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悲観主義者でもいいから、私は根暗な世界を愛していこうと思う。

なぜ突然こんな話をしようと思ったのは分からないが、清々しいほどの曇天の空を眺めていると、ぽつりぽつりと言葉が浮かんできたので気持ちのままに文を書こうと思う。

私が好きな本は、いわゆる「暗い」本だ。

私の父も母も、本は好きだが、ほとんど話は合わない。というか、愛娘が暗い題材のものばかり読んでいるという事実がなんだか申し訳なくて話せない。
同様の理由で、もちろん友人にも、勧めにくい。

暗い話。

私にとってそれは、死刑囚の話、宗教の話、不平等な社会の話、歪んだ性の話、ドラッグの話、人身売買の話、世紀末の話、恐怖や畏怖の話、不倫の話、狂人の話。
探せばいろいろあるのだろうけど、私が今まで読んだものはこのへん。
作者でいうと、中村文則、村田沙耶香、太宰治、ポー、カフカ、ラヴクラフト、等。

どうしようもない暗い小説が、私は好きだ。

きっとこれらは一生私の人生には関わらないだろう(と信じたい)。
けど、関わらないのに、関わりたくないのに、面白いもの見たさで気づいたら手にとってしまうのだ。

暗い本は、よく人が死ぬ。

死人が出ないのほうが珍しいというくらい、人がバタバタと死ぬ。
殺害方法も様々で、人の数だけ価値観が違うように、人の数だけ死に方も違うのだなぁと思わされる。とにかく人が、死ぬのだ。

そして報われない。

どうしてそうなるんだ?と詰問したくなるくらい、世界が破滅していく。
私には想像できないようなシナプスを働かせて、作者は物語に悲劇を創り出す。

書けば書くほどハッピーエンドとは程遠い、「暗い本」。
ディストピアであり、闇であり、暗部。根本から暗いもの。根暗な本。

たぶんそういう本を読んでいる私も根は大概暗い。悲観的な要素を多分に含んだ人格をしていると思う。

今は自分も肯定できるし、人生もまあまあ充実しているし、人と比べることも無くなった。

でも、今の自分をたらしめる根源は、自分が過去に感じた悲しみや痛み、苦しみであることは変わらない。
「炭鉱のカナリア」という言葉は自分のために作られた言葉なのでは?と思うほど、未だに最悪の場合を考えてしまう思考の癖は治らない。

周りからは、よく悩んでるなあ、とか、生きづらい人生してるなあと思われているかもしれないし、たしかに自分は悲観主義者だなぁと思う。

そんな自分にとって暗い本とは、潜水のようなものだ。

喧騒や明るさを嫌がるように、ひとりで、深く深く、海底に向かって潜り続ける行為。

深海に広がる無数の黒と静寂に包まれる行為。

潜り続けていると息苦しくなるから、肺の中の枯れた酸素を補給しに明るさに戻っていく行為。

暗い本は、静かな潜水の時間なのだ。

世の中は、アンダーグラウンドな世界を含めて、暗いものに対して警戒をする人は少なくない。そして、ハッピーエンドが王道なのだ。

でも、息継ぎを忘れないのならば、暗い本を愛しても良いものなんだと思う。好きで、良いんだと思う。

暗さは、悪ではないと思う。

暗い本を愛することは、自分の暗い部分を愛するということ。潜水したその先の世界を味わうということ。

これは私の世界だから、周りにどう思われてもいい。
私はこれからも全ての暗さを愛していこうと思う。

これからも、私の世界への潜水を、続けていこうと思う。

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