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(2024/09/2/月)捕鯨の歴史と、イルカの頭骨を祀る祭り(縄文時代)



本日参加した講座

 本日参加した講座は、先月参加した講座に関連する講座で、主に県内で行われていた、クジラやイルカ漁に関する解説が有り、かなり面白かったです…。

令和6年度 展示会1
『海がつなぐ古代世界~対馬・西海・日向~』
関連講座
『縄文人はクジラを撮ったか?~長崎県つぐめのはな遺跡と宮崎県松添貝塚の出土資から~』

 今回の講座は、個人的にはかなり興味深い資料が多く、今後、作品を作成する時の参考になりました…。

 その中でも……

① 松添貝塚まつぞえかいづか日向灘ひゅうがなだの捕鯨の状況と、捕鯨の種類。

② 宮崎県日南市に有る鯨魂碑げいこんひの話。

③ 井戸川遺跡(静岡県伊東市)の『くじら・イルカ・猪・鹿の頭骨と、背骨の骨を使用した、縄文時代の祭祀跡?』の話。

 …が、かなり興味深かったです…。

ですので、備忘録をここに残したいと思います…。




①、松添貝塚まつぞえかいづか日向灘ひゅうがなだの捕鯨の状況と、捕鯨の種類。

 …まず、昨日は初めて、『捕鯨には種類が有る』と言う事を知りました。

 そもそも、九州内でも捕鯨文化圏(捕鯨地域)と、寄鯨よりくじら流鯨ながれくじら文化圏(非捕鯨地域)が有って、九州の西側・東側で、大分スタンスが違った様です…。

 又、くじらやイルカ漁に関する慰霊碑の文面が違ったり、そもそも慰霊碑を作らない地域も有る部分も、かなり面白く、参考になりました。


九州西部=捕鯨文化圏

 九州の西側は、捕鯨地域で、恐らく、縄文時代位から捕鯨が行われていた……と、考えられており、近年まで漁が行われていた様です。

 余談ですが…『捕鯨』と言う言葉は、正確には、鯨を仕留めた後、陸に上げて解体する事で……

 鯨を仕留めた後、沖で解体する事を『切り鯨きりくじら』と呼ばれ、区別されていた様で、江戸時代には既にそう呼ばれていたようです。

捕鯨文化圏の慰霊碑

 捕鯨地域に立てられた、捕鯨に関する慰霊碑の文面は……

『○○年に、クジラ(又はイルカ)を○○匹狩った』

 …と、言う文面の慰霊碑が多いようですが……

『鹿児島県には慰霊碑その物を作る文化そのもの無かった』

…と、言う事実が特に面白かったです。



九州東部=非捕鯨文化圏

 九州の東側は、非捕鯨地域と呼ばれる地域で、鯨を積極的に狩る訳では無く、死んだり病気で弱って打ち上げられた鯨を食べていた様です。

 この、弱ったり、死んだりして打ち上げられた鯨を食べる事を、寄鯨よりくじら流鯨ながれくじらと、呼んでいたそうです。

非捕鯨文化圏の慰霊碑

 非捕鯨地域に立てられた、捕鯨に関する慰霊碑の文面は……

『クジラが流れ着いて、かわいそうだった。』
『飢饉の時にクジラが流れ着いて、村々が助かった。』

 …と、言う文面の慰霊碑が多いようです。

非捕鯨文化圏の宮崎県宮崎市の松添貝塚で見つかった、くじらとイルカの骨

 宮崎県宮崎市では、縄文時代の遺跡から捕鯨用の石器が全く出土していないにも関わらず……

 市内の貝塚(松添貝塚)から、クジラとイルカの骨が出土しているそうですが…

 これらの骨は、寄鯨よりくじら流鯨ながれくじら等の、座礁した鯨を食べていたのではないか?
…と言う事でした。

 しかし、イルカについては、もしかしたら捕鯨していたのかも知れない…との事でした。

 イルカは、石器等の道具を使わなくても狩れる様で、その文献の記事がGoogleでヒットするとの事でしたので、そのHPを下記に紹介します…。
(『安良里 イルカ』で検索すると、イルカを担ぐ人の写真がヒットします。)




