【限定色オーバーライト】 第5話

 景気の良い青空。年々、例年の最高気温を越えていく理不尽。数十年後にはどうなっていることやら。
 この鬱陶しいほどに暑い時期に学校なんかやっていられない。人は倒れるは、やる気は出ないは、メイクは落ちるで散々な時節。
 なるほど。夏休みというのは、理に適っている。

「……センセ、せめてエアコン買い換えようよ。お金持ってるんでしょ」

 何度巻き込まれたかも分からないミーム伝染。手伝いの見返りとして生徒指導は見逃して欲しい。どうせ私は更生不可能なのだから……という事実で補強した弁明。
 却下、と一蹴。会話や交渉の余地はゼロ。

「持ってるさ。たんまりとな」
「……ハッキリ言われると、それはそれでムカつく」

 十年選手らしいエアコンが、カラカラカラ、怪しい音を鳴らしながら辛うじて稼働。なんとか干からびずに生き存えているのは、このエアコンくんが居てくれるから。
 生徒指導室から出たら、食べ物が一瞬で生ゴミに変わるような蒸し暑さ。学校に辿り着くまでのアスファルトはまるで熱したフライパン。
 エアコンの下、一番冷たい風が直撃する場所に立ち、センセの机から拝借したウチワをバタバタバタ。盛大に仰ぐ。

「教師の給与は兎も角、アッチの金払いは凄いが人手不足も教師の比ではないんだよ……」

 灼熱の中、私を呼びつけた本人もペンを走らせていた。薄手のカットソー一枚で、暑そうに。
 じとり。ほんの少し汗ばんだ肌に張り付くブロンドが妙に艶めかしく、その艶っぽさという汗が匂いとなって生徒指導室にほんのり届く。……確かに、夏休みは正しい。こんなセンセ、生徒の前に出しちゃダメだ。PTAが瞬く間に抗議を入れるに違いない。

「じゃあ、なんで買い換えないの?」

 暑いのならエアコンの温度を下げればいい。単純明快な対策として、勝手に設定温度を下げたときは、問答無用のゲンコツ。理由はすぐに分かった……このコンクリ造りの一室が灼熱サウナと化したから。
 このエアコンくんは私に勝るとも劣らない、不真面目生徒だったのだ。

「撤去しようにも、どこにも紐付かん資産処理を誰も知らないのが一つ。それに、私個人が買った資産を勝手に取り付けるわけにもいかん……かと言って個人で買ったものを学校資産に紐付けるのも難しい」

 ぶつくさと文句を垂れるセンセ。なんとか人間が活動出来るギリギリの温度までしか仕事をしない、サボリ魔エアコンに苛立っているのは、私だけではないようで。

「どうして学校だとか役所というのは、手続きや管理が旧態依然としてるんだよ。もう令和だぞ……PDFを紙印刷してFAX。更に印鑑押してPDF保存って何だ……クソ……二度手間どころの話じゃ無いだろ……」
「センセも結構、めんどくさい性分だよねぇ。勝手に付けちゃえばいいのに」
「……めんどくさいのに関しては、お互い様だ」

 二人揃って、うな垂れる。
 実際、個人の財布で勝手に取り付ける分にはやろうと思えば許されるだろう。そもそも、このエアコンも勝手に付けられたものだというし。
 ただ、公文書……というか公式なルールに従うとなると途端にそのハードルは跳ね上がる。

「今日の分は……ないんだったな」
「そ。なのに、呼び出しって何?」

 時刻は朝。授業が始まる時間よりも前。七時と半分を指している。まぁ、夏休みに授業はないのだけれど。メイクして、ヘアセットして家を出るから、起きる時間はもっともっと早い。
 何故か、夏休みの方が普段より早起きしている。

「久しぶりに反省文でも書くか?」
「んげ」
「と言いたいが、嘘だ。反省しない徒労だとわかりきっているからな」

 冗談はもっと分かりやすいのにして欲しい。表情が変わらないものだから、わかんない。

「涼んでいるところ悪いが、すぐに出るぞ」
「へ?」

 ピッ。飾り気のない電子音が鳴り、私をクールダウンさせてくれていた冷風が途端に止んだ。風が止んだ途端、じーわじわ。蒸し暑さゲージがせり上がる。引き始めた汗が、すぐに滲み始める。蝉の鳴き声が、濃くなった。

