【創作大賞2024】「友人の未寄稿の作品群」13【ホラー小説部門】
13: おわりに
「怪談をね、書かなきゃいけなくなったんだけどさ」
注文を終えるなり、律希は私の目を見た。私は瞬きをし、視線を外す。
律希と会うのは一年ぶりだった。
「うちのパパがね、スタジオの音響関係の仕事してるのは前に言ったっけ?その関係で、吉影っていうお笑い芸人さんと知り合ったの。知ってる?普段はコンビで活動してる人なんだけど」
「全然知らん人だわ。私テレビ見ないし」
「いや、テレビには全然出てない」
余計に知るわけないじゃないかと、片眉を上げた。大学進学で地元を離れてから、テレビを買ったことがなかった。
最近では放映後の番組を見ることができるサービスもあるが、それも利用したことがない。動画配信サイトやSNSにもほとんど触れていないため、芸能や最新の流行についてはまったくの素人だった。
そんな私に対して、律希は情報にアンテナを張っているらしい。律希は新しい話題や最新のトレンドに対して敏感で、その情報収集力が生活を豊かにしていると常に語っていた。
部屋は未読の本に溢れ、コーヒーテーブルには新聞の切り抜きが散らばり、ポストイットがいたるところに貼り付けられている。
他にも雑誌やネット記事など、多方向から情報を仕入れていた律希であれば、世間的にマイナーな芸人を知っているのも自然なことだった。
「ある時お笑いライブ中にスピーカーから音が流れなくなるトラブルがあって、急遽間を繋がなくちゃいけなくなったのね。そしたら突然、吉影さんが怖い話をし始めたんだって」
「お笑いライブなのに?」
「吉影さんってそういう人なの。あの人、芸風が変わってるのよね。わかる人にはわかる、みたいなやつ。相方がボケてる最中にアドリブでお客さんと会話し出す漫才とか、クラシック流しながら盆踊りするコントとか。まあ、そんなんだからテレビに呼ばれないんだろうけど」
律希は時々毒舌を吐く。高校時代の夏休み明け、髪を染めて登校した子に「似合ってんじゃん、犬みたい」と言ったのを見た。
ちょっとしたいたずらで律希の機嫌を損ねたことがあった。さすがにやり過ぎたかと思って謝ると、「別にいいよ。まあ、謝るくらいなら最初からやらんければいいんじゃない?」とのお言葉をもらった。
言い回しが少々きつくなってしまうだけで、本人としては人を傷つけようという意思はない。誤解を招くことが多く、中学生の頃は周囲から離れられることが多かったという。しかし、高校に進学すると共に、その性格を理解し受け入れてくれる人が増え、律希の周りには人が増えていった。
「始めは皆『はいはい、いつもの吉影ワールドね』くらいにしか思ってなかったらしいの。でも、話し終える頃には普通に皆怖がっちゃってて。意外と評判良かったから、そこからちょいちょいライブの幕間に怪談コーナーをやるようになったのよ」
珈琲が運ばれてきた。
「お待たせしました、アイスの方」
「私です」
律希が手を上げる。私はもう一つを受け取り、角砂糖を二つ入れた。
「あんた珈琲飲めたっけ」
「昔は嫌いだったよ。もう大人になったから」
「そう、でも砂糖は入れるのね」
口元に運ぶが、あと数ミリの距離を残して熱気を感じる。まだ唇に触れることはできない。
「で、その時の音響責任者がパパだったから、ライブ終わりに吉影さんにお礼を言いに行ったのね。やること尖ってる人だから嫌味の一つや二つ言われるかと思ってたんだけど、普通に物腰柔らかい良い人だったんだって」
「律希じゃないんだから、そんなもんでしょ」
「でね」
私の皮肉は、どうやら彼女の耳には届かないらしい。
「ライブで会うたんびに話すようになって、聞けば吉影さん、パパと同郷だっていうじゃない。そこからは二人で飲みに行くくらいに仲良くなったらしくて」
「へえ、地元どこなの?」
「愛知、名古屋の右の方。前はおばあちゃん家がそこにあったんだけど、死んじゃったから今は無いんだけどね」
中学まで、祖母の家で暮らしていたと聞いたことがあった。
「そしたらこないだ、吉影さんから相談があるって呼び出されてまた飲みに行ったの。今まで仕事の話を聞くことはあっても相談なんてされたことなかったから、パパ張り切っちゃって。可愛いよね」
可愛いの基準が理解できない。
「その相談ってのが『怪談話を書ける知り合いはいないか』ってことだったの。最近そういう出番が増えたのは良いんだけど、どうやらネタが尽きそうになってるらしくて。そこでね、パパは思い出してしまったの。私が昔文芸部に入っていたことを」
私と律希は高校時代、同じ文芸部に所属していた。「文芸部」とは名ばかりで、大抵の部員が放課後にくつろげる空間を確保するために入部しており、物書きをする人はほとんどいなかった。だけど、私達二人は違った。私も律希も本が好きで、読むことも、書くことも好きだった。
「私ってさ、昔BL書いてたじゃん?部誌作ったときにさ、一度パパ見られそうになったことがあったんだけど、咄嗟に『それホラーだから!』って誤魔化したの。パパ怖いの嫌いだからさ、持ってた部誌放り投げちゃって。ちなみに、吉影さんの怪談も、他事考えてなるべく聞かないようにしてるんだって」
律希のBL露呈未遂事件は何度も聞いたことがあった。母親にはバレていたらしいが。
「だからパパの中で私は、ホラーを書く人になってたの。それを思い出しちゃってねえ。私に白羽の矢が立ったわけ」
「ホラーなんて書いたことあったけ」
「まったくだね。でも私、吉影さんが好きでライブを見に行くこともあったから、聞くのは好きなの。それに、好きな芸人さんと繋がれるなんて滅多に無いじゃん?」
「で、受けてしまったと」
「で、受けてしまったわけ」
両眉と肩が同時に上がる。
「そんな顔しないでよ」
「どんな顔よ」
「鏡見てくれば」
鏡は嫌いだ。
「で、怪談を書くことになったのね」
「そう。でも私、怖い話なんて書き方なんて知らんじゃんね。だから、あんたに聞こうと思ったの」
文芸部時代の私が、ホラー作品を好んでいたのを律希は知っていた。読み漁っていたし、書いてもいた。
「何年前の話をしてるの。もう私、高校生以来書いてないよ。」
いつしか、ホラーに触れることがなくなっていた。あれだけ読んでいたのに、作品を手に取る事すらなくなっていた。読んでも、書いても、心が動かなくなっていた。「怖い」とは何かが、分からなくなっていた。
これが、大人になったということなのか。
「でも、昔書いてたのは確かでしょ。どう書いてたの?」
「どうって言ってもねえ。人から聞いただとか本で読んだだとかした話を、自分なりの文章にして書いてただけだよ」
「それってパクリってこと?」
「言ったらそうなんだけど、少し違う。怪談は語り継がれてなんぼだからね。雪女の伝説だって日本人なら誰しも一回は聞いたことあるけど、皆原本を読んだわけじゃないでしょ?これまで誰かが言葉にして伝えてきたり、文字として残してきたからこそ私達はそれを知っている。そういうものなの」
「そういうものなのねえ」
律希は口を尖らせる。きっと、彼女なりに消化しようとしているのだろう。
珈琲を口へと運ぶ。飲みやすいくらいに、ぬるくなっていた。
「律希は怖い体験とか、不思議な体験したことない?それを始めに書いてみるのはどう」
私の言葉に、律希の目が揺らいだ。
Written by 坩堝
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