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Young brains learn best when they feel calm

行ってらっしゃい、ただいま、おかえり。
学校行きたい行きたくない。

朝登校見守りを再開した直後、近隣の小学校へ爆破予告事件があったことを知りました。結局何事も起きず、ただほっとしました。


そして、


こどもたちが安全だと感じる気持ち、自分たちは見守られてると感じる気持ちが、こうやって踏みにじられることに憤りを感じました。

また休校になるのかもしれない。

でも、「普通」でありたい。

ウイルスだけじゃなく目に見えない圧力に、怯えて暮らしたくない。

子どもが愛する普通の生活、安心して育つ気持ち、それを踏みにじるなんて!とふつふつと怒りが沸いてきた時、

ふと考えた。

じゃあ、あれも、こんな気持ちから?


Black Lives Materについて思うこと

5月末に報道が始まり、世界的な拡がりとなっていったBlack Lives Matter。その背景に関する知識をちゃんと持ち合わせていないことは元より、目の前のコロナ禍に、思考停止して声を出さない自分が情けないと思いつつ、言語化出来ずにおりました。

大きな音や罵声が苦手で、テレビ等で繰り返し流された暴力的な怒りに満ちた映像に心が痛むのがその理由のひとつ。

デモって、伝えるって、こういうものなの?と子どもに思わせたくなく、見せたくない。薄いまくに覆って、安全地帯で過ごさせたい。

その結果、子どもは「アメリカって怖いね~!日本に居てよかった。」とか言い出した。

これはいかん。

違う方向でいかん。

このままではおかしいと伝え、行動に移すことが、どうして暴力的なデモ映像とつながってしまったのか、ただでさえ不安定な状況の子どもに対して、どのように伝えれば良いのか、大人自身も迷っている状態を、子どもに伝えてもよいのか。。悶々。

セサミストリート動画も見せてみたけどさ。

自分は守られていると思う気持ちで、子どもは力を発揮する。

そんな時、イギリスガーディアン紙で9月からの新学期を前にして、子どもへの接し方が書かれた記事が出ていました。

キーワードのひとつに、

「本人の気持ちをまず聞く(一番大変だけど!)こと」があげられています。

これは子どもだけでは無く、この混乱下の大人にも通じる視点だと感じます。(子ども相手の扱いと、差別問題を一緒くたにするな!といつか怒られそうですが)、国際問題の専門家でも無く、未だこれだという解決策が見つからない根深い問題に対し、

私が感じるのは、見えない壁で一方的に断ち切られた安心。

生まれる混乱、怒り。


日本で、のほほんと暮らしてきた生活者として、「今回の小学校爆破予告を聞いて、私が感じた憤りの気持ち」から、「Black Lives Matterの活動参加者が感じた怒りの気持ち」へつながった重なり。

自分たちの子どもを安全に育てたいという気持ち。

安全・安心して過ごせる社会であってほしい。次の世代に、負の連鎖をつなぎたくない。

重なりは、そこからだと思うのです。

まず聞くこと。知ること。想像すること。ネットや画面越しの情報で自分の意見を決める/確かめるは危ういけれど、こんなに抗議の声があがっていったのは何故なのか。

どうしてこんなに怒りが生まれていくのか、その怒りはどう昇華していくのか、私達なりに考えられるはず。

平和的な抗議活動を見るとほっとする。


そんなことをひたすら考える沈黙後、ベタですが「住んでいる場所や、肌の色、男の子か女の子か、で決まっちゃう。決めつけられちゃう。時に命の危険まである。それってあなたならどう?」と尋ねることから始めています。うん、ベタだけど。

「子どもの安心・安全を守りたくてがんばる大人も参加している活動だよ。」

と言ったら、

「ふーん・・・でも、悪い人の怖いお顔しているよ」

と納得いかない様子でした。

悪いお顔ってどんなのよ。いったいどんなバイアスかかっているのよ。

低学年の子ども、ネットや画面越しにうけた情報が、そのまま事実として受け入れられてしまうことに怖さを感じつつ、自分が何気なく過ごす社会が、それを許容する場所であって欲しくない。でも、私も子ども自身も混乱のなかにいる真っ最中。

難しい、答え分かんない、だけど、守りたいから考える。


大切なものを何度も壊されることへの怒りと戸惑い、混乱。


社会的弱者という扱いで声をあげることを許されなかった怒りは、こうして書いたり誰かに伝えたりすることでかたちを変えて、社会を変革したい気持ちにつながる。この混乱は、ポジティブな変革になりえる。と信じる気持ちでしかないのです。




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