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<ロダンの庭で> 草を枕に

かつて、女流エッセイストと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、向田邦子さんだった。


 卵を割りながら、こう考えた。
と書くと、なにやら夏目漱石の「草枕」みたいで気が引けるが、生れてから今までに、私は一体何個の卵を食べたのだろう、と考えたのだ。

そんな書き出しではじまる「卵とわたし」が、向田作品との出会いであった。たまたま読んだこの随筆で、女性エッセイストといえば向田邦子、という公式ができた。

ついでながら夏目漱石の作品は、個人的に小説よりも文明論の方がよほど面白いと思っているのだが、小説ならば随筆のような『草枕』が好きだ。とくに冒頭の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という箇所は、もはや私の聖書である。


そして、時代を遡ること一千年、平安いにしえの女性エッセイストといえば、清少納言。


春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは  
少し明かりて  紫だちたる雲の細くたなびきたる

という一節にはじまる『枕草子』は、エッセイの源流といえる。


高校の時、なぜか現代文の時間に短歌の創作が課題に出された。そしてどういうわけか私の歌は、先生から「清少納言の歌だ」と評された。もののあはれなノヴェリスト紫式部でもなく、恋愛のトルバドール小野小町でもなく、私の歌は、エッセイスト清少納言だった。

どのあたりが清少納言だったのか当時も今もわからないが、夏目漱石、草枕、枕草子、清少納言という連想が、エッセイと草の香りを結びつけた。

さらに、エッセイと草といえばもう一つ、吉田兼好の『徒然草』がある。


こうして、しだいにエッセイとは、風にそよぐ草の香りが鼻先に匂いくるような文章なのだと思うようになった。

と、こんなことを一年前に書き付けていたのだが、その後、面白い企画に出会って自分の読書癖について考察する機会を得た。



気づかぬうちに、同じことを書いていた。
自分の原点は、夏目漱石と清少納言だと。

案外本当に好きなものというのは、生涯を通じてほとんど変わらないものなのかもしれない。きっとそれが最終的に自分の骨格を作るからだろう。肉体と同じように、精神も背骨が必要なのだ。


私が書くのは、たいてい旅や語学の話である。
なぜならそれが私の好きなことだからだ。
ところが、熱く語りすぎるあまり、いつのまにか「語学が得意な人」という印象を周囲に与えてしまったらしい。外国語は、私にとって好奇心と探究心を掻き立てるものであり、素人目線ながらも自分の目と耳で発見することの楽しさを伝えるつもりで書き連ねてきたのだが、結果的に当初の思惑から大きく外れてしまった。折に触れて自分の語学への姿勢は、富嶽百景ならぬ苦学百景であると弁明しているが、これはひとえに私の悪筆が招いた結果であるから、今もしきりに反省している。


ところで、私がコンセプトを設定して記事を書くのは、雑誌のコラムを書きたいという長年の夢があったからである。そのため主題ごとにマガジンを作成し、月刊誌のようなスタイルにしている。すべての記事に目を通してくださる方、好きなテーマや記事だけを選んで読まれる方など、読み方が人それぞれなのも面白い。

今年は英語記事を一時休刊し、それ以外のシリーズを書き続ける予定だったが、昨年の初め頃から新たに取り組みたいと考えていたことがあった。


それは、「ただのエッセイ」である。


つまり、テーマも頻度も何も決めず、ただ書きたいときに書きたいことを好きなように書く。心に浮かんだ雑多なことをその時々で語りたいとぼんやり考えていた。

ただし、字数だけは2000字以内に絞り込むつもりでいる。とくにここでそれを宣言する必要はないけれど、目標はある程度明確なほうが良い。


一方、読み手としては、現在フォローしている方の記事ですら追いつけていない状況で、せっかくフォローしていただいてもなかなかフォローバックできずにいることを、大変申し訳なく思っている(本当に申し訳ありません…)。


さて、話は変わるが、随分昔に放送された番組に、『ワーズワースの庭で』というのがあった。続編で『ワーズワースの冒険』が放送されたが、私はどちらかというと前者の方が好みだった。
といっても、決められた時間にテレビの前にいるのが苦手なので毎回見ていたわけではないのだが、それでも週末の夜にたまたまこの番組を見ると、なんともいえない余情が心を満たし、まるで異次元の世界を旅した心地がしていた。



『ロダンの庭で』というシリーズ名は、この番組から着想を得た。ロダンは、あの『考える人』を作ったロダンでもあり、「露壇」という言葉からもじったものでもある。


階段を降り、庭先に出ると、草の香りに包まれる。そんな世界が描けたらいいと思う。もちろん草の香りはさまざまだから、いつも心地よい香りだけが漂うとは限らない。しかし、それもまた四季の移ろいであり、人生のさまであろうと思う。



<ロダンの庭で>シリーズ 序章

※この記事が収録されているマガジンはこちら↓



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