【限定色オーバーライト】 第4話

 突き抜けるようなどこまでも青い空。浮かぶ入道雲、崩れたソフトクリィムみたい。空の青と透明な白。誰もが絵に描きたくなるような。夏空は、どこか嘘くさい。
 目が痛くなるような日差しが降り注いで、あらゆるところに突き刺さる。殊更、肌に突き刺さるのだけはいただけない。紫外線という乙女の大敵。その大敵から逃げるように窓際から離れた席でうな垂れていた。心身を休めるための昼休憩に。

「亜桜、次だ」
「うぉぉ……ブラックだぁ。労基に訴えてやるぅ」
「好きにしろ。但し、仕事をしてからな」
「鬼、悪魔、軍人上がり」
「最後の意外はデマだ」

 思わず固まる。適当な愚痴、の、つもりだったのに。

「最後のも嘘だよ。バカが」

 馬鹿にするのと哀れみが混ざり合った目で見ないで。私じゃなくても騙されるって、こんなの。

「あーあ……ご褒美の一つや二つ。貰わないとモチベーションがシナシナだなぁ」

 ペンを机の上に転がして、伸びを一つ。パキ、パキ。背骨が鳴って、心地いい。

「罰に褒美なんかが出すわけないだろう」

 天気の良い一日。バカみたいに暑い季節でなければ気分のいい晴天。
 空は、好きだ。ころころ変わるけれど、誰に言われることもなく、自分勝手なところがポイント高め。

「むぅ……」

 指導という懲罰がなくなり、懲罰という名の雑用がここ最近の烏羽原亜桜のルーティンワーク。思う所はあるけれど、渋々、受け容れている。逃げられないのが分かっているので。
 センセが私に反省させるのを諦めた……のではなく指導するだけ時間の無駄とハッキリとしたらしい。
『お前は何を言っても聞かん。そういうヤツだ。指導も矯正もするだけ時間の無駄……だから、反省文ではなく、私の仕事を手伝って貰う。そっちの方が生産的だ』
 面倒な反省文だとか、勝手に染め直されるなんて横暴がなくなってラッキー……と思っていたのだけれど、見通しが甘かった。

『作り直しだ。こんなもんで報告できるか? あっちにサンプルがある。全て目に通して見比べろ』
『もっと情報を上手くまとめろ。あぁ、ここ。体裁が違う。インデントもズレている……ちゃんとチェックしてからもってこい』

 とかとか、チクチク、ネチネチ、ズバズバ。
 締め付けるとか、抑えつけるとかじゃない。完全に下っ端として好き勝手仕事を振ってくる。生徒に業務内容を開示していいのか……なんて抵抗は、無駄。判断した上で割り振っているし、教師ではない方のお仕事には法律は適用されないのだとか。裏のお仕事の手伝いは他教師にも頼めない。つまるところ業務負荷の分担なんて概念は存在しない。
 反省文や罰ならノルマや終わりがある。でも、仕事にはない。コレを乗り切ればゴールがないのが、一番キツい。
 建前は手伝いというけれど、その領分を飛び出している。社会経験が浅くとも分かる。これは完全に仕事だ。
 本当の仕事と違うのは、給料が発生しないというところだけ。
 そんなブラック雑用にもなんだかんだと慣れはじめて、軽口を叩けるようになるのだから人間の適応力とは凄まじい。

「でもでもでもでも、私だけ重すぎだと思うんですけどぉ?」

 私の業務量が増えている一方、学校においての、センセの評価はプラスの勲章が増えていた。厳しすぎる生徒指導は未だに目の敵にされてはいるけれど、ゴリ岡をはじめとした教師の言う『我が校の生徒として相応しくない』といった感覚的な否定がない。校則というルールに従うし、ざっくりとしか書かれていない内容に対しては一定の線引きを行う。生徒相手でも、自分自身が誤っている場合は素直に謝罪する。
 規則に対する文句は受け付けてはくれない……が、正規の手段に則って変更する分には何も言ってこない。どころか、納得をした時には率先して手を貸してくれる。
 ここに目を付けたのが生徒会。『相応しくないからダメ』『我が校の伝統ある慣例は変えられん』とゴリ岡を筆頭に堰き止められていた校則やルールにメスを入れるように動き出した。センセが赴任した時に言った『上手く利用しろ』というのを有言実行。
 歴代の生徒会が、生徒という弱い立場である故に実行できなかった改革。それをセンセという矛を利用し、凝り固まった慣例にメスを入れまくっていて、毎日がお祭り騒ぎ。ここ最近、やり手生徒会の支持率はうなぎ上り。欠点と言えば生徒会長がうるさいくらい。
 結果、私の雑用が増えているので……私にとって生徒会は仕事を増やす敵。

