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語学の散歩道#4 ボンジョーノゥ

タランティーノ監督の映画『レザボア・ドッグス』。オープニングのカッコよさに惹かれてDVDを買ったのだが、過激なブラッディシーンに耐えられず、見たのはたった2回。いつもなら気に入った映画は、少なくとも10回は見るというのに。

Mr.オレンジ(ティム・ロス)が腹部を撃たれ、血まみれになってのたうち回るシーンでボディーブローを食らい、Mr.ブロンド(マイケル・マドセン)がStealers Wheelの『Stuck in the Middle with You』に合わせて、踊りながら警官の耳を切り落とすシーンで完全にノックアウトされた。気が付いたら、息を止めていた。どうりで苦しいはずである。

映倫指定のあるショッキングな映像はとりあえず脇へ置いておくとして、オープニングに流れるGeorge Baker の『Little Green Bag』をはじめ、タランティーノ監督の選曲は最高である。DVDは無理でもCDならば大丈夫だろうとサントラを購入した。こちらは映像がないので安心である。もちろん、できるだけ例のシーンを思い出さないように十分注意をしなければならないが。

以降、『パルプフィクション』や『キル・ビル』など、激しい暴力シーンはクエンティン・タランティーノのトレードマークとなり、私の中で彼の作品は「CDで楽しむ映画」に分類された。


そんなある日、友人が勧めてきた映画が『イングロリアス・バスターズ』だった。

タランティーノ作品。

「血は出ないのか」と聞くと、あっさり「出る」と答えた。やっぱりね、という顔をすると、
「でも、007みたいな感じだし、大丈夫。漫画みたいだから」
と、こともなげに言う。私が無言でいると、
「頭の皮を剥いだり、銃の乱射で血飛沫が上がったりするけど、大丈夫。漫画みたいだから」
と、サラリと加えた。

これは怪しい。絶対怪しい。全く大丈夫な気がしない。頭の中で曲が再生され、マイケル・マドセンがステップを踏み始める。

♪ Well I don't know why I came here tonight
  I've got the feeling that something ain't right  
  I'm so scared in case I fall off my chair
  And I'm wondering how I'll get down the stairs

ところで、よく歌詞を見てみるとtonightとright、chairとstairs が脚韻を踏んでいる。リズミカルなステップはそのせいか。脚で、韻を、踏む。


その後しばらくして、別の友人からも同じ調子で本作を勧められた。大丈夫、漫画みたいだから、と。

買うべきか、買わざるべきか。

こうして、Amazonのほしいものリストに入れること2年。慎重を期していたにも関わらず、何の弾みか、八兵衛も驚くほどのうっかりさで「購入」ボタンをクリックしてしまった。どうしよう。もう後戻りはできない。

というわけで、そのDVDが手元にある。
あれほど怖がっていた割に、届いたその日にさっさと開封して見てしまった。怖かった。頭の皮を剥ぐシーンも、銃が乱射されるシーンも怖かった。でも、何よりも怖かったのは、ランダ大佐その人だった。なんだろう、この怖さは。ランダ大佐だけではない。ヘルシュトローム少佐も怖い。

彼らの怖さは一体何処にあるのか。


フランスのとある村での場面

ユダヤハンターの異名を持つSS将校ランダ大佐がユダヤ人一家を匿っているという噂のある家を訪ねる。床下にはユダヤ人一家が隠れている。出迎えた家の主人とフランス語で話していたランダ大佐が突然、「私のフランス語はこれが限界なので、ここからは英語でいいかな」と言語を切り替える。フランス語が流暢に話せるにもかかわらずわざわざ英語に切り替えるところに、英語を理解できる人物が家のどこかに潜んでいないか、反応を確かめようとする意図が見てとれる。この何気ない会話に見せかけた尋問がとても怖い。まさに獲物を追い詰めるハンターである。ランダ大佐役のクリストフ・ヴァルツは、実際に母国語であるドイツ語に加えて英語とフランス語が堪能なポリグロット俳優である。


