連載 意識力学 その3

今回は 意識が生み出した 結果(実証)について 考えていきたいと思います

人はなぜ意識をするのか? きっとそこには 自分とは「違う」という認識があるからなのかもしれない そしてこの意識というものは 心的現象の「志向性」に関わるものだともされています

ここでまた ChatAI 「Berd」に解説をお願いしました

「志向性について教えて下さい」

志向性(しこうせい)とは、意識が常に何者かについての意識であるという現象学用語です。この概念は、エトムント・フッサールが師事したフランツ・ブレンターノから継承したものであり、ブレンターノは志向の対象の存在論的・心理学的状態を扱う際にこの用語を使った。
フッサールによれば、意識は常に何かを対象としています。例えば、私は今このパソコンの画面を見て、この文章を読んでいます。このとき、私の意識はパソコンの画面とこの文章を対象としています。意識は常に何かを対象とするというこの性質が、志向性です。
志向性は、意識を物理的現象と区別する重要な概念です。物理的な物体は、意識のように何かを対象としません。例えば、パソコンの画面は、この文章を表示していますが、この文章を対象としているわけではありません。このように、志向性は、意識の特徴的な性質であり、意識を物理的現象と区別する重要な概念です。
志向性は、意識の研究において重要な概念です。志向性によって、意識は、単なる物理的な現象ではなく、より複雑で、より豊かな現象として理解することができます。

「Berd」からの答えを踏まえて考察すると 人は何らかの「対象」と向き合った時 生まれる意識が「志向性」であり その対象との意識から生まれる波長というものが 存在するのだろう そして それを世間では 価値観と呼び スピリチュアル用語では周波数と呼ぶのかもしれない
また 本当に生物にしか「志向性」ないのだろうか? 動植物も 人や物 同種間での志向性は発揮されるだろうし 有機物や無機物であっても ある種の志向性のような その1 で紹介した アインシュタインの「光電効果」に似た「意識≒電子」と言えるようなものが発生しているのかもしれない

木の机に 熱したフライパンを置いた時 机は何を思うだろう? 鉄の机だとどうだろう? 炭化タンタルハフニウム【Ta4HfC5】(世界最高融点4215℃)であればどうだろう?思うというのはとても人間的なのかもしれない そして思いというよりも「反応する」がこの場合には適しているのかもしれない

人は動植物は この地球や宇宙に存在する 見える存在 そして見えない存在(お釈迦さんはそれを纏めて「森羅万象」とした)は どう繋がり合い どう作用し どう反応するのだろう?

森羅万象 すなわちこの世のありとあらゆる存在は「魂」が宿ると言います 日本の神道では「神」が宿っているとし またアメリカ先住民族においては「精霊」が宿っているとされています
魂や神 精霊といった概念は いつ何がきっかけで生まれたものなのでしょう?

文字を紐解いていけば 魂は「云と鬼」 雲が「巡る」を意味し また 鬼は異形の人または「死者の霊(たましい)」を意味するのだそう という事は前世の記憶がある方など そういう方を見ていれば また 神は「示と申」示して申さく 象形では「雷」と同じだそう 精と霊は 「米と青」澄んだ心のことを指し 「雨と巫」雨を願う(祈雨 雨乞い)神事を行う女性を指したそうです
ここで見えるのは「魂」や「神」 「精霊」とは 見えない力を意識を通じて扱う 古来は女性が神事に携わることが多かったのだろうと推測できます
これは現代においては 「男性性」や「女性性」という 心理や精神のような内面を表現する言語に置き換わっていて 「男性らしさ」「女性らしさ」を自身の性自認(セクシャル以外においても)の一つの言語として捉えている場合と 男性性は分析 評価 判断 論理 攻撃 支配 決断力 積極性に優れ 女性性は受容 包容力 共有 調和 安定 直感 感覚 感性 柔軟性に優れているのだそう これは神道における「一霊四魂」にも通じる考え方にも見える
ここで「一霊四魂」について調べてみたいと思います 

上記 ウィキペディアからの引用ですが 簡単に紹介します
一霊四魂は 一霊「直霊」と4つの魂から成り立つという 幕末の神道家 本田親徳氏によって成立した霊魂観で荒魂 和魂 幸魂 奇魂の四魂を直霊という霊が調整しているという概念で和魂は調和(協調力)「親」 荒魂は活動(推進力)「勇」 奇魂は霊感(洞察力 悟力)「智」 幸魂は幸福(包容力)「愛」に関連するとされる 日本書紀にもこの和魂や荒魂という語句は載っており この概念は古神道の霊魂観として大本教の出口王仁三郎氏やその弟子によって広がっている
他に直霊は自身と向き合う力(省みる力)とされていて 向き合わず自責や他責 極度に荒ぶるなどの行為は 直霊ではなく曲霊が行っているとされる
男性性や女性性の持つ概念と一霊四魂の概念は 実は簡単に結びつくのかもしれない
そして 自身の意識をそこに留めておく必要もなく 自分がどうありたいかで 直霊は操作でき 男性性や女性性 四魂も自在に操れるのかもしれない
そう捉えると意識の世界は 実は自在で ある種 仏教やヒンドゥー教 バラモン教における「自在天」 「大自在天」的な境地なのかもしれない


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?