② 宮崎県日南市に有る『鯨魂碑げいこんひ』の話。

 鯨魂碑げいこんひは、非捕鯨地域の宮崎県日南市に有る供養塔の様ですが…

 考古学者の方が撮影し、スライドショーで流した写真を撮影し忘れた為、Googleで検索した所、詳しいHPがヒットしたので、ここにリンクを載せます…。

 講座で紹介された内容は、上記のHPに記載された事がそのままなので、ここに、特に解説する事は無いですが……。

『飢饉の際、流れ着いた鯨を食用とする為解体していたら、子鯨が出て来た為、その祟りを恐れて塚を作った…』

 …と言う部分が、個人的に大変面白かったです。




③ 井戸川遺跡(静岡県伊東市)の『くじら・イルカ・猪・鹿の頭骨と、背骨の骨を使用した、縄文時代の祭祀跡』の話。

 今回、こうの講義の中で個人的に最も気に入ったのは……

 下記の遺跡の『くじら・イルカ・猪・鹿の頭骨と、背骨の骨を使用した、縄文時代の祭祀跡』に関する部分が特に興味深かったです…。

井戸川遺跡(静岡県伊東市)
縄文時代早期~前期(8.000~5.000年前)


 この、『くじら・イルカ・猪・鹿の頭骨と、背骨の骨』の配置について、詳しく備忘録として残したいと思い…

 下記の画像は、講義の後、考古学者の方に講義中の画像をスクリーンに写して頂き、写真を撮影した物です…

講義の際に使われたスライドショーを、撮影した写真です。
更に拡大した物です。

『こちらの画像は、どの資料から参照した物でしょうか?』

 …と、お伺いした所、快く資料を紹介して頂きました…。

 今後、この祭祀遺跡についての部分を読み返す為、この本と、この遺跡に関する部分が描かれているページを、備忘録として残したいと思います…。

イルカと日本人 追い込み漁の歴史と民俗
中村羊一郎
吉川弘文館
定価(本体2.400円+税)
(上記のリンクは、出版社様のHPへの直リンクです)

 上記の『縄文期の遺跡から発掘されたイルカ頭骨』について、記載されている部分は、上記の本の下記の部分になります…。

『一 古代から近世のイルカ漁(28P)』から。
(上記の図が使われているのは29P)


特に興味深かった部分

 上記の本、『イルカと日本人 追い込み漁の歴史と民俗』のP28に…

『これら、クジラやイルカの骨を使った祭祀は、必ずしも特異な事例では無かった』

と紹介されていて、他の地域でも行われていた痕跡の残る遺跡が紹介されていました。

 この講義を受けた日は、時間の都合上、28~29Pしか読めなかったのですが、この2ページの中でも、下記の二つの遺跡が紹介されていました。


遺跡①
釧路貝塚(北海道釧路市)
縄文時代早期(約11500~7000年前)~晩期以降(約3200~2400年前)

 上記遺跡の解説から、一部抜粋します…

 貝層中の二ヶ所からそれぞれ五頭分のイルカの頭骨とそれに続く脛骨が放射状に並んだ状態で発見され、
 更に七頭のイルカがやはり放射状に埋葬されたものが見つかった。

 これを詳細に見ると、くちさきを中央に向けたのと、外側に向けた物とが有り、金子浩昌は、内側にむけたものはその中心が捕獲地となった海岸で、外側に向けるのはその霊魂が海に帰る事を示すのではないかと考えた。
 宇田川洋はこれらを獲物に対する『送り』の儀礼であるとしている。


遺跡②
真脇まわき遺跡(石川県鳳珠ほうす群能登町)
縄文時代前期(約7000~5500年前)~晩期末(約3200~2400年前)

 上記の遺跡の解説は、29p以降に続いている為、詳細は判りません…

更に拡大した物です。

 又、今回、講義で使われた画像の遺跡…

井戸川遺跡(静岡県伊東市)
縄文時代早期~前期(8.000~5.000年前)

 …について、書かれている部分まで読めていないので、今後、図書館で読んだ後、調査報告書で詳しく調べたいと思います…。

 …そして、そこでインプットした配置や知識を、作品としてアウトプットして行きたいと思います…。




講座に関わられた方々へのお礼

 今回知った、九州の捕鯨に関する知識は、先週の日曜日(2024/08/25/日)に、宮崎県立西都原考古学博物館で行われた講座で得ることが出来ました…。

 今回も、質の高い講座に加え、前回行われた講座同様、引用資料が詳しく書かれたレジュメも得ることが出来ました。

 又、クジラ漁に関する知識以外にも、古代祭祀に関わる遺構の知識を得ることができ、大変為になり、満足しております。

 今後も、これらの資料を読んで知識を蓄え、作品作りに生かして行きたいと思います…。

 今回、この講演会を開いて頂いた方々や、質問に答えて下さった考古学者の方に、心より感謝いたします。




記事を書くのに掛かった時間
2024/09/01/日 ?~2307

公開日
2024/09/02/月/1326

最近はただの日記になっていますが、自分自身と作りたい作品について更に突き詰めて行きたいので、この作業を暫く続けて行きたいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。 作品製作をしているので、サポートいただけたら創作活動に関する費用にしたいと思います。