教育勅語をわかりやすく解説してみる
現在ではほぼ聞く機会はありませんが、教育勅語という明治天皇の勅語があります。
非常に難解で解釈が難しく、戦後には「戦前の悪しき因習」のように捉えられてしまい、時々論争の的になるものです。
現在では、明治神宮の公式ホームページなどで口語文に訳されたものを見ることができます。
僕も詳しいことは知らなかったのですが、初めてその全文に目を通してから、それまで抱いていた印象がガラッと変わりました。
「戦前に日本が戦争に踏み切る一因を作ったもの」
から
「人として大切なことがまとめられているとてもいい訓示」
に変化してしまいました。
現在、僕は常に教育勅語の小冊子を手帳に挟んで持ち歩いているほど、教育勅語を気に行っています。
明治神宮崇敬会に、写経のように書き写して送りますと、無償で貰える折本形式のものです。文語体の教育勅語全文と、口語文訳の教育勅語全文、五箇条の御誓文、明治天皇の御製と昭憲皇太后の御歌が載っています。
今回は、僕がなぜこうも教育勅語に対する見方を180度変えてしまうことになったのか、実際に教育勅語を引用しながらわかりやすく解説していきたいと思います。
なお、文語体と口語文の引用は、明治神宮から貰った小冊子より引用しました。
教育勅語に書かれていること
教育勅語には、次のようなことが書いてあります。
短い言葉ですが、何が言いたいのか原文ではさっぱり分かりません。僕自身、これを読み上げても「う~ん……何が言いたいのかわからん」と頭を抱えてしまいます。
これを口語文に訳しますと、少々長いですが次のような意味になります。
長くなりますが、教育勅語が何を伝えているのか分かると思います。
教育勅語の内容は道徳教育そのもの
教育勅語の口語文に目を通した時、僕は最初こう思いました。
「まるで道徳の授業みたいだ」
そう、どこにも悪いことは書いてありません。きわめて道徳的で、人として生きていく上で大切なことが書かれています。
内容を箇条書きにしますと、こうです。
生み育ててくれたお父さんとお母さんは大切にしましょう。
兄弟姉妹は仲良くしましょう。
夫婦はお互いに協力して助け合いましょう。
友達とは信頼関係をつくりましょう。
自分が間違いを犯したら自ら反省して謙虚にやりなおしましょう。
思いやりの心を持って人に優しくしましょう。
自分のために努力して勉強しましょう。
自分の能力を活かせる仕事で世のため人のために働きましょう。
憲法や法律を守って秩序ある行動をしましょう。
祖国を守る為にそれぞれの立場で力を尽くしましょう。
人の道として守るこれらのことは大切にしていきましょう。
私自身も自分で実践して皆さんのお手本になりましょう。
なぜ教育勅語が戦前の悪しき因習のように言われたのか?
おそらく教育勅語の中にあったこの一文が発端だと思います。
戦後にこれを解釈して「だから日本は戦争に踏み切って悲惨な負け方をしたんだ!」「こう教えられていたから、軍隊に入って戦争に行くことが誉とされた」とまるでさも教育勅語に原因があるかのように、主張した人がいたのが、教育勅語の印象を悪くしたんだと思います。
実際、学生の頃に大学の先生の中にもこれと同じようなことを講義で主張していた先生がいました。(そもそも講義の最中に何してんだか
教育勅語は悪いものではない
しかし、僕が実際に教育勅語を自分で読んで思ったのは「教育勅語のどこにも戦争に踏み切れとか、軍隊に入って戦争に行くことが誉なんて書いてない」ということです。
先に述べましたが、教育勅語に書いてあることは、人として生きる上で大切なことばかりです。
両親を大切にする、人と仲良くして信頼し助け合う、悪いことをしたら自分で反省してやり直す、世のため人のために働く、そのために勉強する、社会のルールを守る……。
どれもこれも当たり前のことばかりです。もちろん「両親から虐待されたから大切になんかしたくない」「人に裏切られてばかりだったから仲良くしたり信頼するなんかできるか」という人もいると思いますが、それはそれでここでは言及するべきではない別問題です。
あくまでもここで述べられていることは、普遍的な道徳ですから。
そして教育勅語の口語文に『もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。』とありますが、これは何も「軍隊に入って戦争に行け。国のために死んで来い」という意味では無いことは、読めばわかるはずです。
わざわざ「それぞれの立場で」「勇気を出してがんばります」とあるように、何も軍隊に入って戦争に行くことだけが全てではありません。
それにどこにも「国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態=戦争」だとは書いてありません。
「国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態」の一番分かりやすい例えは、現在では自然災害ではないでしょうか?
特に東日本大震災のような巨大災害を例にしてみましょう。
自衛隊や警察や消防が被災地で人命救助を行っている時に、素人が志願して自衛官や警察官となって被災地に行き、人命救助をする。
これが良いことになるかというと、否ですね。一人前になって人命救助ができるようになるまで、どれだけ時間が掛かるかわかりません。
それならボランティアとして被災地に行くかというと、これも否です。素人が素人考えでボランティアに行ったところで、できることは無いどころか、救助や復興の妨げになることもあります。
なら、どうすればいいのか?
教育勅語の言葉『愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。』を手掛かりに考えれば、答えは出てきます。
自衛官や警察官や消防官なら、命令で被災地に行って人命救助を行う。
医者や看護師といった医療従事者なら、要請に応じて被災地で医療活動を行う。
電力会社やガス会社といったインフラ関連の従事者なら、要請に応じて復旧作業を行う。
経験のあるボランティアなら、被災地が落ち着いた頃に要請があれば被災地で復興の手伝いをする。
被災地以外で特にできることがないと思っているなら、復興支援募金に募金をしたり、被災地が復興してから旅行をしたりしてお金を使う。
このように「それぞれの立場で」考えてみますと、必ずしも自分の身を危険に晒すようなことをする必要はなく、自分の置かれている中で自分にできることをやることが大切だと分かってくるかと思います。
それだけで十分なほど「国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態」に「愛する祖国や同胞を守るために、覚悟を決め、力を尽くす』ことになるはずです。
この例で、教育勅語の内容が悪いものではないということが分かっていただけましたら、僕としても嬉しいです。
教育勅語は道徳の授業
教育勅語に書いてあることが、人として生きていく上で守るべきことだということが、ご理解いただけましたでしょうか?
海外でも十分通用する普遍的な真理か、と言われると疑問が残りますが、少なくとも同じ日本人同士でなら、今でも十分通用する普遍的な真理が書かれていることは間違いないはずです。
書かれているどの内容にも、異を唱える人はそう多くはないでしょう。
かなり嚙み砕きますと「みんな仲良くしましょう」「人には優しく親切にしましょう」「世の中を良くするために働きましょう」「ルールや法律を守って秩序を守りましょう」ということが書いてあるのですから。
これらに異を唱える人となると、それはもう社会不適合者か無法者の素質があります。
これを読んで、教育勅語に少しでも興味を持ってもらえたら嬉しいです。
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