「ま、まさか、こんな暑い日に……」

 肉体労働とは言わないよね、視線で訴えかける。
 夏休みに入ってからも、墨波金糸雀に呼び出され続けている烏羽原亜桜。対外的には反省しない罰として。実質的にはミーム伝染対処への手伝い要員として。
 とはいえ、普通の雑用手伝いをさせられることも多い。物置整理だとか、書類運びだとか……身体を酷使することも少なくない。お陰で少し痩せた。感謝して……はない。

「荷物を持って着いてこい」

 恨めしげな視線を受けても、どこ吹く風。白のロングカーディガンを羽織ったセンセは淡々と、荷物を整理して部屋を出ていく。荷物を持ち出すということは、ここへは戻ってこない……つまり、とびっきりの重労働だ、と。
 天を仰いで、うおお、と嘆く。か細い声で。

「草刈り? 荷物運び?」
「いいや、違う」

 先に何をさせられるのか、それくらいは伝えて欲しい。こっちにだって、心の準備がある。
 しぶしぶ。ふにゃふにゃ。立ち上がる。
 部屋の片隅に下ろしたばかりのミニリュック。まだじんわりと湿った熱を残していた。

 うだるような暑さの中、リノリウムをペタペタ鳴らす。
 これからの重労働に憂鬱。朝から生徒指導室に戻ることもないほど長時間何かをさせられる。願わくば冷房の効いている場所……せめて、せめて日陰であってほしい。
 上履きからローファーに履き替え……足が止まる。玄関先には、明暗分かれる一本の線。ラインを越えた先には夏が降り注いでいた。肌を焼き、焦がす、灼熱地獄。

「日焼け止めでも塗り忘れたか?」
「はぁー……帽子、持ってきとくべきだったかなぁ」
「大丈夫。私が用意している」
「準備の良さがムカつくぅ……その気遣いをちょっとは亜桜ちゃんに向けて欲しいんですけどぉ」

 私の躊躇いをガン無視して、外靴に履き替えたセンセ。歩みを一歩も緩めずに線を越え……影から歩き出す。動きやすそうなスニーカーでも、当然、様になっている。駅前の広告かっての。

「こっちだ」
「え?」

 そのまま校門を通り抜ける……と思っていたけれど、違うらしい。外は外でも、学校敷地内。
 一年中、過半数を過ごしている学校……その敷地内にありながら、あまり馴染みのない場所を進む。センセについていく途中、学校中をぐるぐるとランニングしている運動部とすれ違う。
 センセを見た途端に、辛そうに走っていた表情が急に引き締まり、背筋が伸びていた。
 鬼看守としての威厳は健在みたい。曰く、シンプルな力の差は、単純な相手ほど効くらしい。いや、効くって言われても。

 辿り着いたのは、生徒はあまり立ち寄らない区画……といえば、少しミステリアス染みているが、答えはなんてことは無い。地味な場所。

「乗れ」

 教師用駐車区画、と種明かしをされれば現実的すぎて秘密要素は一気に消滅。
 目をぱちくり。
 状況についていけていないけれど、言われるがまま、助手席に乗り込む。

「中が、あかい……」
「カッコいいだろう?」

 最近よく見る……というか見させられる血のような赤ではない。
 暖色の鮮やかなレッドシートで。形も凹凸がハッキリしていて、座りにくそう。下のマットも赤い。
 素人の私でも分かる。学校用の車じゃないってことくらい。

「えっ、これ、先生の?」
「あぁ。暑いのはエアコン効くまで我慢してくれ」

 運転席に乗り込んだ、センセがドアを閉めたのを追うように、私も閉める。途端、さっきまで聞こえていた風や吹奏楽部の音出しだとか、ラケットがボールを打つ小気味よい音が遠くに行く。
 炎天下の元、温められた車内はサウナどころか、調理器具の中みたいだったけれど……暑さより、混乱が上回っていた。
 私の様子を他所に唸り声を上げるエンジン。我が家の軽が猫だとするなら、この車は虎みたいな迫力。
 センセはどこからか取り出したサングラスを掛け、助手席と運転席の間にあるレバーを左右にカコカコ、具合を確かめるように動かしていた。