 授業に関しても高評価。体系立てた説明と、質問に対する芯を捉えた回答が即返ってくる。授業中に雑談する不真面目生徒は捻じ伏せられるので、ストレスフリーに集中できる。そこに関しては、概ね同意。めちゃんこ分かりやすい。顔も良ければ頭も良い。悪いのは性格。

 閑話休題。そんなこんなで、赴任して最初の一ヶ月以降、指導を受ける生徒は激減していた。

「……雑用は千歩譲って甘んじて受け入れましょうとも。でも、でもですよ?」

 私のフェイバリットインナーカラーちゃんは、毎日カワイイので毎日呼び出し。長時間拘束。クソぉ。
 それが見せしめになって抑止に一役買っているらしい。不服なり。

「染色意伝相《カラーリンク》とやらでの助っ人に関してはご褒美貰ってもいいと思うんですけどぉ。あっちは罰とか関係ないじゃん」

 異世界……正式名称、染色意伝相《カラーリンク》での肉体労働。正式名称を色々教えてもらったけれど、いまいちわかり難い。
 兎にも角にもあの世界での命がけの手伝いに関しては罰の範疇には収まらない。あんまり自覚は無いけれど、命懸けなのだから。

「嫌ならやめればいいだろ。そも、最初に協力はいらんといったのに強引に迫ってきたのはどっちだ」
「でも、実際問題、けっこー助かってるでしょ?」

 黙り込むセンセ。否定はなかった。
 直接、戦ったりなんて出来ないけれど、マネキンに相手にされないのを利用してサポートしている。

「分かってないなセンセ。助けてもらうためとか、見返りとかそういうのじゃなくてもっとシンプルなハナシ」

 染色相とやらでの協力は、あれから毎回のように続いている。否応なく巻き込まれるので仕方なく、というやつ。
 協力なんかせずに逃げ回っていればいい……というのも分かるけれど、いつ、染色塊《カラーブラシ》……マネキン達が牙を剥いてくるのか分からない。それなら、手伝って少しでも確実に生き延びるパーセンテージを上げるのに異論ナシ。協力するのはイヤイヤじゃ無い。
 それはそれとして。

「ご褒美くれたらうれしいなっていうささやかなお願いをしてるだけ、おけぃ?」
「それは見返りじゃないのか?」
「はぁぁ……センセの頭でっかち。ニュアンスが違うんですよニュ、ア、ン、スぅ」

 それくらい察して欲しいのだけれど、センセに求めるだけムダなのかも。

「見返りでいいですよもぅ。見返りください見返りぃ」
「そう言われても、賃金を支払うわけにもだな」

 そんなの私だって分かっている。規則だルールだうっさいセンセが頷くはずがない。

「あーもう、まだるっこしい!! 一緒に出掛けようって誘ってるの」
「あ、え、なに?」
「お出かけ!! デート!!」
「で、でーと」

 オウム返しに呟くセンセ。切れ長の目じりが柔らかく、目を丸くしていた。

「あー、その、私のことを嫌っているものばかりだと思っていたが……」
「嫌いなところは全然嫌いだけど」

 そして、その嫌いなところが好きなところに重なっている。私も存外めんどくさい性分。

「……それで、見返りになるのか」
「適当じゃなかったらね。空回りするのもつまらないのもいいけど、手抜きだけは嫌だから」
「デート……デートか」

 指導されるのは面倒くさいのだけれど、同じ穴の狢。私と同じような社会不適合。似た者同士には、やっぱり親しみが沸く。どんなに鬼教師であっても。

「……………………分かった」

 私にとって随分と久しぶりになる人との予定。それも、自分から取り付けたのなんて小学生以来かも。お出かけイベントにモチベーションが上がる、自分の単純さに少しの呆れを覚えながら、ペンを執った。直後の事。

