一橋マンキューソ准教授(15)【速報】8月26日国立市長との面談

今日8月26日午前、国立市役所に行ってきました。国立市長と再度面談するためです。

前回8月1日に一橋大マンキューソ准教授の差別について新差別禁止条例(人権・平和条例)に基づき、人権救済申し立てを行ったのですが(下記記事など参照)、それに対して回答書を渡すと連絡があったのです(8月21日午前)。のちに市長も同席されることになりました。

※マンキューソ准教授の差別についてはこちらのキャンペーンをご覧ください。

以下、その報告をとりいそぎ記録も兼ねて公表いたします。市長の勇断など、今後各自治体のヘイトスピーチ対策条例に関しても重要ないくつかのことがありました。

面談時のメンバー

参加者は、国立市側は永見市長、市長室ダイバーシティ推進係職員3名。こちらは私、ARICの一橋大学生の2名。それから国立市の新差別禁止条例(人権・平和条例)制定に尽力された上村和子国立市議が参加しました。

当初の回答書の内容。審議会に諮問は困難!

まず最初に、当初国立市が用意した回答書を手渡され、市長自らその内容をご説明くださいました(後述するとおり、あとで市長自らの決断で回答書は撤回されます)。

その回答書は大まかに言いますと次のような内容でした(撤回され私はコピーも含め返却しましたので、メモと記憶を頼りに書いています)。

1.本件について、未だ人権・平和条例の基本方針など個別案件の人権救済をどのように行うのか定まっていないうちに、個別案件について、国立市人権・平和のまちづくり審議会(以下、審議会)に諮問するのは困難だ。
2.私が8月1日付で提出した要請書は、8月5日の第一回審議会では委員長・副委員長に手渡され、次回審議会で委員に配布される予定だ。
3.法務省人権相談窓口を私に紹介する(ホームページのアドレス)。

唖然としました。

回収された当初の回答書には、いくつも疑問点がありましたが(そもそも指諮問しないのはおかしい等)、与えられた時間が9時15分から30分に限られたので、事態の緊急性だけお伝えすべく、だいたい次のように訴えました。

市長との面談の内容

私は市長に、おとといの8月24日は何の日か、覚えておいでですか、と問いました。

そうです、一橋大学で2015年にかのアウティング自死事件が起きた日です(事件については例えばこちらの記事をご覧ください)。

回答書がこのまま交付され、そしてマスコミがそのまま報道すると、マンキューソ准教授の深刻な差別があたかも救済に値しないものであるかのようなメッセージを送ることになります。ですから、

消極的な回答ではなく、積極的な市長の反差別メッセージが必要なのです。

「その意図がなくとも」というところが重要です。客観的に、国立市の行動が、どんな社会的影響を与えるか。この観点から、差別対策は考えられねばならないのです。

しかしお話をしていて、市長ご自身にも、市の担当職員にも、本件で審議会に諮問しないという回答書を交付することが、国立市が現在進行形のマンキューソ准教授の差別にどのような影響を与えるか、あるいは被害者にどのような影響を与えるか、という観点は薄かったように思われました。

しかし一方で、それは本意ではないことも、よくわかりました。

じつは市長は開口一番、私が提供したマンキューソ准教授が私を攻撃し朝鮮人を差別する発言を聞いたと言い、ショックを受けたと言ったのです。

そして質問のなかで上のようにハッキリと、聞けばそれは差別だ、と明言したのです。

これには意味がありました。私は反差別運動でいろんな方とお会いしてきましたが、差別を差別だと明言するタイプの方は非常に少数派です(差別を差別だと市長が明言するだけで、頼もしく見えてしまう日本社会もおかしいのですが)。

この市長の発言を、もっと広くマスコミに公表すべき、だと私は伝えました。行政の長が、差別が許せない差別だと明言することで、それじたいが一つの抑止効果も持つのですから。