「言っていただろう? 褒美が欲しいって」

 その一言が、この謎に対する公式。私は成績優秀、すぐに答えまで辿りつく。

「マジ?」
「大マジだ」
「いいの?」
「やめるか?」

 首を横に振るう。ぶんぶん。

「言ってくれたら、オシャレしてきたのに……」

 私との約束……というかワガママ。きっちり、覚えていてくれたらしい。それなら、制服じゃなくてお気に入りの服だとか、ヘアセットだとか、メイクだとか。力を入れられたのに。

「今のままでも十二分に似合っているだろ」
「えっ?」
「ん?」

 ゆっくりと進み始めた車。蜂の巣みたいな噴き出し口から勢いよい風が吹く。生徒指導室のオンボロと違って、すぐに冷たくなっていく。全身くまなく浮かんだ汗が、勢いよく引いていって、頭も冷える。

「……校則違反なのに?」
「何を今更。違反しているから呼びだしているんだがな」
「そこじゃなくて、今、似合ってるって」

 いっつも、いっつも。最近は形骸化しつつあるけれど、無くなることはない違反指導。
 髪を黒く染めろだとか、ネイルを落とせ、だとか。
 怒られているのだから、嫌われているとまでは行かなくとも……面倒だな、とセンセは思ってるんだろうな。そう考えていたから。

「褒めると許されたと思うヤツが現れるから、言わないだけだ。その点、亜桜は関係ないからな。貶そうが、褒めようが、変わらないだろう」
「……そーだけどさ」

 ぐうの音も出ない。たった二ヶ月ちょいの付き合いしかないというのに、ズバリ核心を突いてくる。

「それはそれとして、褒められると嬉しいのは嬉しい……だから、さ」
「学校では言わないからな」

 どうせ、何言っても変わらないのだったら、褒めても損はないでしょう……という要望はバッサリ。窓の外を見てみると……とっくに校門を出ていた。律儀に校門を出てから『似合っている』を言ってくれたみたい。律儀すぎ。
 食い下がりたいけれど、やめた。何を言っても聞いてはくれないのを知っているから。

 景色を眺める……フリをしながら、運転するセンセを見る。信号待ちになるたびに、色グラス越しに目が合う。

「センセ、こんなイカツイ車に乗ってたんだ。想像通りって言ったら想像通りだけど」

 苛烈で強烈な内面を知っていると、早そうで威圧感のある車に乗っているのはピッタリ。
 ただ、見た目だけでいうと正反対。モデルのような容姿から連想されるのはオシャレな外車とか、小綺麗なコンパクトカー。

「早い、レスポンスがいい、音もいい……気に入っているところは多々あるが、一番良いのは四人も乗れて、荷室がそこそこ容量があるところだ」

 後席を覗く……と、座席は倒されていて大きな荷室になっている。転がっているのは、コンテナが一つ、それからいくつかの迷彩色の袋に包まれた長物。

「車って大体物積めるんじゃ……」
「いや。こういう車は大概、利便性が犠牲になってるからな……ツーシーターは日常使いし辛くてな。乗り分けるのも面倒な私には丁度良いんだよ」
「はぇー、普段原付しか乗らないからなぁー」
「一応言っておくが、四輪免許持ってたら校則違反だぞ」
「いやいやいやいや、それ以前に法律違反でしょ。まだ十七だし」
「知っているさ。車に興味は?」
「車そのものより、遠くに自分で行けるっていう意味では結構、あるかも」
「奇遇だな。私も同じ理由だよ」

 くすくすと笑い合う。汗はとっくに引いて、エアコンの冷たい風が心地良い。
 ガラス一枚向こうの灼熱を横目に。進んでいく。どこか遠くに。
 センセの思うがままに。

 途中、コンビニで飲み物を買って……もらった。ただのコンビニコーヒー一杯。それでも、センセの車で、センセに買って貰ったコーヒーを飲むと不思議。いつもより美味しい。
 気付けば信号機は殆どなくなっていて、家屋も無ければ通行人もいない。開けた道の左右には日光を目一杯あびるためにこれでもかと葉を付けた木々のトンネル。曲がりくねったワインディングロード。