 私とセンセ、二人同時にペンキを浴びせられて、現実世界から爪弾き。
 異世界……センセ曰く、ミーム伝染。現象の中に放り込まれる。
 折角の良い気分が、台無しだ。

 柄にもなく人と出かける約束をして、思いを馳せていたというのにサイアク。
 良いことがあった直後にこれ。もしどこかで幸不幸のバランスをつかさどっているような存在が居るのならそいつは間違いなく私と同じくらいのひねくれもの。
 苛烈な銃声、鋭く閃く刃。かき消されないように、お腹から、思いっきり声を吐き出す。

「センセー!! こっちにまっすぐ!!」
「了解!!」

 視界の向こう側、血脂赤マネキン軍団を容赦なく屠りながら返ってくる声。ペンキの正式名称は染色塊《カラーブラシ》。私の中ではマネキンで定着。今更正しく呼ぼうという殊勝さはあんまりない。
 廊下は一直線。珍しく複雑さはないシンプルな造り。トンチキなのは、畳でできた壁に窓やドア。畳の天井に蛍光灯があること。床も壁も天井も、そこかしこが畳が敷き詰められていた。全校生徒が茶道部に所属していたって、こうはならない。
 マネキンに囲まれるセンセは、後ろに目がついているのか、一人だけ三倍速みたいな速度で戦っていて、凄まじい。
 物量に押しつぶされ、姿が見えなくなったが……

「シッ!!」

 銃弾と刃の咆哮、有象無象が四散破裂。埋もれそうになったのは、大技を振るう溜め。
 センセの周りに出来た一瞬の空白。マネキンを越え、壁を走り、天井を蹴り、駆けながら私の方へ。駆け抜けながらの銃撃も百発百中。ハリウッド映画の主人公のような射撃。よく当たるなぁ、と素人ながらに感心……している場合ではない。
 慌てて、先ほどまで作業していたチェックポイント……防衛拠点その1へ引き返す。

「よいしょ、い!!」

 自分自身で拵えた障害物……というかちょっとした壁。崩れて下敷きにならないように、滑って落ちないようにモタモタ、乗り越える。

「はぁっ!!」

 私が必死こいて乗り越えたバリケードを一息に飛び越えるカナリアセンセ。身体能力が月とスッポン。

「突き当たりの掃除用具入れの中が、視聴覚室に繋がってるっぽい。ただ結構距離あるから、あと何か所かバリケード作っとくね」
「それで構わん。原色は見たか?」
「残念ながらってカンジ。見かけたらぶっ刺しとくから注射ちょーだい」
「このご時世コンプラが厳しいんだから、もう少し言葉は選べ……」

 乱れた息を整えながら、センセが腰回りから注射器一つ。耐衝撃に強いらしい注射器を鞄に放り込む。

「次のポイントは?」
「しばらくは一直線だから、真っすぐ進むだけでいいよ」
「了解。助かる」

 センセに蹴散らされた所でお構いなしのペンキ軍団。一体いたら百体居ると言わんばかりな無機質なマネキン軍団の威圧感は慣れない。

「ご褒美、忘れられたら癇癪起こすから」
「癇癪ってお前はガキか。忘れはせんが、つまらなくても知らんぞ」
「いーよ、それで。センセが考えてくれたんだったら何でも。つまらなかったらつまらなかったって言うし」
「そこは気を遣え。私だって人並みに傷つくからな」
「もしつまらなかったら私がお手本見せてあげるからだいじょーぶだいじょーぶ」

 それだけ言って、走り出す。赤ペンキ軍団とは逆方向に。センセを置いてペタペタ、上履きで畳をリズムよく叩く。自分で走るのは隙じゃな……せめて原付バイクがあれば楽なんだけどなぁ。

「ちゃっちゃか組んじゃうか。亜桜ちゃん特性バリケード」

 ミーム伝染に巻き込まれるのも慣れたもの。異世界ではなくて、人間に対して起きている現象。現実の殆どの人間が気付かない現象。
 そんな中での、私のお仕事は主に二つ。

「……はぁー、これは明日も筋肉痛かなぁ」

 大量の机やら椅子やらの什器類を動かしまくる重労働に溜め息。最近、二の腕が引き締まってきた気がする。
 その一つが、とにかくその辺にあるものをかき集めてバリケードを作るという、極めて地味なお仕事。センセが休憩したり盾にして銃撃したりするための拠点構築。やっていることは、大体引っ越しアルバイト。

 下見で見繕っていたポイントまで辿り着くと、適当にその辺の教室から机や椅子を引っ張り出す。
 ここからが本番。やったるぞぉと二つ結びを締め直し、喝を入れる。
 廊下に大量に持ち出した什器類はちょっとしたリサイクルショップみたい。

