今、ここに在ることの幸福
先月のある休日のこと。
朝、目覚めたときには雨が強く降っていて、"お休みの日なのになぁ…"と思ったのですが、天気予報を確認すると、どうやら午後からは晴れるみたい。
本屋さんに行きたかったので、雨が止むのを待ってから出かけることにしました。
おなかが空いていると集中して本が選べないので、本屋さんの前に、カフェに立ち寄ることに。
ビルの2階まで階段を上がり、扉をあけた瞬間、"やっぱり、この空間が好きだなぁ"と真っ先に思います。
店内にはいくつか本棚があって、本が自由に読めるようになっているのですが、わたしのお気に入りは窓際のひとりがけの席。
日に灼けた文庫本が並べられていて、その日は江國香織さんの「すいかの匂い」を手にとりました。
本を読み進めていたところ、ふわっと良い香りが近づいてきて、キッシュプレートが運ばれてきました。
本を戻して、お料理と珈琲に向き合います。
目の前の窓が開けられていて、雨あがりの涼しい風が吹き込み、心地よさを感じました。
窓の外を眺めながら食事を楽しんでいると、"いま、とても幸せだなぁ"と、ふいに強く感じました。
それはもちろん、お気に入りのお店にいるから、食事がおいしいから、幸せ、という気持ちもふくまれています。
でも、それ以上に感じていたのは、"今、自分がここに存在していることが、幸せ"ということなのです。
どういったわけか、京都で暮らしていると、ふとした瞬間に、この"いま、ここに在ることの幸福"を感じることがたびたびあります。
"水が合う"というのは、こういったことを言うのかな、と思うのですが、このまちにいると、自由に呼吸ができるような感じがして…。
京都に来る前は、名古屋市に住んでいたのですが、年に数回の頻度で京都には旅行で訪れていました。
訪れるたびに、神社仏閣、本屋さん、喫茶店にカフェ、
パン屋さん…、好きな場所が次第に増えてきて、"ここで暮らしたい"という気持ちが芽生えてきたのです。
好き、という気持ちに加えて移住の決め手になったのが、カフェで味わったような"幸福感"でした。
京都のなかにいると、それは本当に何気ないときに訪れます。
糺の森の中を歩いているとき。
百万遍さんの古本市で本を選んでいるとき。
鴨川にかかる橋を渡りながら北山を望むとき。
今は無き「さんさか」で珈琲を飲んでいたとき。
実はここ2年ぐらい、仕事や家庭でもいろいろと問題が起きて身辺が慌しかったこともあり、自分の京都に対する気持ちを忘れかけていました。
だからこそ、お気に入りのカフェで感じた、ひさしぶりの感情にはっとして、同時に安堵しました。
"わたしはあいかわらず、このまちが好きなのだなぁ"と思えたから。
家に帰ったらまだするべき家事が残っているけれど、
とりあえず今日はもう少しここで読書をしよう。
そう思い、食事を終えたあと、ふたたび「すいかの匂い」を手にとったのでした。