみつけただけでぱーっと笑顔になるのに気が付いた。

彼女は美人でどんな場所でも周りから持ち上げられて生きてきたんだと思う。だから自然と心も明るく、周りの人から好かれて当然の自信もある。

自然な笑顔のパワー。

でもそれが、周りの人の笑顔を引き出しているんだな。

そう気が付いてから、私もマスクではあるけど誰かに会ったら、まずニコーっとすることを習慣に取り入れるようにしたのです。
良いと思うとすぐ取り入れるのが、私。

今まで生きてきた積み重ねがあるからか、10代の頃のような仮面の笑顔ではなく、どういうわけかわからないけど、〇〇サン、オハヨウ!って心で思うだけで笑顔が出るこの頃。
別に特別大好きかどうかは関係ないみたい。
年の功なのかなー?

お互い今日もガンバロ、とか、春も近いねとか、そんな気分で笑顔になれるようになった。
会社でイヤな事が無いわけではない。
一週間に二回は、もう辞めたい!って追い詰められた気分になってるんだけども。

笑顔に笑顔が返ってくると、元気になれるんだよね。

60代になってやっと、子供の頃聞いた「笑顔でいよう」と言う意味が分かったかも。

でもさ、それって子供にはちょっと難しくない?


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