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#17 モルスハイム

まだ肌寒さが残る春の朝。
青藤色の空に、キラキラと光の粒が泳いでいる。

そんな朝には何かを始めたくなるものだ。
新しい門出。それは、突然目の前に現れた門をくぐる時の高揚感に似ている。

そして、私が最もくぐりたい門がモルスハイムにある。

アルザス地方の小さな町、モルスハイム。
“扉絵”の門をくぐったその先には、Château Saint Jean シャトー・サンジャンという館がある。

モルスハイムというドイツ語読みのフランスの町は、イタリア語の名前を冠する車、Bugattiブガッティの聖地である。


2022年9月15日、創業者エットーレ・ブガッティの誕生日にあわせて、ブガッティとブガッティ・アルザス協会が『ブガッティ・フェスティバル』を開催した。

モルスハイムにあるシャトー・サンジャンに、なんと56台のヴィンテージ・ブガッティと5台のブガッティハイパースポーツカーが集まり、ここでの朝食会に参加した後、創業者ゆかりの地やドルリスハイム墓地を訪れ、アルザスを見下ろすヴォージュ山脈などを走行した。その後、モルスハイムのジェスイット公園でこれらの車両が一般公開され、市街パレードやコンテストが行われた。

ブガッティのクラシックカーが今も健在で、しかも走れる状態にあること自体まさに驚異的であるが、そのデザインの美しさが永遠であることにも驚かされる。

しかし、これほど多くのブガッティが一堂に会するエキセントリックな催しが開かれても、その場にいることができないというのは、なんとも残念な話である。


* * *

“ 暖房付きのガレージを持たない人の自家用車が寒波で動かなくなり、仕方なくタクシーで乗りつけて来たというエピソードがあります。エットーレは、その人物に車を売ろうとはしませんでした。『暖房付きのガレージが持てないようなら、ブガッティを買う余裕もないだろう』、そんな言葉でその人物をあしらったそうです ”

<ルイジ・ガリ氏談(Esquire誌より)>

* * *

ブガッティ車を買おうとした、ある顧客に対するエットーレの逸話である。

こういう話を聞かされると、複雑な気分になるし、戦争や貧困に苦しむ世界があることを思えば不愉快ですらあるが、これはエットーレ・ブガッティが自分の作品を「商品」ではなく、「芸術」であると考えていたからかもしれない。

それ故に、この車を手に入れることができるのは文字どおり選ばれし者たちだけなのである。

エットーレ・ブガッティの祖父、ジョバンニ・ブガッティはミラノの彫刻家で、その息子カルロは家具や宝石細工などのデザイナーとして活躍した。1900年のパリ万博に出品して銀賞を獲得、1904年にはパリに工房を作った。アントニオ・ガウディやヴィクトル・オルタを思わせるアール・ヌーヴォー様式にアール・デコのようなフォルムが加わったモダンな作風が特徴である。

カルロの息子のレンブラントは彫刻家であったが、31歳の若さで急逝。もう一人の息子エットーレは、芸術一家のブガッティ家において、1901年に四輪車を作り、自動車業界の道へ進んだ。ド・ディートリヒ社やドイツ・ガソリン・エンジン社で経験を積み、1909年ドイツ・アルザス(ヴェルサイユ条約でフランスへ”返還”)のモルスハイムに工場を設立した。

1921年、イタリアのブレシアでのグランプリレースに出場したT13は1位から4位までを独占し、『ブレシア』という愛称が与えられる。1923年末にはトレードマークとなった馬蹄型のラジエーターを持つT35を発表、1925年のフランス・グランプリで優勝を果たし、その後もヨーロッパにおける数々のグランプリレースで圧倒的な強さを誇り、ブガッティの名を不朽のものとした。

“世界で最も速く、最も美しい車”をモットーとするブガッティ車の黄金時代は、エットーレの息子ジャン・ブガッティが製作を手掛けた1930年代である。

その美しさは外観のみならずエンジンルームにまで及び、車を停めている間、ドライバーはボンネットを開け、エンジンルームの美しさを見せつけたという話まであるらしい。

そんなブガッティの伝説的な車に、T57SCアトランティーク・クーペがある。この車は1936年に4台だけ製造された。

その1台目であるシャシーナンバー(車台番号)57374は、イギリスの銀行家ビクター・ロスチャイルドが購入し、ロスチャイルド・アトランティークと呼ばれた。現在は米カリフォルニアのマリン自動車博物館が所蔵しており、2022年4月から開催されたスペインのビルバオにあるグッゲンハイム美術館の特別展に出展されたのは記憶に新しい。

3台目の57473はフランス人のホルツシュ夫妻が所有していたが、夫妻は戦争で亡くなり、二番目のオーナーが踏切事故で完全大破させてしまった。1955年のことである。近年修復されたものの、オリジナルのエンジンだけは救うことができなかった。