「青々としてますね」

 つい、試すように零れた。

「綺麗な青葉だ」

 正面に向けていた視線を横にずらす。金糸雀色は正面に向いたまま……口の端だけが、にやりと上がっていて。

「センセ、知ってる? 緑信号って昔なんて呼ばれてたのか」
「青信号だな」
「早弁って別に、早ければ早いほどいいなんてものじゃないと思いません」
「あぁ、ほんとうに」
「水分補給にティラミスってどう思う?」
「意味不明だ。余計に喉が渇くだろうに、なぁ」
「ほんっとに、そう思います」

 木々の間を走っているのはそれだけで心地いい。自分一人では来ることの出来ない遠く。街からずっと離れた山のドライブウェイ。
 ご褒美はドライブだと言われても、満点をつけてあげよう。

 それから小一時間。会話も途切れ、音楽だってかかっていない。
 沈黙……というには、主張が激しい気合いの入ったエンジン音。と言っても、五月蠅いというほどじゃない。曰く『昨今は規制が厳しい』らしい。

 気付けば少し開けた場所に辿り着く。道中では殆ど見なかった他の車がポツポツと停まっていて……大体、その横にはテントだとか、机だとか、バーベキュー台だとかが並んでいる。
 それだけ見れば、ここがどういう場所なのかは、分かった。

「好みに合うかは分からんが、経験は少ないだろう?」
「……うん。はじめて」

 サングラスをかけたまま降りたセンセ。ハリウッドセレブか、あんたは。
 対して、私はぼぅ、と呆けていた。
 ただ車に乗っているだけなのに楽しかったなという発見が小匙一杯。
 アウトドアするんだ……という意外性が小匙二杯。
 カフェで奢りとか、物を買うとか……ありきたりじゃなくて、ちゃんと自分自身の好きなものに私を連れてきてくれたんだ、という喜びが大匙二杯。

「どうした? 降りないのか」

 開いたバックドアから声をかけられて、ハッと自意識を取り戻す。

「降りる降りる」

 特に荷物もなく、ボトルコーヒーを鞄に詰めるくらい。
 ざり。アスファルトでもコンクリートでも、当然リノリウムでもない。砂利と自然芝。
 そして、なにより、驚いたのはジメジメ暑さが肌に纏わり付いてこない。晴れているのに涼しくて、湿度も落ち着いている。そして、風が冷えていて心地良い。
 ガス冷媒で強制的に冷やされた空気ではない。山そのものに冷やされた涼風が全身を通り抜けていく。襟から、袖から、スカートの端から入ってきて、それぞれから抜けていく。
 車と少し距離を開けて、カーキ色のシートが芝生上に広げられている。そこにポイポイと荷室の荷物を放り投げていくセンセ。

「ここは穴場でな。少し距離があるのと山道なのが難点だが……この季節には丁度良いんだ」
「うん。ビックリ。外出るとき、クソ暑いんだろうなって覚悟してたのに」
「標高が高いと涼しい。当たり前のことだが、体感すると結構感動するもんだろう?」
「風も、気持ちいいし……何より」
「他人が殆どいない」

 勿論、他のキャンパーはちょいちょい居るけれど……広いフリーサイトの中、各々が一定以上の距離で、思い思いの装備を広げている。
 新しい参加者……それも、イカツイスポーツカーに乗って現れたモデル以上の美人と、桜色のインナーカラーをがっつり入れている制服姿の女二人連れ。
 物珍しそうに視線を集めるけれどそもそもの母数が少ないから、多少見られるのは仕方ない。

「なにか手伝おっか?」

 おっきなビニール? の布を広げて幾つかのロープを並べている。心地よい風にボーッとしていたいけれど、テキパキ動いている姿を見て……声をかけていた。
 いつもだったら、言われるまで一切動きたくないのに、不思議。手伝いたくなっていた。

「……じゃあ、そっちのタープの端を押さえていてくれ」

 センセも目を丸くしたけれど……すぐに、柔らかくてずっと眺めていたくなる笑みを浮かべた。
 指で示された、布……タープというらしい。その端をしゃがんで抑える。

「そのまま持ち上げて立ってくれ。少し引っ張るような感じでだな……あぁ、そんな感じだ」

 ピン、とタープの端と端が斜めに張る。センセから流れ、私に向かってくる滑り台みたいに。
 慣れた手つきでポールを突き立て、固定。ロープも一分も掛からずに張ってしまった。