「せめてさっ。ようせいとかっ。へんしん、アイテムとか、さっ!!」

 せっせこせっせこと、什器をパズルのように組み合わせていく。

「……あってもよくない?」

 非現実的なシチュエーションに遭遇すれば、私にも特別な何かが宿って、変身ヒロインみたいになれるんじゃないか……という淡い期待は呆気なく散っていった。折角、変身口上だって考えていたのに。
 バリケードによる後退と休息の支援というのが地味すぎる役割が不満の元。
 ぶつぶつ、文句を垂れ流しながら高く積み上げた一つのバリケードが出来上がる。組み上げたバリケードを見上げる。初めて協力したあの日よりも、ずっと手早く、ずっと手堅い。地味とはいえ手抜きは出来ない。

「よし、次」

 手の甲で額を拭う。達成感に浸るのは二呼吸。重労働の雫がメイクを溶かして目に染みる。メイクが崩れるの嫌。なのに、手も、身体も動き続ける。作業は少しも止めない。
 上下左右に敷き詰められた畳に吸い込まれて、自分の呼吸以外の音が聞こえない。ちゃんと生きているだろうか、やられてはいないだろうか。はるか遠い畳路の先で戦っている筈の金糸雀色は見えない、聞こえない。

 天地左右が畳でできた廊下を小走りに次のポイントへ。土足で畳を踏みにじる禁忌に、和の心が大絶叫。
 第二ポイントに到着、先ほどのリピート再生。同じように淡々と積み上げていく。
 横目で見るクラスメイトは欠伸をしている途中で固まっていた。こんな風にまじまじと誰かに見られているなんて考えていないのだろう。のんきさが、うらやましい。

「邪魔しちゃってごめんね」

 赤色ペンキが沈んで、混ざっていくクラスメイト。この混ざっていく赤は伝染の証。

「どっちが良いんだか……」

 私も同じように染まることができていれば、もう少し社会に馴染めたのかな。でも現実はそうではない。私はペンキに染まらない。だから、この現象の中で自意識を保てている。
 一番残念なのは、ペンキは脅威でも、悪でも、災害でも、何でもない。知らずのうちに人を害なしてる秘密結社でも、人の心に巣くう闇の結晶……そんな分かりやすい敵ではない。

「社会不適合者とか、意伝子不能とかワケ分かんないこと言われて、もっ」

 ぶつくさ、どうしようもない文句をぐちぐち。吐く息と一緒にこぼれてしまう。
 机を掴む腕の感覚が、しびれてなくなっていく。握力が時々ふにゃりと解けて机を取りこぼす。畳の上に落ちた机は、跳ねもせず、音もしない。

 人間が持つ共通的無意識空間。それがここ、らしい。なんじゃそりゃ。
 共通的無意識の共有空間。ホモ・サピエンスがこの地球で繁栄できた最大の要因。何言ってんだか。
 普段の授業よりもずっと真剣なセンセにマンツーマンで、教えてもらった内容は未だに腑に落ちていない。胡散臭いもん。

「よい、しょい。よいっ、しょいっ」

 ぐちぐち言いながら、組み上げる。人間社会から『失敗作』のレッテルをベタベタと貼られたことへの反抗心を燃料に。

 自分が見ている赤と他人が見ている赤が本当に同じように見えているのか。そんな、誰にも証明できないだろうギャップを埋めているのがあのペンキ。実在しない情報に対する認識を繋ぎ止める共通的な無意識空間。認識の辻褄合わせの為の現象。

 例えば、実在が簡単には認識できない神様。少なくとも気軽に会える相手ではない。それでも、不特定多数から崇拝されているのは、人々の間でイメージを共有できるから。
 ホモ・サピエンス種以外の人間以外にはこの機能が備わっていなかった。ホモ・サピエンスよりも知性も身体能力も優れた人類種だって大昔にはいたけれど、今、残っているのはたった一種類。私たち、だけ。
 群れという小さな集団を越えて、偶像崇拝を通じ群れの集合体……社会を形成。それが、生存競争の勝因。
 つまるところ、その機能が正しく作動していないということは今の人類種としては欠陥しているということに他ならない。