4台目となる57591はイギリスのテニス選手リチャード・ポープの手に渡ったが、現在はファッションデザイナーのラルフ・ローレン氏が所有している。この57591のエンジン音が聞ける貴重な動画がある。


さて、問題の車は2台目の57453である。

この車は顧客ではなくジャンのために作られたものだが、1938年以来行方不明となっている。第二次世界大戦の勃発で、戦禍から免れるために何処かに隠された、あるいはナチスによって接収された、などと言われているが、現在もその所在はわからないままである。見つかれば百億円を超える破格の値がつくという噂もある。

当のジャン・ブガッティは、1939年T57Cレーシングカーのテスト走行中に急に車道に現れた自転車を避けようとして森に突っ込み、命を落としてしまう。わずか30歳という若さであった。

一方、車のほうは、このモデルから2019年にLa Voiture Noire(黒い車)がジュネーブ・ショーで発表され、その価格は約14億円だったとか。

さらにブガッティ社は同年、中東のドバイでブガッティ・ヴィラを販売。人工リゾート都市のアコヤ・オキシジェン内に建設された『エットーレ971』という邸宅は、モダンでスタイリッシュなミニマリズム建築で、ベッドルームが7部屋とブガッティを収納することができるリビングルームがあり、屋外にはプールとタイガー・ウッズが設計した『ザ・トランプ・ワールドゴルフクラブ・ドバイ』というゴルフコースを備えているそうだ。

ブガッティ・ブランドの名声も価格も天井知らずだが、「金持ちの道楽」として簡単には片付けられない美しさがそこにはある。


燃料費の高騰やSDGsへの取り組みが声高に叫ばれ、昨今の自動車業界が大きな変革と挑戦を求められている中、”走る彫刻“を作り続け、自動車を芸術へと昇華させた自動車界のディーバ、ブガッティ。

車は単なる交通用具ではなく、ファッションであることを改めて認識させられる。

 < Bugatti Type 57 Stelvio >

しかしながら、栄光あるブガッティの歴史にも暗い過去がある。

第二次世界大戦中、ナチスによるフランス侵攻の際にアルザスは真っ先に陥落し、モルスハイムの工場はドイツ軍のための武器製造工場となった。
戦争が終結し、フランス解放を迎えると、エットーレはナチスへの協力を疑われて起訴されてしまう。免罪になったものの1947年にエットーレはこの世を去った。

会社のほうはエットーレの死の10年後に倒産、イスパノ・スイザ社に買収される。さらに、そのイスパノ・スイザも経営が破綻し、1987年にイタリアの実業家ロマーノ・アルティオールが買い取るまでは地元自治体の管理下に置かれていた。生前エットーレが顧客をもてなしたシャトー・サンジャンはその間に廃墟と化し、浮浪者の寝床になっていたこともあったそうだ。

EB110発表後の1995年、再び経営破綻に陥ったところをフォルクス・ワーゲン社が1998年に買収し、100%子会社として傘下におさめた。

同社は2000年にブガッティ・オトモビルを公式に設立し、シャトー・サンジャンも修復された。
城の南には、ブガッティのエンブレムを模した楕円形の「アトリエ」と呼ばれる工場が建設され、その形から“ブガッティ・マカロン”という愛称が付けられたらしい。

2005年、ブガッティ・オトモビルはハイパースポーツカー『ヴェイロン16.4』を発売。その価格は100万ユーロ、日本円にして約1億6000万円相当の高級スポーツカーである。


そんなブガッティに乗るのに自動車保険はいくらぐらいになるのだろう、などという庶民的な発想をしてしまう私には、たとえリースであっても運転することなど夢にも叶わない。

ならば、せめて助手席で至福の時間を味わいたいという願いくらいは叶わないものだろうか。

胸元と背中が大きく開いたサテンのドレスを纏い、大きめのシルクのショールでさりげなくデコルテと背中を隠し、つばの広い帽子の縁から薄いヴェールを垂らし、大きめのサングラスで顔の大半を隠せば、かなり遠目にはボンドガールに映るに違いない。

そして運転席には、ジェームズ・ボンド…。
と言いたいところだが、実は彼はこれまでに数々の名車を大破させてきた経歴を持っている。
『ゴールドフィンガー』でアストンマーチンDB5をスクラップにした時は、気絶するかと思った。こんな彼には、保険会社だって絶対に契約を引き受けてくれないはずだ。

というわけで、
私がハンドルを託すのは、この男、

<『トランスポーター』フランク・マーティン>

ルールは三つ。

 一、契約厳守
 一、依頼主の名前を聞かない
 一、依頼品を絶対に開けない


リースリングとキッシュ・ロレーヌを片手に、フランクと一緒にアルザスの街を駆け抜けるのだ!


<一度は行きたいあの場所>シリーズ(17)

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