「ここは、こうしてだな」

 どうすればいいのか分からない私。すぐ近くに寄ってきたセンセに渡そうとしたけれど、受け取ることはなく、やり方を教えてくれるだけ。
 どうしてだか、嫌じゃなかった。雑用と言えば、雑用なのに。
 モタモタ、十倍ほどの時間をかけて、なんとかロープまで張った。達成感が背筋で小躍りしてる。
 誰が見ても分かる、玄人と初心者。
 指示されるがまま手伝って、作業する。いつもと同じようで心の中は正反対。

 気がつくとスクウェア型のタープが斜めに張られていて、ロータイプの椅子が二脚。そこに挟まれる形で平べったいローテーブルが一つ。
 それから作業用とかいう大きめのテーブル。
 砂利以外何もなかった地べたに、立派なくつろぎ空間。額に浮かんだ汗が不快じゃ無い。すぐに山風が連れ去ってくれるから。

「ふぅ……少し、ゆっくりしようか」

 一通り、揃えたセンセは満足げに伸びをして、ローチェアの片割れにドサリ、身体を放り投げた。視線で座ることを提案してくるものだから、おずおず、私ももう片割れのチェアに、ストン。

「あっ」

 体重を、布張りに預けた瞬間に湧く、純粋な気持ち。

「もう、動きたくない……」
「このまま眠りたくなるよな」

 センセが椅子に座ったまま、ビニール袋をたぐり寄せる。いつもより少しだけズボラな姿を見れて、何故か得した気分。
 ローテーブルに広げられる、スナック菓子だとかジャーキーの日本全国、どこでも並んでいるメジャーどころ。

「普通にお菓子なんですねぇ」
「嫌いか?」
「いやいやいやいや、これが嫌いな人居ないでしょ。ただ、もーっと、アウトドアっぽいのを準備するもんだと」
「これだけ手間かけて広げて、更に時間かけて用意するのは待ちぼうけするんだよ。待つのは嫌いな性分でな」

 手慣れた経験者が居て、最低限だという装備を用意するだけで三十分以上掛かっている。これが、慣れていない人だと一時間以上は優にかかるだろう。

「なんでもかんでもやろうとして疲れる……初心者の頃によくやったな」
「初心者……」
「結構前だがな。経験者もいないなか、一人でやっていたワケだからそりゃあもう、時間が掛かっていたさ」
「コレ、始めた理由があるタイプのヤツ……ですよね? ただ好きだったっていうパターンじゃ無くて」

 根拠のないカン。
 私の髪とかネイルみたいに、ただただ自分が好きだから……その価値観だけで突っ走っているんじゃない。同じ、社会不適合者としてのカンが囁いていた。

「ん、そうだな」

 恐る恐る聞いたのに、当の本人は、だらり。椅子に深く腰掛けながら、キノコを模したスナック菓子ぽりぽり、残っていたコーヒーと一緒に楽しみながら、事もなげに返してきた。

「お前の想像通りだ。人と離れたい、街から離れたいっていう時に丁度、な」

 ある日、突然、周りがズレる。世界から爪弾きにされたような感覚はキツい。

「忙しそうなのに、こんなお出かけしてて大丈夫なんですか?」
「私だって疲れるんだ。こうやって時間にも仕事にもブラシ……マネキンに追われない時間を贅沢品として楽しまないとやってられん」
「時間が贅沢品……」
「哀れむような目で見るな……それが、一番堪える」

 なるほど。寝る暇も無い社畜が、休日には一日中寝て過ごすのと似たようなものか。働き過ぎることになれきったセンセに同情。少しだけ優しくなれそうな気がした。

「それに、最近は夏休みな上に、バカが手伝ってくれているからな。ミーム伝染の頻度は減ってるから構わんのさ」
「やっぱり生徒が集まらないと減るんですね。あと私はバカじゃないですぅ」
「おっ、手間をかけずにアウトドアらしいのも買ってたんだったな……食べるか?」
「食べる食べる」

