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DIE WITH ZEROという生き方


コロナ禍の鬱のち、アフリカの大地へ

突然の鬱に見舞われ、引きこもり生活を余儀なくされた20代後半。

救いを求めて秋田の温泉宿に逗留してみたり、プーケットのビーチホテルで日光を浴びてみたり、なんとか突破口を探していた。

29歳。最後の手段ではないが、未踏の地、アフリカへ一縷の希望を託すことにした(滞在は2週間の予定でフライトを取ったものの、結局その後、アフリカで約3年間生活を送ることとなる)。

飛行機に乗っていたのは自分だけだった。もう死ぬまでこんなことないんじゃないか。

アフリカへ経つ日。社会ではコロナウィルスが蔓延しており、たしか外務省から不要の渡航はやめましょう、といった勧告が出ていた気がする。「不要」という言葉をどう受け取るかはむずかしい。

絶望にさまようなか、未知の大地へ旅立つことにわずかな希望をみている身にとって、アフリカへの旅は「要」かもしれないからだ。

アフリカでの日々の記録は、このマガジンに記してきた。

ポーカーの師ジェイソンとの人生旅行と、彼の死

後に自分にとってポーカーの師となるジェイソンとカジノで出会い、来る日も来る日も、二人で行動を共にした。とはいっても、朝までポーカーをやり、ゲームが終わった後はチャイナタウンでご飯を食べるルーティンくらいのものだけど。しばらく経ってからは、二人でチームを組んで、ポーカーテーブルの運営も行なっていた。

アフリカに居た、というより中国に居た、という方が正しいかもしれない。

そんな生活にも疲れ果てて、ジェイソンと二人、インド洋のケニア沖に位置する世界遺産の島、ラム島までドライブ旅をしたのが懐かしい。

ソマリアに近い場所ということもあり、何度も何度も道中、ローカル警察官に止められた。そのたび「コーヒー(500円くらい)」「ランチ(1500円くらい)」の隠語で賄賂を要求されるので、車の引き出しにいつでも渡せる小銭を大量に用意していた。

そんな旅を終えて、ポーカーで溜め込んでいた2万ドル程度を持ってラスベガスに遠征に行くことにした。ジェイソンは中国国籍なので、アメリカへの入国がむずかしい。

ラスベガスに滞在中も、折に触れてジェイソンと電話をして、お互いの状況をキャッチアップしていた。だけれど、人間の天命は気まぐれだ。

ある日、共通の友人からWeChatに連絡が入った。「ジェイソンが死んだ」と。胃の病気で入院。すぐに手術をすれば間に合ったかもしれないものの、何軒かをたらい回しにされ、帰らぬ人となった。

ラスベガスから再び、晴耕雨読生活

それからというもの、ラスベガスからケニアに帰っても、ポーカーをやる気が一切なくなってしまった。だから、何をするわけでもなく、ただただ読書をするだけの、文字通り“晴耕雨読”の日々を過ごすことになった。

そして去年の夏頃、所持金がいよいよゼロになりそうだ、というタイミングが来た。生きていくには金がかかる。アフリカに来てから気づけば3年が経過し、30歳をこの大地で迎えていた。

僕は元々、モメンタム・ホースという自分の会社で、ライター業を営んできた。せいぜい自分にできることは「文章を書く」ことくらいのものであり、今一度、日本に戻って仕事復帰してみることにしたのだ。

日本に帰ってから、ありがたいことに以前までのお付き合いの中から、仕事の相談を次々にいただくことができた(決して忘れることのできない恩である)。どこまで自分のスキルが錆びついているか、探り探りであったものの、一つ一つ全力で打ち返した。

所持金0円から、半年ほど真面目に働いたところで、1,000万円ほど貯めることができた。なので、次の半年はこの1,000万円を再びオールインしようと思っている。

『ゼロで死ね』というお金の価値観

僕のお金の価値観に決定的な影響を与えた一冊が『DIE WITH ZERO』だ。

20歳にとっての「1億円」と60歳にとっての「1億円」とでは、同じお金でも持ちうる意味や価値が天と地ほど違う。

お金の価値は年齢とともに逓減する。リスクを取らないことがリスク。記憶だけが死ぬまで複利が働くの資産。

目から鱗が落ちたというより、自分のこれまでの生き方が肯定された気になった。

どこまでいってもお金そのものに価値はない。あくまでもお金の消費先=目的こそが価値である。お金は増やすものでも、貯めるものでもなく、本義的には減らすものであるはずなのだ。

お金に対するスタンスは、そのままどう生きるか、という人生観と切ってもきれない関係にある。「今日より若い日はない」ように、ぼくら一人ひとりの命は日ごとに目減りしていく。

この残酷すぎる絶対的なルールは決して揺るぎなく、貯金通帳の数が増えようが、毎秒ごとに寿命はすり減っていく。結局のところ、あの世には一銭も持っていくことはできないのだ。

自己効力感と社会関係資本があれば、「えいや!」はできる

というブログでも触れたように、一度、自分は精神的に死んだ。そのことにより、今の人生はおまけというか、ラッキーというか、いい意味で実験台として生きられる心持ちがある。

目の前のお金に拘泥したり、吝嗇家であるよりは、可能性に対して解き放ってみたくなってしまう。それは、もしかしたら“破滅願望”と呼ばれるのかもしれない。僕はあることに気がついている。

人生にとって最も貴重な資源は「お金」ではなく「時間」。そして何よりも、“何かを成し遂げたい”という心の火だろう。その火をなくすと、どれだけ金と時間があっても、穴の空いたバケツ状態になってしまう。

僕が一番好きなエッセイ『えいやっ! と飛び出すあの一瞬を愛してる』(小山田咲子)の中に、脳天に電撃を与えた一節がある。

ある人が何かを本気でやりたいと思ったとき、その人以外の誰も、それを制止できる完璧に正当な理由など持ち得ない。そんなの、ありえない。

絶望的な鬱、アフリカの大地、ラスベガスの絢爛なカジノーーあらゆる体験と景色をくぐり抜け、いま暫定的に思うことは、「いつでも(自分は)再起できる」という“自己効力感”と、「いつでも誰かが手を差し伸べ、応援してくれる」と確信できる“社会関係資本”だけが、自分の本当の支えになるということだ。

その支えがあるならば、「えいや!」と飛び出せる自分の覚悟なり、勇気なりを愛でた方がいい。

ゼロになるかもしれないリスクはリスクじゃない。最大公約数から自ら進んで外れ値になる。失敗は学習・経験・コンテンツになる。非連続性を自分で生み出す。非合理の先にしか合理はない。

だから僕は「DIE WITH ZERO」を地でいく実践者でありたい。

明日から韓国・フィリピン、そして来月からラスベガスでポーカーの世界大会があるので、資金の限り、次々とエントリーするつもりなので応援してください。

ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。