見出し画像

孤独もクソもやりたくもない仕事を、やってる暇など到底ない

一人でいるときに孤独を感じるのなら、あなたは悪い仲間と付き合っているということだ。

ジャン=ポール・サルトル

金沢にいる時は基本的に人と会うことはない。けど、なぜか寂しさを感じることもない。結局本や何かを通じて、それを作った人と対話のようなものをしているからだと思う。こう言うとカッコイイがただの引きこもりである。

なんなら今は、大量の本を抱えてもっと誰の声も届かないところに行きたい気持ちすらある。

基本的に(特にフランス人)思想家の言ってることは難解だ。わかりやすい入門書を読むところからはじめたり、都度ググりながら注釈を入れて、投げられた問いを自身の経験と結びつけて、バーっと書き出すなどして、ゆっくりゆっくり読み進める。

そんなことをやってると、あっという間に夕方。ご飯を作り、洗濯をし、湯に浸かるといった「生活」をちゃんとやるとすると、最低7時間睡眠を取りたい自分にとっては、残り映画を1本観れるか観れないか程の時間しか残されていない。

金沢にいる時は、そんな感じだ。
寂しさや孤独は特段ない。かと言って、満たされてるわけでもない。
たぶん人はこれくらいが「ちょうどいい」のだ。

そして今日も今日とて読む。
最近読んだ(読んでいる)のはこの辺り。

いま自分に必要なのは、新しい作品をつくることではなく(それも少しだけ並行して)、これまで作ってきた作品/活動を体系化することだ。「なぜそれをやったのか?」「どうして完成形としてこのような表象になったのか?」を理論付けなければいけない。片方でもダメでも、その両方が必要になる。アートは学問

日本だと「アートは感性だ」「美は考えるのではなく感じるものだ」的なイメージが浸透してるような気がするけど、ARTはそうではないはず。

この辺の話はMasaki Haginoさんの解説が分かりやすいのでどうぞ。

「ART」は学問として体系化されているもの

こんなにも長い長い期間、文明も入れ替わり、戦争や紛争が起こり、舞台となる培われた国も様々で、宗教や多種多様の文化背景に影響を受け、圧倒的な作家数からなる作品数と研究量。そんなバックボーンがあるものが「ART」と呼ばれるものなのです。自分の作品をARTにカテゴライズするのであれば、この脈略に沿ったものでなければなりません。なので、美術史を勉強しないといけません。学問として体系化されていてるものなので。

「アート」と「ART」と「芸術」と「美術」の違いとは?現代美術家が解説

これは個人的な見解ですが、分類学っぽいカテゴライズとは別に、現代的なニュアンスで分類した場合は、日本人の多くが思い描いている「アート」は「クリエイション(手作りのもの全部含む)≒ハンドメイド」の方がしっくりくると思います。つまり大きな意味での創造というニュアンスが合うのかなと思います。

「アート」と「ART」と「芸術」と「美術」の違いとは?現代美術家が解説

美大に行くということは「学問をする」ということであり、自身の活動を研究内容として発表することが必要であり、つまりそれは「作品をただ作る」だけではなく、作品と論文がセットで必要なのである。ここがHaginoさんの言うところの「アート」と「クリエイション」の違いなのかと。

逆に言えば、

ここから先は

922字

どうしたらもっと本質的にこの世界を味わえるのか。 圧力やダルいことに従わずも反発もせずすり抜けられる…

全部読めるよプラン

¥980 / 月

もしよろしければサポートお願いします!制作/活動費として大切に使わせていただきます。