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いよいよ母が倒れました。それはいつか来るXデー…と思って焦っていたのは私だけでした。義母の時も同様で、心配して嫌われて、結果も心配した通りに…というやるせなさでした。


母と私が喧嘩になるのは


私が口うるさいから、というのもあったようでした。


一人暮らしの母が、倒れたり何かアクシデントに見舞われたりしても


遠い私は駆け付けられないから、民生委員さんがきた時はちゃんと出て


とか、親戚にお願いしてとか、それほど大変な内容ではない気がするのですが


「年寄り扱いして!」


「不吉なことを言う」


など煩わしく聞きたくない、という風で不機嫌になりました。


(でも掃除とか雑用とか面倒くさいことはやってほしい、笑)


親は羨ましい程どんどん無邪気な子どものようになり


私は戸惑う新米母のようになっていました。


奔放で勝手気ままになった母(たち)と、おろおろ心配する私は、


いつしか昔と立場が逆転したわけです。


母が倒れる1


で、案の定

母は倒れ緊急入院になりました。


そのへんのやりとりは、もう悲しくなるほど

「こうなっちゃうよ、危ないよ、って言っていたのに。

どうして伝わらなかったの?

どうやったら伝わったの?」


という無念さ&悔しさでいっぱいでした。


母の容体は悪く、生死を彷徨うほどでした。


早く病院に行っていれば、すぐに治るようなものだったのに。


(と後日話すと(図星なので)母はキレました、だから会話はとても気を遣うのです)

容体は良くならず、

担当医師から会わせたい人がいたらすぐに連れてきて


と言われました。


考える余地なく父をホームから総合病院に連れて行きました。


父にとっては寝耳に水でした。


つづく

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