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(2023/04/29/土)22号墳(生目古墳群)
本日紹介します写真は、先々週(2023/04/18/火)と先週(2023/04/23/日)に宮崎県宮崎市生目に有る国指定史跡・生目古墳群に行った際に撮影した写真です。
撮影した写真を備忘録としてここに残して行きたいと思います。
本日の写真
21号墳
こちらは生目古墳群で3番目の大きさの前方後円墳『22号墳』です。
実際に近くに行くと、かなりの高さに威圧感を感じます。
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古墳の前には木の杭が設置されていました
![](https://assets.st-note.com/img/1682752152252-owy2oEWjT2.jpg?width=1200)
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22号墳前に設置された、ラミネート加工された案内看板
こちらの看板は22号墳の横に建てられた案内看板です。
ラミネート加工されたプリントがボロボロになってこのままでは画像が小さく読みにくいので、少し加工して記載したいと思います。
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生目22号墳は、長さ1.0mの前方後円墳で生目古墳群の中で3番目に大きな古墳です。
これまでの発掘調査によって、後円部が3段、前方部が2段に造られており、墳丘の斜面、平坦面の両方が石で覆われていたことが明らかになっています。また、壺形埴輪が出土しており、各平坦面に立て並べられていたと考えられます。
22号墳の大きな特徴は、前方部東側ほぼ中央の位置から張り出し部が見つかったことです。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752914829-QtqRsfm4QT.jpg?width=1200)
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張り出しぶは周囲をコの字状の溝で囲まれており、その溝の中から土器が出土しました。そのことから張り出し部では土器を使ったマツリがおこなわれたと考えられます。
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生目古墳群には、100m以上の古墳が、1号墳、3号墳、22号墳の3基ありますが、3基の中で埴輪が見つかっているのは22号墳だけです。1号墳、3号墳は発掘調査をおこないましたが埴輪がみつからなかったため、もともと埴輪を並べていなかったと考えられます。
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K調査区では、後円部と前方部のつなぎ目であるくびれ部がみつかりました。一部のちの時代に崩れ落ちてしまっていましたが、後円部、先方部ともに古墳の表面を覆う葺石が良好な状態で残っていました。
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22号墳は、頂上と斜面途中の平坦面に壺形埴輪が立て並べていたと考えられます。ほとんどの埴輪は細かな破片になっていましたが、ほぼ完全な形で出土したものもありました。
5号墳の埴輪よりも壺らしい形をしていることから、5号墳の埴輪よりも古く位置付けられます。
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後円部頂上近くから、横から見るとV字型に彫り込まれた堀が見つかりました。22号墳が造られてから1000年余りたった中世、後円部の頂上は砦として利用されていました。この堀は頂上の砦を守るために掘られたもので、V字形の形が、薬の素材をすりつぶす『薬研』ににていることから『薬研堀』といいます。
生目古墳群では、3号墳でも同様の彫が、発掘調査によって見つかっています。
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この22号墳は作られてから1000年後、砦として使われたとの事ですが、確かに急な斜面や巨大で高い後円部は、軍事施設に向いていたのかも知れません。
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後円部の左側に墳丘を示す看板が立っています…
![](https://assets.st-note.com/img/1682752160949-ABOoAMQ6RG.jpg?width=1200)
墳丘の上に立つ看板を下から撮影した写真。
下から見上げると、斜面が高く急な為、墳丘にある段差により一番上の段が見えません。
この日(2023/04/18/火)は日暮れが近づいていた為、この写真を撮影した後帰宅しました。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752161693-CWSMoWNm9p.jpg?width=1200)
墳頂に上る為に通ったルート
つづいての写真は先週(2023/04/23/日)に撮影した写真を掲載します。
日を改めて22号墳を撮影しました。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752316515-8JU0jLU2OG.jpg?width=1200)
この日(2023/04/23/日)は、生目古墳群の案内板の前にボランティアガイドの方がおられたので、22号墳に上りたいとお伝えした所、『後方部が低くなっているので、後方部から登ると良いですよ』との事を教えて頂いたので、後方部に回り込んでいる所です…。
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3階建てのビル位の高さは有りそうな後円部に比べ、後方部は背の高さより少し高いくらいの高さくらいしかありませんでした。
確かに上り易そうな場所です。
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近づくと、けものみちの様に人が通った後が有る為、この道を通って上がる事にしました。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752320515-OfrBz3VBQ7.jpg?width=1200)
後円部と前方部の中程にある斜面が少しくぼんでいました。
下に空洞が有ったのでしょうか?
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前方部の様子
前方部に上って、前方部の先端にスマホを向けて撮影した写真。
木に覆われて解り難いですが、しっかりと後方部の四角い広場が残っているのが判ります。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752383074-fk7PATCsoK.jpg?width=1200)
案内看板にあったマツリを行う場所『張り出し部』が有ると思われる、前方部側面を撮影した写真。
墳丘の反対側側面は草と木に覆われていて、何処に張り出し部が有るのか確認する事ができませんでした…。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752384811-AFgRIK3OJk.jpg?width=1200)
後円部の様子
いよいよ後円部に登ろうと思います。
後円部へは、やはり以前登った人が作ったわだちが墳長まで続いています。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752386453-ODYWTZpNx9.jpg?width=1200)
墳長に到着すると、墳丘が2段になっている事が判ります。
この作りは、3号墳の後円部墳長と似ている気がします。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752387910-bGUBFbsBso.jpg?width=1200)
22号墳の頂上から駐車場を撮影した写真。
かなりの高さが有る為、見晴らしは最高です。
ここに砦を作った人の気持ちも判る気がします。
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上の写真の端に黒い影が見えます。
判り辛いので拡大してみます…。
![](https://assets.st-note.com/img/1682758395816-AydsWD0r9V.jpg?width=1200)
拡大してみると…なんと!絵にかいた様なツバメでした!
飛んでいる所をたまたま撮影してしまったようです。
このツバメの形、何か作品で使用してみたいと思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1682758473149-VKiH05ycoJ.jpg)
墳頂には、墳丘の刻まれた杭がここにも有る様です。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752391042-DU4O8A6sYQ.jpg?width=1200)
やはり『22』と彫られていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752394159-CdHmuoFiK7.jpg?width=1200)
その他、墳頂には別の杭が幾つかありました。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752393024-hNuwWSoUak.jpg?width=1200)
杭の一つ。
赤と黒のプラスチック製の杭の上に、さらに黄色く丸いプラスチック製品が留められています。
何の杭でしょうか?
![](https://assets.st-note.com/img/1682752471461-IhlZMr0NOK.jpg?width=1200)
もう一つ、ボロボロになったプラスチック製と思われる杭。
![](https://assets.st-note.com/img/1682752472881-VgnjZhMqVU.jpg?width=1200)
22号墳の頂上から、隣の23号墳の方向を撮影した写真。
木に覆われていて、墳丘は見えません。
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最後に墳丘頂上からのパノラマ写真を掲載いたします。
晴れていて風通しも良く気持ちが良かったです。
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前方部は森になっていて空気の流れが滞っていた為、このまま後円部から下に降りました。
誰かが上ったり下りたりしたわだちが出来ていたので、案外楽に降りる事ができました。
以前は砦として使われていたと言う事ですが、確かに砦にするには最高の立地だと、墳頂に上った事で改めて実感する事ができました。
2023/04/29/?~1745
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