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モチモチの木と花咲き山

Twitterのタグ「わたしを作った児童文学5冊」で花咲き山を挙げたんですが、タイムラインを見るとモチモチの木の方が多くて、ふと思った話。

作品概要

モチモチの木も花咲き山も、斎藤隆介さん作、滝平二郎さん絵の作品です。絵本という形態も一緒。

モチモチの木

豆太という、夜になると臆病な少年が、腹痛を訴えるおじいちゃんの為に怖さを振り切って医者を呼びに行く、勇気を問う話。
モチモチの木というのは豆太の家の前に生えてる大木。実からつくるお餅がおいしいことから命名。だけど夜になると枝葉を広げた様子はとても不気味で、豆太が怯える原因になってる。夜のトイレにおじいちゃんを起こして連れて行ってもらうほど。


花咲き山

アヤという女の子が、山で山姥に出会い、山に咲く美しい花は人の優しさによって生まれるという話を聞く。その中には、アヤが妹の着物を買ってもらえるよう、自分のを我慢した時のものもあって……。
双子の弟に譲った兄、命を懸けた大男……。山姥の口から、ほかにも様々な人たちのさりげない優しさが語られる話。


ちびっこに分かりやすいのはモチモチの木

概要はちょっとテキトーなところもあるので、気になった方は是非読んでください。

ストーリーを見ると、普段はできない子である豆太が、おじいちゃんのために奮起して行動するっていうの、とても明解ですね。ちびっこにも分かりやすいというか。だからモチモチの木の方が影響されてるのかなーと思ったり。

一方花咲き山は、誰かの目に見える善行とは限らないんです。場合によっては「そこまで遠慮することないんじゃない?」ってケースもあるかもしれない。善行のために自分が精神的に苦痛を感じたり、あるいは身体的にもマイナスになりかねない自己犠牲っぽいところもあります。豆太だって走ってお医者さんのところまで行って疲れたり(もしかしたらケガをしたり)っていうのがあるかもですが、それとはまた別というか。

あとぱっと見、長子が次子に譲る例が多いので、当てはまる人にはがっつり来るか、あるいは当てはまるからこそ反発するってのはあるかな。あくまでさりげない優しさなんですけど、なんで長子だからっていう理由で我慢しなきゃいけないのかって考えちゃう子は多いのかなーって。

善行は評価されたい?

豆太だって、別に世界を救ったヒーローってわけじゃないですけど、それでもお医者さんは彼が急いでやってきたことを知ってるし、なによりおじいちゃんは評価してくれるでしょう。
ちびっこ心には、それってアリアリじゃないですか。

一方アヤは、別に自分が報われなくてもいい、むしろ着物を買ってもらって喜んでる妹を見れたらいいぐらいの気持ちでやってて。花咲き山という、評価する存在(?)はあるんだけど、アヤが山菜取りに山へ登って、山姥さんに会わなければ、自分が評価されてることすら気づかないんですよね。せっかく評価してくれるなら、面と向かって褒めてくれてもいいじゃん!と思う子は多いかもしれない。

そんな花咲き山の方に影響を受けている私

まあその。長子だからってのもあるんですけど、一方で、身内ってより超然とした存在?に認められてるってところに今は萌えを感じたりもします(チビ当時はどうだったかわかりませんが)。
過剰に褒められるより、適度に評価してほしいというのもあるかな。なんか評価されない不満っていうより、無駄に持ち上げられて消費される方がトラウマ…かは分かんないけど苦痛で。

そもそも、普段の生活の範囲でやったことをさりげなく褒めてもらえるっていうのも、なんかいいですよね。豆太の行為はそれはそれでありなんですけど、やっぱり明確であるがゆえに、ヒーロー性を感じてしまうというか。
ストーリーとしてはあくまで狭い範囲での出来事なんですけど、心情的には、わかりやすいがゆえに、上で書いたように悪目立ちしかねない善性を孕んでいる……と、チビの私は思ったのかどうなのか(笑)

彩色への関心

これは余談ですけど、花咲き山はストーリー上、鮮やかさが必須なんです。それに魅せられたってのもあるかもしれません。芸術的関心は強いんで。
両作品はどちらも黒地ベースっていう、どこか和風ステンドグラスのような雰囲気があるんですが、ほかは白か緑ぐらいのモチモチの木に対して、花咲き山はより鮮やかで、まさにステンドグラスって感じなんです。

それも、花咲き山の方に惹かれてしまった理由かな。そもそも最初に読んだのは花咲き山の方なので、そのせいもあるかもですが。


以上、感想と想像と妄想の話でした。

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