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コンヴィヴィアリティのための道具としての新聞

コンヴィヴィアリティのための道具としての新聞
2022

〈横浜市郊外住宅地でのプロジェクトを通じて〉

かつての情報発信の拠点である新聞配送所は高度経済成長期では街のコミュニティにとっても大きな役割を担っていたが、その存在は情報化が急速に発達した現代においては不要なものへとなってしまった。

同時に情報というメディアは私たちの身体性を超え、今日のそれらは制制御不可能な存在である。

一方でまちには地域新聞を懲りずに毎月発刊する住民がいるのが発見できた。彼の営みは無慈悲にも少数の人間の眼に触れるに過ぎず、情報としての価値は無いようにも思える。

しかし本質的にはどうだろうか。新聞というメディアの価値は情報そのものではなく、新聞作成のための情報交換という行為自体に込められているのでは無いだろうか。

新聞作成のために依頼された住民は活動に参加し、関係する住民たちから情報を収集しなければならない。面白い情報があれば他の住民が訪問しこの街の出来事が対話され始めるのだ。情報発信の拠点では情報が編集されているようで、同時に集まってきてもいるのである。

コンヴィヴィアル(自立共生的)な道具としての新聞はコミュニティの形成の観点からも有効であり、これを媒介とした活動には地域コミュニティを紡ぐだけの強度がある。

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