そして市長は、

こういうやり取りの中で市長は回答書を自らの判断で撤回すると明言されたのです。

もともと市長としては次のような認識だったそうです。

つまり市長としては当初から、新しい人権・平和条例で諮問するのは難しいと考え(その点についてだけ回答するための回答書を用意した)たものの、他方で市として一橋大学に何ができるかを「みなさんの意見を聞きながら」考えていく、そのために今日「ざっくばらんに話がしたい」と明言されたのでした。

当初の回答書を市長自ら撤回され、今後も話し合いを継続し一橋大学への対応を模索するということをお約束いただいたので、こちらとしては大変有意義な場であったと思います。

このご判断の背景には、本件が少なからぬ社会的注目を浴びていることがあることは否めないと思います。下記キャンペーンにご支援くださった皆様に、深く感謝申し上げます(また国立市を動かすためにも、一橋大学を動かすためにも、もっともっと署名が必要なので、ぜひご賛同・拡散に協力ください)。

明らかになった国立市の悩み

ほかにも書くべきことがありますが、最後に、上に書いた国立市と私たちとの「認識の「隔り」」について書いておきます。

両者とも、マンキューソ氏の差別発言(録音を市長も市長室職員も聞いています)が許されない差別であること、また差別をどうにかしないといけないことは一致しています。しかしズレもある。

認識の「隔り」の一つは、行政の行為がもつ社会的効果に対する認識の甘さです。

これはすでに書きましたが、つまりは差別やハラスメントを恐れて学校に行くのが嫌で嫌で仕方ない、追い詰められたマイノリティにとって、夏休みの終わりのこの時期に、しかもアウティング自死事件が実際に起きたこの時期に、ゼロ回答を出すことの社会的意味──マイノリティの力を奪い、マンキューソ氏ら差別加害者を勇気づけ、「第三者=傍観者bystander」には差別が起きてもそのまま「傍観」するのが正しいのだと思わせる──への認識の甘さです。

第二の「隔り」は、大学自治に対する固定観念です。一橋大学が何か、国立市が入れない「聖域」であるかのように、どうも思い込んでおられるのではないか。

じつは市長は面談時に、私が提供したマンキューソ氏の差別発言について、大体次のようにおっしゃられました。それは極めて深刻であるがしかし、

もちろん大学自治は尊重されなければなりませんが、しかし差別を放置するのは大学自治では全くありません。最悪のアウティング自死事件にさえ誠実な対応もできず、差別を繰り返すマンキューソ准教授に何も言えない大学自治など、大学自治ではないのです。

私は大学通りで差別が起きるのと、一橋大学で差別が起きるのと、基本的に同じ対応で良いですよ、とお伝えしました。

第三の「隔り」は、国立市(特に市の職員)が「市の反差別行政がやってはいけないこととは何か」と問う思考様式に支配され、本来考えるべき「市の反差別行政は目の前の差別をなくすために何をすべきか」と考えられなくなっていることです(言い換えれば自分たちに差別をなくす権限が本当にどれだけあるのかと疑うよう習慣づけられ、目の前の差別をどう止めるのかという積極的行政施策を考えられなくなっている)。 

市長室の苦悩はよくわかります。全国どの自治体をみても、おそらくロールモデルなど見あたらないからです。

しかし積極的に行政が差別に反対する例は、欧米はじめ諸外国(つまり社会運動先進国)を見渡せば、いくらでも例があります。私の過去記事をご参照ください。

例えば米国のシャーロッツビル事件が起きた時、即座に州知事が白人至上主義者は「帰れ」とコメントを出したように、政治家や首長が重大な差別事件が起きた時即座に反対コメントを出しています。

このように国立市長は、即座にマンキューソ氏の差別発言を非難すべきなのです。

こういう市の態度表明があってこそ、市民は差別が悪であることを再確認し、差別や極右に脅えずに安心して暮らすことができるのです。

時間がきたので、本日の報告は以上にします。

国立市長に、ぜひ9月1日前に、あるいは9月17日のマンキューソ准教授の授業開始日前に、本件につき差別を非難するコメントを、と訴えました。市長は考えるとおっしゃいました。市長や市長室スタッフが知恵を絞り、実効的かつ大胆な反差別行政を行うことを望みます。

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