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遺された五線譜①/12 謎解きIQ150

朝の言弾(ことだま)

 鉄骨階段を歩く時のカン、カンという独特な音が好き。上る時よりも下りる時の方が響くのは気のせいかな。
 部屋を出て愛車に跨り、事務所を目指す。
 ゴールデンウィークも終わって穏やかに晴れた朝は、風を切って走るのが心地いい。見馴れた景色も新鮮に感じる。
 十五分ほどで大通りから一本入った道を右に曲がり、しばらく行った十字路を左へ進むと右手の角に煙草屋が見えてきた。珍しく人影はない。
 しめた、と通り過ぎようとしたら無警戒の左側から声を掛けられた。
「おはよう、お兄さん。今朝は自転車日和だねぇ」
 煙草屋のおばちゃんがほうきとちり取りを持って満面の笑みを浮かべている。

 僕は愛車――俗にいうママチャリを停めた。
「おはようございます。今日はお掃除でしたか」
「ほら、晴れて気持ちもいいからね、たまには掃除しようかと思って店の前を掃いていたらこっち側も気になっちゃって。煙草屋だからさ、タバコの吸い殻が投げ捨ててあると気になって仕方ないのよ。見てよ、こんなに――」
 おばちゃんのマシンガントークが始まってしまった。
 こちらが相槌を打とうが打つまいがお構いなしに、自分の言いたいことを次から次へと繰り出してくる。
 相手をしていると大変なので、会釈だけで通り過ぎたことがある。
 すると翌日にはコンビニや定食屋さんや先輩にまで、「お年寄りには優しくしてあげないと」と言われる始末。あのおばちゃん、一体何を言いふらしたのだろう。
 それ以来、出来るだけ見つからないように通り過ぎることを目標に、万が一見つかった場合はあきらめて相手をすることにしていた。


「すいません、遅くなりましたぁ」
 二十分ほど言弾(ことだま)を浴び続け、ぐったりとして事務所へ辿り着くと珈琲の香りが出迎えてくれた。
「おはよう。遅いから先にいただいているよ」
 いつものマイセンのカップを手にしながら、ソファで先輩は新聞に目を通している。
「またつかまっちゃいました」
 机の上にバッグを置き、とりあえず座って休憩。気持ちのいい朝だったのに、既に精神的にはぐったりだ。
「煙草屋のおばちゃんかぁ。昔から全然変わらないからな、話好きなのは」
「先輩はおばちゃんにつかまらないんですか。駐車場は煙草屋の真ん前なのに」
「まあね」
 カップを置いてニヤリと笑う。
「あ、何かコツがあるんですね。教えて下さいよ」

「探偵の基本は観察力だよ」
 座ったまま、こちらへ向き直った。
「まず相手をよく観察する。駐車場に車を停めた後もすぐに降りず、車内からおばちゃんを観察するんだ。ずっと座っているわけじゃなく色々と雑用もしているから、奥へ引っ込むタイミングを見逃さずに通り過ぎる。これにつきるね」
「うーん。それは僕の場合――チャリ通勤――だと応用できそうもないですね。他にないですか?」
「とっておきは電話作戦かな」
「まさか煙草屋さんに電話をかけて、無理やりおばちゃんを奥へ追いやるとか」
 電話の呼び出し音につられて、おばちゃんが急いで奥へと入っていく姿が目に浮かぶ。
「そんないたずら電話みたいなことはしないよ。電話が掛かってきて通話しているふりをしながら車を降り、会釈して通り過ぎる。アイコンタクトを忘れずに」
「なるほどぉ。今度おばちゃんに話しておきますね」
「おいおい、鈴木くん! それはずるいよぉ」
 相変わらず冗談も真に受けてしまうんだから。その素直さが先輩の並外れた洞察力を生み出しているみたいだけれど、こうして困った顔を見せてくれるのも面白い。
 うん、今日もうちの事務所は平穏だ。

 落ち着いたので珈琲を飲もうと立ち上がると、入り口のドアを三回ノックする音が響いた。


マガジン表紙2

遺された五線譜② 訪問者は!?

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