フランスの小村にある居酒屋での場面

地下の居酒屋で、ドイツ人の下士官たちが女優を囲んで「私は誰でしょう?」ゲームをしている。そこへ、ドイツ将校に扮したイギリス人ヒコックス大尉を含むバスターズのメンバーがやってくる。ドイツ人女優は、実は連合国側のスパイで、大尉たちと作戦会議をする予定だったのだが、運悪く子供の誕生を祝う下士官たちが居合わせてしまったのである。隣のテーブルにいた父親になったばかりの若い下士官が、ヒコックス大尉の不自然なドイツ語を聞きつけて不審に思い、「大尉のアクセントは変ですね、どこの出身ですか」と尋ねる。このピンチに際して、ヒコックス大尉は無礼なヤツだとわざと激昂してその下士官を一蹴しようとしたが、突然ゲシュタポのヘルシュトローム少佐が店の奥から現れ、店内に緊張が走る。

「その新米の父親と同様、私もアクセントを聞き分ける。私も妙だと思った」

こうして命懸けの駆け引きが始まる。アクセントだけではなく、ボディーランゲージにもお国柄が出てしまう。この場面は非常にリアルである。正体を探るためのこの種の会話によって、これまで一体どれほどのユダヤ人やスパイや裏切り者が摘発されたことであろうか。

ここに、ランダ大佐やヘルシュトローム少佐の怖さがあるのだ。

なお、ヒコックス大尉を演じているミヒャエル(マイケル)・ファスベンダーは英語とドイツ語、ヘルシュトローム少佐を演じるアウグスト・ディールは英独仏の3か国語にそれぞれ通じており、さらにダニエル・ブリュールが英独仏西の4か国語、ダイアン・クルーガーが英独仏の3か国語を流暢に話せるというミスキャストなしの素晴らしい配役である。


さて、そんなインターナショナルなキャストの中で、一人アメリカ南部出身のアルド・レイン中尉だけがモノリンガルである。

プレミア作戦に“闖入”したアルド以下バスターズとランダ大佐との対面シーンが恐怖を通り越して爆笑ものである。当初の設定ではドイツ人に扮して潜入するはずだったが、頼みのヒコックス大尉がいない。そこで、ドイツ人はイタリア語が得意ではないという情報を前提に、イタリア語ならなんとか誤魔化せるだろうと設定を変更して作戦が決行されることになった。こうして南部訛りの英語以外話せないアルド中尉がイタリア人として映画館へ潜入したのだった。

ナチス映画の上映会で、女優にドイツ語を解さないイタリア人の友人としてランダ大佐に紹介されたアルドは、イタリア語で挨拶をする。

「ボンジョーノゥ」

イタリア語は少し分かると言っていたアルド中尉だが、米語アクセント全開のイタリア語である。これを聞いた大佐が流暢なイタリア語で名前を尋ねるのだが、ゴルローミの発音が上手くできないアルドは「ゴゥラァミィ」と答えて、何度も大佐から発音を確認される始末。ランダ大佐の怖さを知らないと面白さがわかりづらいかもしれないが、全編を通してみるとその面白さがわかる。俳優陣の表情にも注目だ。

メイキングによると、台本読みの際にアルド役のブラッド・ピットが「ボンジョーノゥ!」と読み上げた瞬間、一同大爆笑となり、あの素晴らしいシーンができたのだそうだ。なお、女優の足の怪我は前述の居酒屋での乱射事件で被弾したもので、登山中の事故ではない。ランダ大佐はすでにそのことを現場検証の際に知っている。

よく耳を澄ますと、ドイツ語でGips(英語字幕はcast)と言っているのが聞き取れる。ギプスはドイツ語だったのかと、こういう発見ができるのも多言語映画ならではである。


激しい暴力シーンやナチの皆殺しについての倫理性はここでは問わないとして、このワンシーンによって私は本作をマイベストに入れる。タランティーノ監督はインタビューで、この映画の要は言語である、アメリカ人は敵国の言語を学ばなかったが、第二次世界大戦で生き延びるためには敵国語の習得が重要だったと語っており、本作における言語の役割の大きさがよくわかる。

劇中の「私は誰でしょう?」ゲームも、正体を探るという点で、同じプロットをなぞっているといえる。言語はアイデンティティを表すが故に、習得すればそれを逆手に取ることもできる。ただし、相当に習得しなければ正体を見破られてしまう。それは外国語に限ったことではなく、母国語でも同じである。すなわち、話す言葉で出身地や「お里が知れる」というわけだ。松本清張の小説『砂の器』やオードリー・ヘップバーンの『マイフェアレディ』などを思い出す方もおられるかもしれない。


つまり、言語とは長い年月を経て地層のように降り積もったアイデンティティの土壌なのである。


<語学の散歩道>シリーズ(4)

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