『社会からの影響を殆ど受けずに自己人格形成する……本当の意味での、社会不適合者。それが亜桜、お前だ』

 種としての社会不適合者。なにそれ。ムカつく。私は、普通に社会の中で生きている。人から影響をきちんと受けている。

『人と話したらムカついたり、楽しかったりします……友だちはいないですけど、仲良くしてくれる人も少しはいます。私だって大金持ちの家に生まれてたら、変わってたと思いますけど』

 裕福な家で育つのと、貧乏な家で育つ。たとえ同じ人間であっても、物事に対する価値観は変わる。環境……もっと言えば、周りの人間から影響受けるから。
 人は、社会的動物だという。人の中で生きる限り、その影響を受けないなんて不可能。反論したけれど……

『いいや、変わらない。富豪の娘でも、家無き子でも、百年先の宇宙船で生まれても、縄文時代でも、地球の裏側の少数部族であっても。烏羽原亜桜という人間は、今のような人格になっていたし、その髪を可愛いと思い、その鞄を好み、ネイルに興味を抱く。良かったな、この時代に生まれて。運が良い』

「なにそれ」

 有り得ない。意味不明。
 テーブルを積み上げる腕が乱暴になる。疲れた。
 ムカつく。

『お前に対して更生不可と判断した最大の理由だ』

「ムカつく!!」

 最後の一つを乱暴に重ね、耳障りな音が五月蠅い。お気に入りの鞄から取り出したビニール紐で、机だとか椅子だとかを縛り付けていく。なにもしないよりはマシ。

 なににイラついているのか。
 曖昧な世界に?
 種別としてのの社会不適合者だとか言われたことが?
 分からない。分からないけど……

「だーれが社会不適合者だっての!! もうっ、お前らが、私に、合わせろっ!!」

 兎に角、全部にムカついていた。
 大きな声を出して少しだけ、気が晴れる。

 手紙、電話、そしてインターネット。技術の進歩とともに情報伝播の速度が急速に速くなり……自己形成を終えていない若者を中心として発生する認識の書き換え。情報端末が行き渡り、異常な認識も広がっていく。
 その書き換え現象がここ。染色意伝相《カラーリンク》。
 例えば、ガッツポーズ。例えば、第二ボタンのジンクス。認識がいつの間にか広がって浸透していく。

『ミーム伝染。それを止めるのが私の仕事なんだよ』

 小学校三年まで、青信号は青信号だった。
 良く晴れた日のことを、覚えている。
 それが、急に。私を置き去りにして『緑信号』に変わった。色はそのまま。ただ、周りの人間全部の認識だけが、まるっと、置き換わっていた。

『信号、どう見ても緑でしょ? なんで青信号っていうの?』
『亜桜ちゃんって変なの』
『えー、じゃあなに? 亜桜ちゃんって緑リンゴをブルーアップルっていうの? 自分の名前好きすぎじゃん。間違えないように緑ちゃんにしたらいいんじゃない?』

 昨日まで青信号と呼んでいたじゃないか、とどれだけ説明しても半笑いのクラスメイト。アパートに帰って母親に伝えても、商店街のおじさんに相談しても、誰も彼もが半笑いを浮かべて聞き流す。急にどうしたの? と。
 一番ムカついているのは、この些細なようで大きい、腹立たしい記憶を思い出していたから。

 これが最初。後は繰返し。何度も何度も、周りは私を置いて変化。

 世界に置いて行かれた。
 周りは勝手に変わる。だから、信頼できない。
 だから、私は私だけを信じる。
 青信号は、今だって青信号だ。

 苛立ちを全身に巡らせ、近くのふすまを開き、別の教室に侵入すると……固まっている生徒が一人。
 一つだけ違うのは……全身が脂混じりの真っ赤、染まる余地無くペンキと全く同じ色。

「み、見つけた!!」

 アレに注射器をぶっさせば、ゲームセット。
 センセの話はどれも現実離れしていてちんぷんかんぷん。特に名称はどれも抽象的で分かりづらい。そんな中、唯一覚えやすかったこの注射器を、この現象の起点となった人間にぶち込むこと。それが私のもう一つ仕事。
 注射器を捻じ込むと、対象の共通的無意識を意図的に暴走。元の色のペンキで上書きさせるように暴走させ、結果的に何も起こらなかったと同じようにする。

 この注射器の中、薬剤の名前。漂白上書き剤《ブリーチカラー》。
 良く覚えている。髪の毛が傷みそうだなぁ、と思ったから。



全話は以下のリンクから!!

第1話

第2話

第3話

第4話
★当記事★

第5話

第6話

エピローグ

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