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(2023/11/05/日)御陵参考地 男狭穂塚・女狭穂塚


 本日は、朝、モーニング・ページを終らせた後、何時もは入れない場所、一年に一度、特定の日の限られた時間(西都古墳祭りの二日目)に入る事ができる『御陵参考地』内に行ってきました。




今回観覧させて頂いた場所、御陵参考地内側の撮影はNGでした。

 今回の御陵参考地では、写真撮影が禁止されていたため、内部の写真はございません。

 見出しの画像は、御陵参考地入り口横で案内されていた、西都市職員の方にに確認して頂いて、撮影OKな角度から撮影した物です…。

御陵参考地への入り口付近です。
出て直ぐに道路なので、危なくない様にカラーコーンが置かれています。

 内部の様子や地形の画像を残す事が出来なかったので、こちらの御陵参考地の詳しい資料が有りますので、備忘録も兼ねて、下記に紹介したいと思います。

奈良文化財研究所 全国遺跡報告総覧
男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地測量報告書

3224_1_男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地測量報告書.pdf
こちらの調査報告書の最後の方に、正確な測量図が載っています。

ダウンロード(3.1MB)
モバイル版(1.9MB)

『奈良文化財研究所 全国遺跡報告総覧』より




御陵参考地『男狭穂塚』『女狭穂塚』

 御陵参考地内はクランク状(L字型)の通路が作られていて、通路内のみ移動可能でした。

 通路の突き当りには、日本一大きい『ホタテ型古墳』の『男狭穂塚』が有り、途中で柵が有って入れなくなっていて、その先には狭い空き地が有り、そこには五本の榊の様な木が等間隔に植えられていました。

 その策の手前で西都市職員の方が、『男狭穂塚』と『女狭穂塚』について解説をされていたので、一部メモをして帰りましたので、備忘録も兼ねて、ここで紹介したいと思います…。




『男狭穂塚』『女狭穂塚』の大まかな情報(ガイドの方の情報を纏めた物)

 見学用の通路の突き当りは、『男狭穂塚』の後円部の目の前で途切れていて、恐らくは後円部の頂上に、木棺か石棺か不明だが、棺が埋葬されていると思われている様です。

 『思われている』と言うのは、ここは宮内庁指定の御陵参考地なので、誰も登れないからで、発掘が出来ない為、上がどうなっているのかは判らないから。

 古墳の大きさについては…
『男狭穂塚』は、日本で一番大きいホタテ貝型古墳。
『女狭穂塚』は、九州で一番大きい前方後円墳。

 埋葬されている人物については、伝承上では、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなのさくやひめ)が葬られていると言われているが、あくまでも伝承上で、学術的な調査も行えないので、正確な事は解らない…。

 実際に埋葬された人物の候補としては…

『男狭穂塚』には諸県君牛諸
(もろかたきみうしもろ・諸県に住む偉い人、牛諸と言う意味だそうです)
 日本書紀では、この人の名前がこの時期にこの地域で出てくる様で、その人の墓では無いか?と言われている様です。

『女狭穂塚』には髪長媛
(かみながひめ・牛諸の娘、美人だったと言われている仁徳天皇の奥様(皇后))
 当時は嫁いでいたとしても、亡くなったら元の土地に返されて、埋葬されたと考えられている様です。
 髪長姫が美人だったという伝説から、木花開耶姫の墓ではないかと言う伝説が生まれたようです。

 

 


『男狭穂塚』の後円部前に以前有った神社(えのつか神社?)

 御陵参考地内の見学用通路の突き当りに有る、榊の様な木が五本植えられた意味深な空間(又は直ぐ近くに有る窪み?)には、以前、えのつか神社(?)が立っていた場所だそうです。

 御陵墓の指定になるまでは神社が有り、寺原と言う地域の若衆中(わけしこ)が守っていた様で、その事がこの見学通路の両端の石灯籠裏の碑文に刻まれていました。

 つまり、現在見学用通路として使われている、クランク状に90°曲がった道は、以前は神社の参道だった様です。

 明治になって、御陵参考地指定がされた時に神社を近くの場所(現在は原木シイタケ農園が有る所)に一旦移した後、それを更に三宅神社に移動させた様で、現在はそこで祀られている様です。

 この三宅神社は云われは解らない様ですが、一説では都萬(つま)神社(近くに有る古い神社)より古いのではないか?と言われている様です。

 

 


三宅神社について

 ガイドの方の解説によると、景行天皇が日向の国(現宮崎県西都市)に来た時に朝日を眺めた時に、日が昇る様をみて、『この国は日が上る方向を向いているんだな~』と言った事で、この土地を『日向(ひむか・ひゅうが)』と言うようになったそうです。

 そのエピソードが有った場所が三宅神社、若しくは、丹裳の小野 (にものおの )と呼ばれる場所では無いか?と言われている様です。

みやざきの神話・伝説・伝承
(宮崎県観光推進課記紀編さん記念事業推進室)
丹裳の小野 (にものおの )

『みやざきの神話・伝説・伝承』より

 丹裳の小野 (にものおの )は現在、私有地なので入れない様ですが、三宅神社は普通の神社なので入れます…。

 また、三宅神社には変わったエピソードが有る様で、特定の日(何時かは聞きそびれました)拝殿から鳥居の有る方向を見ると、鳥居の間から太陽が昇ってくる日が有る…と言う話でした。

 なので、神社の云われは解っていない様ですが、由緒正しいんじゃないか?と言われている様だ…との事でした。

 



実際に三宅神社に行ってみました。

 その三宅神社は、御陵参考地から近い場所に有ったので、実際に行ってみる事にしました。

三宅神社の正面写真。
管理されている方がいるかもしれないので、内部の撮影はしませんでした。

 神社自体はかなり古い様ですが、しっかりと管理されている様で、かなり綺麗です。

 又、神社の建物自体に、多くの彫刻が施されていたので、デザインの参考にもなりました。

 下の写真が、ガイドの方が行っていた、拝殿(賽銭箱の前)から鳥居の方を向いた写真です。

特定の日に鳥居の間から朝日が昇る、と言われる場所から撮影した写真

この場所で、特定の日に、鳥居の間から朝日が昇るのが見れるようです…。
この情報については初耳で何の知識も持っていないので、
今度調べてみたいと思います。




秋桜が満開になっていました。

 西都原古墳群には、春は菜の花、夏は向日葵、秋は秋桜が植えられています。

 今日は、秋桜が満開になっていて、かなり良い匂いがしていました。

かなり密集して秋桜が植えられています…。
秋桜が一面に植えられています。
パノラマも撮影してみました。
かなり人が多かったです。

 以前はここに、菜の花が植えられていた時の写真と記事が有るので、リンクを貼っておきたいと思います。

 この場所に菜の花が植えられていた時の様子



 本日はここで記事を終りたいと思います。

記事を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


 



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