 レジ袋から取り出したのは、惣菜缶詰。角煮とか、オイルサーディンとかが印字されていて……見たことはあるけれど買ったことはない。単純な見た目故に、何をするのかが想像つく。想像つくと言うことは、味わいも予想できて……お腹が減る。一も二もなく頷いた。
 椅子のバックポケットから、ガスボンベと折りたたみのガスコンロを取り出しローテーブル上にセット。
 素人の私が想像するキャンプっぽいツールであるミニコンロの上にセットされた缶詰。そして、着火。
 一分もしないうちに冷えていただろう、角煮の脂がとろけ、くつくつと煮立ち始め、醤油ベースの匂いが鼻腔をくすぐって胃袋がウォームアップを始めた。
 ごくり、生唾を飲むと同時。
 カシュッ。
 自分でも驚くほどの速度で、首がグリン。隣を見ていた。

「ちょっ、センセ!?」

 手には缶飲料……カタカナ三文字。
 ビールと印字。
 目を見開く。確かに……確かに、おつまみっぽいけど、ノータイムでお酒を開ける躊躇いのなさに、腰が浮く。

 私が焦っているのを横目に見ながら、ごくごく、と容赦なく喉を鳴らして一息。
 それから、私の表情を見て、くつくつ、喉をもう一度鳴らして笑う。
 一頻り笑ってから手に持ったアルミ缶を、くるり。

「ちゃんとノンアルだ」

 アルコールゼロパーセント。そう、私には見えない角度に印字されていた。
 へなへな、浮いた腰が重力に従って沈む。

「もーセンセぇ……ほんっと、もおぉ……焦ったぁ」
「泊まりはしないさ。テントは広げてないだろ?」

 言われ、広げられたキャンプギアを見回してみると確かに。テントは存在していない。言われるまで気付かなかった。

「日帰りキャンプ?」
「デイキャンプとも言うかな」

 そこは考えてくれていたみたい。

「ちょっとちょーだい。ノンアルなんでしょ?」

 焦らされた腹いせに、ノンアルコールビールを呑ませろと、強請る。

「ビール、呑んだことは?」
「あるわけないじゃん。未成年だよ?」

 そんな当たり前のことを聞かないで欲しい。私をなんだと思っているんだ。

「お前も大概律儀だな」

 その言葉の裏に、髪とネイル以外は、という但し書きが着いているのだろう。
 気付かないフリして、手渡された缶ビールを受け取って、ちび、ちび。
 強烈な苦みと手加減を知らない炭酸に、眉を顰める。

「これ、ほんとに美味しいって思ってる……?」

 苦さと炭酸。炭酸飲料と言えば、清涼飲料的な甘さばかりを飲んできた。正反対の味に、脳がパニック。
 苦い珈琲は好きだけれど、これは別物。自分から買いたくはない。タダでもいらない。

「最初は美味しいとは思わなかったが、慣れだな」
「慣れるまで、無理して飲んだの?」
「いや、注文が楽なんだよ。飲みの席になると大体がとりあえず生ビールっていうのが通例でな。あとは、さっさと酔いたいから頼んでる内に飲めるようになってたな」
「んー……喫茶店で、とりあえずブレンドコーヒー頼む、みたいな?」
「そんな感じだ」

 私も、センセも。よく喋る方ではないから、会話は途切れ途切れ。それでも、気を遣わない、風の中で二人。心地良い。
 何度目かの静寂の中、立ち上がるセンセ。伸びを一つ、そのまま組んだ両手を左右に動かして、ストレッチ。

「すぐ戻るから少し待ってろ。キャンプらしいものを用意してくる」

 それだけ言って、ぽつん、残された。
 言った本人は、いつも通り、キビキビとした足取りで車から何か大きくて長いバッグを担いで、どこかへと歩いて行った。

「どこ行ったんだろ……ま、いっか。きもちいーし」

 ぽけーっと、コーヒーを飲みながらお菓子を突く。ぬるくなった焼き鳥缶もつつく。
 甘いのとしょっぱいの。交互につまむのが止まらない。
 スマートフォンに伸びた手を……止める。何も情報を入れず、ただただタープの影から、動いていく雲を眺める。
 それだけ。俗世から切り離されたようで、心地良い。
 なるほど。
 書き換えられるような情報が何にも無い時間。好き嫌いとかそういうのとは別で……心が楽。

 ザクザク、砂利を擦る足音。戻ってきたのかな、身体を起こす。けれど、聞こえてきたのは不規則な足音……センセじゃない。折角のくつろぎタイムへの闖入者。
 身体を起こすと、見知らぬ男三人。うわぁ。

