自分の文章が、お金に変わるということ
きっかけになった1冊
僕が本を読み始めたのは中学生のときだった。
僕は今30歳なのだが、当時はまだ読書感想文という文化が残っていて、何冊か先生おすすめの本のタイトルが渡された。
そのなかにあった読書感想文の題材としてはあまりにメジャーな1冊が、僕に大きな影響を与えた。
それは『伊豆の踊子』だった。
青春時代に出会った、青春文学
ノーベル文学賞を受賞した数少ない日本人、川端康成の作品。
『伊豆の踊子』は青春を文学として結晶させたものの内で、おそらく最高峰のもの。
私たちがイメージする青春が、そのまま作品のなかにある。
映画『サマーウォーズ』とかもいいけど、『伊豆の踊子』は原点にして頂点という感じがする。
僕はそれから同作者の『雪国』へ進んだ。
「トンネルを~」の書き出しでおなじみのあの作品だ。
あまりにも美しい世界観に衝撃を受けた。
雪の冷たさとか火の温かさとかがまるですぐ目の前にあるかのように感じられるのだ。
同時にこのときから文章のすばらしさに目覚めていった。
中学校の教科のなかでも国語は得意で、唯一100点を取ったことがあるのは国語だった。
当時の国語の先生が人気のない先生で、僕が100点を取ったときもノーリアクションだったのを今でも覚えている。
今は僕も塾講師として子供に接するが、生徒が100点を取ってコメントなしは本当に信じられないという感じがする…。
それはさておき、つまり中学生のときに川端康成を読み文学、ひいては文章に興味をもったというわけだ。
理系の道へ進んだが…
それからの学生生活は、本は継続して読みつつも工業系へ進んだ。
そのため国語を習う機会が減り、代わりに数学ばかりになった。
数学も、問題を解いたときの快感があって好きだった。
そしていつのまにか、理系or文系の定番の質問には、特に悩まず「僕は理系の人間です」と答えるようになっていた。
違和感を持ち始めたのは社会人になってからだった。
20代後半でやっと気づく
工業系の人と人間として話が全然あわないのだった。
考え方も全然あわない。
おもえば高校時代もなんとなくそうだったし、大学でも学科の友達はあまりなく、部活関係の人とばかり遊んでいた。
自分が文系っぽい人としか話の波長が合わないと分かったのは20代後半くらいだと思う。
こういうのってみんないつ気付くものなんだろうか?
それこそ中学生のときから知っていたら全く別の人生だったろうに、と思う。
でも過去のことは考えても仕方ないので今後のことを考えていくしかない。
ドンマイ、自分。
たっぷり15年かかってようやく
前置きが長くなってしまった。
つまり、理系科目を使って仕事してお金を稼いで生活していくつもりでいた僕だったが、それが叶わなかった。
20代後半から文系のような仕事をイチから探すというのは大変なことだったけど、大卒資格を活かして家庭教師や塾講師の仕事を得ることができた。
教科は数学が中心だったけど、じゅうぶん文系っぽい仕事だと思った。
一緒に働く周りの人たちも、話のできる人たちばかりだ。
そんな矢先、クラウドソーシングというものを知って、ライティングに挑戦することにした。
「これがまさに自分のやりたかったことだ!」
と思った。
中学生のときに芽生えていたものが、ようやく咲く場所を見つけたように感じた。
15年以上かかったことになる。
しかもその15年はそれこそ貴重な青春時代だったけれど、悔やんでも仕方ないので全然悔やんでいない…。
そうしてなんとか少しずつ自分の文章に値段がつくようになって、今これを書いている自分に至る。
今後は文章に接しながらお金を稼いで、そのお金で生活ができたらそれだけで幸せに思う。
勉強机に置かれた『伊豆の踊子』の文庫本の背表紙を、思い出しながら。
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