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虚実皮膜

虚実皮膜

虚実皮膜
近松門左衛門の芸術論で、芸の真実は虚構と現実との微妙なはざまにあるとするもの。穂積以貫(ほづみいかん)の聞き書きによるとされる「難波土産(なにわみやげ)」(三木平右衛門貞成著)の発端に紹介されている。

虚構と現実の狭間で芸は存在する。

エンターテイメントの神髄。
プロスポーツはエンターテイメントの側面が多い。
虚構が過ぎると八百長と言われかねない。

虚構と幻想の狭間がプロスポーツのエンターテイメントのなかに存在し、
八百長を廃し、"真剣勝負"が存在し
ひとびとを魅了しているのかもしれない。

過度の演出は無いし、ハプニングも起こる。
絶対が無いのだ。

逆に演出のもとの絶対には魅了されないのか?

日曜日の夕方、
「笑点」がはじまり、
「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」がはじまると
多くのひとが憂鬱をおぼえる。

ボクは比較的無縁であるが

ひとびとは多くのものが自分以外のモノに支配や管理、コントロールをされている。

"そのこと"に気づかないように、気づかないフリをして大人になればなるほど生きていく。

大人になったらなかなか抗えないのである。
不自由のなかに自由を見いだし、"平等"であるとおもい、生きていく。
不公平を無視し、不平等を忘れるのだ。

不平・不満に気づかない、気にしないフリをして、
ストレスを抱えて疾患になったり、自死するひとも居るのかも知れない。

不感症や無関心な方が生きやすい世界で
いつしかこどもは大人になっていく。

教育と言う洗脳により、気づかぬ間に大人になっていくし、
こどもが大人に支配されていくのだ。

こどもは守るべき存在ではなく、
守ると称して大人の不条理を押し付け、
洗脳し変えていくのである。

夢を抱くより現実をちゃんと理解させずに。

幸せは自分のなかにあり、
自分で育むものなのだ。

自分なりで終わるのか、
自分らしくで終わるのか、
大きな違いである。

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