「ねぇ、キミ一人?」

 近くのキャンプ連れじゃない。離れたところに居たであろう男達が、今更、私に気付いたのか近寄ってくる。よりにもよって、一人の時に。
 一応、他の客がいるから、最悪大声出せばなんとかなるだろう。

「椅子二つあるのが見えないワケ?」

 はぁ、とストレスを吐きだしてから気付く。あんまり怖くないことに。
 明らかに年上の男三人に、山の中で声をかけられているのに怖いと思わないのは……多分、ミーム伝染とかいうとんでも現象に巻き込まれていて、危機感がマヒしてる。
 考えているのは怖いとか、逃げたい……とかじゃない。
 センセ。危険から生徒を守るのが役目じゃないの? かわいい生徒をほっぽり出して一体どこに油を売りに行っているんだ? 待つのは嫌いなのに待たせるのはいいんだ? 私じゃ無かったら愛想尽かされちゃうよ? なんて、文句言うことばかり考えていた。

「へー誰と来たの? カレシ? 家族?」
「別に誰でもいいでしょ」
「えー、教えてくれたってよくない? 減るもんじゃないんだしさ」

 センセがいつ返ってくるかは分からない。けれど、すぐ戻ると本人が言った。センセが言ったのだから、そこに嘘は無い。

「んー……とびっきりの美人かな」

 適当に無視してお引き取り願うことも出来たけれど……放ってかれた仕返しとしてこの三人組の処置を押しつけてやろう。
 あと、人がゆっくりしているのに絡んできた男たちに痛い目も見ることになるだろう。
 一石二鳥の思いつき。

「へー、女の子同士でキャンプって珍しいね!! 俺たちさ、結構、こういうの慣れてるからよかったら一緒にどう?」
「ヤだけど。うるさそうだし」
「人数多い方が楽しいって。色々教えてあげるからさ」
「うわぁ……うっとい」

 キャンプ場でナンパしてくるだけでも赤点。その上、人数多い方が楽しいという押しつけ価値観でゼロ点。教えてやるというナチュラルに下に見てくるところで落第。
 どうあしらおうか悩んでいると、鼓膜が小さな音を拾う。さく、さく。規則正しい、砂利の音。

「先に忠告しとくけど、今のうちに帰った方がプライドが傷つかずに済むと思うよ、おじさん」
「おじさんだってさ、まだ二十歳なのにJKから見たらもう老人だってよ」

 男達がおじさんと言われたことの何が嬉しいのか、ケラケラと笑っている。

「それで、なんだっけ?」
「おじさんだと、釣り合わないから帰れって言ってるの」

 近づく足音に、遅れて気付いた三人が、止まる。

「何より、教えてくれるセンセなら間に合ってんの」

 三人はピタリ、止まっている。視線が誰に吸い込まれているのかなんて、聴かなくても分かる。
 会話はつまらないし、顔もその辺を歩けば幾らでも転がっていそうだし。染めた髪も私のセンスじゃない。
 ただ、思わず言葉が止まる気持ちだけは分かる。こんなとこに絶対居なさそうな美人だもの。誰だってそうなる

「マジで美人じゃん」
「分かる」

 誰かが言い、残りが頷く。ついでに私も同意。

「で? これは何事だ」

 椅子に座ったままズボラに後ろを見ると、歩いて行った時と同じく長筒の肩掛けバッグを持ったセンセ。

 一つだけ違うのは、反対側の手に持っていたもの。
 なんと、鳥。それも、仕留められたばかりなのだろう。羽に艶が残っている。
 それだけを見ると、肩にかけているのが何か大体察しが付く。
 あんまり驚きはなかった。サイズは違うけれど、普段から撃ちまくっている姿を見ているから。

「お姉さんがこの子と一緒に来たっていう?」

 センセは男連中を、ガン無視。私に視線を向けて説明しろと語りかけてくる。
 大体察してるくせに。疑わしきは罰せずが、センセの方針。疑いが確定した途端にボコボコに叩き潰してくるのとセットで。

