孤独もクソもやりたくもない仕事を、やってる暇など到底ない
金沢にいる時は基本的に人と会うことはない。けど、なぜか寂しさを感じることもない。結局本や何かを通じて、それを作った人と対話のようなものをしているからだと思う。こう言うとカッコイイがただの引きこもりである。
なんなら今は、大量の本を抱えてもっと誰の声も届かないところに行きたい気持ちすらある。
基本的に(特にフランス人)思想家の言ってることは難解だ。わかりやすい入門書を読むところからはじめたり、都度ググりながら注釈を入れて、投げられた問いを自身の経験と結びつけて、バーっと書き出すなどして、ゆっくりゆっくり読み進める。
そんなことをやってると、あっという間に夕方。ご飯を作り、洗濯をし、湯に浸かるといった「生活」をちゃんとやるとすると、最低7時間睡眠を取りたい自分にとっては、残り映画を1本観れるか観れないか程の時間しか残されていない。
金沢にいる時は、そんな感じだ。
寂しさや孤独は特段ない。かと言って、満たされてるわけでもない。
たぶん人はこれくらいが「ちょうどいい」のだ。
そして今日も今日とて読む。
最近読んだ(読んでいる)のはこの辺り。
いま自分に必要なのは、新しい作品をつくることではなく(それも少しだけ並行して)、これまで作ってきた作品/活動を体系化することだ。「なぜそれをやったのか?」「どうして完成形としてこのような表象になったのか?」を理論付けなければいけない。片方でもダメでも、その両方が必要になる。アートは学問。
日本だと「アートは感性だ」「美は考えるのではなく感じるものだ」的なイメージが浸透してるような気がするけど、ARTはそうではないはず。
この辺の話はMasaki Haginoさんの解説が分かりやすいのでどうぞ。
美大に行くということは「学問をする」ということであり、自身の活動を研究内容として発表することが必要であり、つまりそれは「作品をただ作る」だけではなく、作品と論文がセットで必要なのである。ここがHaginoさんの言うところの「アート」と「クリエイション」の違いなのかと。
逆に言えば、
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