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Le jardin de l’écriture :#1 ドゥルセ夫人


このところフランス語の人気は低迷気味である。

私が通う語学教室でも、昨今の事情で定員割れをして閉鎖されたクラスもいくらかあった。

そんな状況に一抹の寂しさを覚え、なんとかフランス語に興味を持っていただく方法はないものだろうかと思案した結果、自分の学習過程を共有してみてはどうかと思いついた。

授業のテーマは、中世から現代までの仏文学を読み、作品にちなんだお題についてフランス語で作文をするというもので、文法や語彙に苦しみながらも外国語で文章を読んだり書いたりするのは、なかなか新鮮だった。

授業の内容をそのまま公開することはできないけれども、テキストと自分の作文を掲載するぐらいなら構わないのではないか。自分で書いた仏作文を書きっぱなしにしておきたくないという気持ちもあったし、フランス語だけで綴られた美しいページを作りたいという意図もあった。そういうわけで、英語エッセイとともに投稿を始めてみたのだが、これは大いに的が外れた。

そもそもフランス語だけで書かれた記事に需要があるとは期待してなかったが、なかにはフランス語を学習しておられる方もいらっしゃるだろうから、多少は人目に触れるのではないかと思っていただけに、すっかり拍子抜けしてしまった。

周囲からも、「そんなの、誰も読まないでしょ」とクールな反応だった。まあ、その通りだけど。

とはいうものの、この猛暑日の中でぼんやり読み返したりしていると、なかには案外面白い作文もあったりするわけで(たぶん)、このまま埋もれさせてしまうのも何だか勿体ないような気がしはじめたのだ。
そこで、ここは美学よりも実学、と思い直して、今回日本語付きで改めて公開することにした。


再投稿するにあたり、日本語に訳した場合あまり面白くない話は省き、かわりに未公開の作文を追加して、10話ほどに再編集しようと思っている。

仏作文は、自作のため拙い文章ではあるけれど、フランス語学習者のレベルによっては、面白いと感じていただけるものもあるかもしれない。日本語でも外国語でも、書くことが楽しいと思っていただけたら、幸甚の至りである。


それでは、フランス語の世界へようこそ!


Le jardin de l’écriture

〜エクリチュールの庭〜


<第1回>
Amélie Norton アメリー・ノートンの『Tuer le père 』(父を殺す)を読んで、子供の頃の思い出を書いてみよう!

アメリー・ノートン(1966〜)
ベルギー出身。23歳のとき再来日し、三井物産に1年間勤務した。その時の体験をもとに1999年、日本の架空企業での理不尽な体験を面白おかしく描いた自伝的小説『畏れ慄いて』を出版。フランスでは50万部を売るベストセラーとなった。

*  *  *

Madame Dulce

 Je ne me souviens plus précisément l’événement de ce jour. Cela peut-être, serait une mémoire à posteriori imprimée par mes parents.

 Quand j’avais trois ans, j’habitais dans un appartement assez grand. J’étais la seule enfant japonaise dans ce quartier. À cette époque-là, les Japonais étaient rare au Mexique.

 Un jour, certains garçons qui étaient plus grands que moi sont venus chez mon voisin. Ils ont dit quelque chose. J’ai entendu qu’ils ont appelé « Dulce ». Alors, une femme a ouvert la porte. Et donc, j’ai compris qu’elle s’appelait Mme Dulce. Mme Dulce a regardé les gamins. Ensuite elle est rentrée dans sa chambre, et puis elle est revenue en tenant des bonbons à la main. Ils l’ont remerciée et sont partis. Mme Dulce a fermé la porte sans apercevoir que je regardais de derrière ma porte. 

  Je pensai quelque minutes. Mais finalement, je décidai d’essayer comme eux. Et alors, je suis allée devant la porte et j’ai appelé Mme Dulce avec courage. Mme Dulce a ouvert de nouveau la porte, et elle a trouvé une petite japonaise inconnue. Mais, elle m’a donné des bonbons sans rien dire. Je l’ai dit « merci », ensuite je suis rentrée chez moi, et je l’ai raconté à mes parents. Donc, ils sont allés chez Mme Dulce pour la remercier.

 Mais, quelque minutes après, ils sont rentrés et puis mon père m’a dit, «écoute, Ryé, Dulce n’est pas son nom, mais ça signifie le ´bonbon´ en espagnol! »     


ドゥルセ夫人


 その日何があったのか、正確には覚えていない。たぶんそれは、両親の話によってあとから刷り込まれた記憶なんだと思う。

 私が三つの頃、まあまあ大きな集合住宅に住んでいた。この辺りにいる日本人の子どもは私ぐらいで、当時のメキシコでは珍しかった。

 ある日、私よりもかなり年かさの男の子たちが近所の家にやってきて、何か言っていた。「ドゥルセ夫人」と、彼らが呼んでいるのが聞こえる。すると、女の人がドアを開けた。それで私には、その女性が「ドゥルセ夫人」という名前だとわかったのである。夫人は子どもたちを見やると、部屋の中に戻り、お菓子を手に持って再び現れた。子どもたちはお礼を言うと、去ってしまった。ドゥルセ夫人は、私がドアの陰から見ていたことなど気が付かないまま、玄関の扉を閉めた。

 私は、しばしのあいだ考えた。
やがて、意を決して彼らの真似をすることに決めた。ドアの前まで行き、勇気を振り絞ってドゥルセ夫人の名前を呼んでみたのだ。すると、夫人は再びドアを開けた。目の前には見知らぬ日本人の女の子がいる。しかし、夫人は黙って私にお菓子をくれたのだった。

 私は、「ありがとう」とお礼を言って家に戻り、両親にそのことを話して聞かせると、父と母はドゥルセ夫人にお礼を言うために出かけていった。
 ところが、しばらくして戻ってきた父が、こう言ったのだ。


「いいかい、Ryé。ドゥルセというのはおばさんの名前なんかじゃない。スペイン語で『お菓子』っていう意味なんだ」


Sempé の『Le petit Nicolas』風に描いてみた


— FIN —

※オリジナルの記事はこちら  ↓


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