「なんか、キャンプを教えてやるって、この人たちが」

 センセに視線を返す。ほんの少しだけ言葉を弾ませ、口元を吊り上げながら。
 私の補助を受けて察してくれる。

「ほぅ。なら、こいつを捌いてくれないか? 血抜きはしてきているからさ」

 ズイ、と鳥……キジバト(だと後で教えて貰った)を男達に向かって突き出す。
 一歩、引き、表情も引き攣る。

「へ、へぇ。これ、おねーさんが自分が獲ってきたの?」
「見れば分かるだろう」

 美人の圧力は凄まじい。そして、肩に背負っているのが猟銃というのが上乗せされた日には、並の人間じゃ太刀打ちできない。

「流石に、ここまでプロってるとは思わなかったからさ、逆に俺たちに教えてくんない?」

 そう来たか。動揺はしているだろに、ナンパ方法を変える機転に内心で拍手。教える側からすぐに、教えを請う側に移れる……少なくとも、変なプライドは持ち合わせていなさそうなところを見ると、根っこは悪くないのかもしれない。
 一緒に過ごす気は、少しも起きないけれど。

 大きなハイテーブルの上に、キジバトをのせたセンセ。そして、一瞬の躊躇い容赦もなく、羽を徹底的に毟っていく。あんまりにも間髪入れずに毟るものだから、私含めた全員が唖然。

 そして取り出したるは、ゴツくて黒光りしている、ちょっとやそっとでは欠けたりしないトビッキリ。主武装の片割れでもあるナイフ。相変わらずどこから取り出したのか、分からない。
 それを、くるくるくる。指の間で、手の甲で、腕で弄ぶ。ペン回し……もとい、ナイフ回し。
 反対の手は、年季の入った分厚いまな板を手繰り寄せて、ツンツルテンになったキジバトを載せる。
 素肌の上で剥き出しナイフを転がすのを見て、引き攣り始めた、男達の顔。スッと胸の中のイライラが溶けていく。

「シッ!!」

 呼吸一つ。見えたのは辛うじて、最初の僅かな揺らぎだけ。
 ダンダンダンダン、と大凡調理しているとは思えないほどの豪快な音が鳴り響き、威力を物語る。関節だとか、筋だとか、骨だとか。その一切が、刃を止めるには柔らかすぎた。
 気がつけば、先ほどまで羽が付いていたキジバトは……店で並んでいても遜色ない、綺麗に解体された鳥肉へと変身。
 仕上げ。振り上げた腕が力強く振り下ろされ。
 ズドン。
 炸裂音と聞き紛うほどの大きな音が鳴り……ナイフがまな板に突き刺さる。

「消えろ。生意気な生徒なら足りている」

 ヒュッと、三人揃って喉から声にすらならない悲鳴。
 何か、捨て台詞のようなものを吐きながら離れていくけれど、噛み噛みで呂律が回っていないものだから、何を言っているのだか。

「おみごとぉ」

 退散していく三人組を見ながら、パチパチ、拍手。

「美味そうだろう?」

 さすがセンセ。教え魔を追い払ったことよりも、キジバトを捌いたことへの賞賛だと察してくれる。あんなのをあしらうのなんて、学校で飽きるほど見ている。

「でもさ、これってキャンプに入るの?」

 猟銃担いでサクッと仕留めて、戻ってくる。そんなのが流行っているのだとしたら、エキセントリックな時勢すぎる。

「多分」
「いやいやいやいや、こんなの、もうサバイバルでしょ」

 そんなこんなで、捌いたキジバトくんは、美味しいガーリック照り焼きになって、私たちのお腹を満たしてくれた。獲れたて新鮮、素材の味を楽しまずに濃い味付けだったのは意外。曰く、野鳥はクセが強いから、臭みをニンニクで消して、照り焼きに仕上げたのだとか。
 更には食後、センセがミニコーヒーミルで豆から挽いてくれて、手ずからコーヒーを淹れてくれた。至れり尽くせりとはこのこと。そんなこんなで、始めてのキャンプは……格別。
 沢山の言葉を交わした。教師陣への不満とか。勝手に常識みたいなのが書き換わるの止めて欲しいとか。ミーム伝染するにしてもタイミングを考えてほしいとか。勉強方法とか、料理のこととか。とかとかとか。
 一通り堪能して、荷物を片すときも。帰りの車中も。お腹いっぱいで疲れているのに、眠くなっている暇なんて無かった。



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