ことばでえがかれた世界への旅
読んでいるあいだ、その文章の中に深く沈み込んでしまい、読み終わったあとも、現実の世界になかなか戻ってこれないような物語。
そんな小説に出会えると、嬉しくなるのと同時に、少し寂しくもなります。
なぜなら、読み終えたくない、この物語の世界の中に長く居続けたいと思うのに、どうしたって本というものは読み終わってしまうものだから。
川上未映子さんの「愛の夢とか」を読みながら、そんなことを感じていました。
短編集なのですが、どの物語も最初の一文を読んだ瞬間から、その世界の中に引き込まれてしまいます。
この先に進むのが怖い、と思いながらも、ことばの連なりがあまりにも美しく、身をゆだねてしまう感じ。
読み終わってふと目をあげると、いつのまにか遠くへ来てしまったかのような心細さを覚えるのです。
わたしがずっと読んでいたいと感じる小説は、どれもあらすじを説明するのが難しい、ということに気がつきました。
ストーリーの展開を楽しむというよりは、行間に滲む雰囲気や、文章から喚起されるイメージを味わうような小説、といえばいいのでしょうか。
子どもの頃はストーリーを追うことに夢中になるような小説(ファンタジーやミステリ)などに心を傾けていました。ですが、あらすじだけを説明したのでは、その魅力が伝わらないような作品に、この頃はつよく心をひかれます。
本棚の中から、そのような作品を選んでみると…
あらすじが説明しがたいこと。それに加えて、この四作品には共通するところがあります。
それは、どの作品も、此岸と彼岸が溶け合う汽水域の情景をえがいているところ。
そして、ことばの流れが美しく、文章の切れ味が抜群に鋭いところ、です。
真鶴の夜の海に沈みゆく燃え盛る船、三月に波にさらわれた人と歩く月沈原の街並み、六本木になびく荼毘にふされた江姫とともに焚かれる香木の煙、そして京都のホテルの部屋に夜が更けるにつれて満ちていく潮。
物語の中で、時間はまっすぐに進まず、ゆきつもどりつを繰り返します。いま生きているひと、いまはもう生きていないひとの存在と記憶が混じり合う世界に身を置いていると、物語を読むことの豊かさを感じます。
「真鶴」の、かげろうのように揺らめきながらときに鋭い光を放つ文章。「貝に続く場所にて」の、鉱石の煌めきを思わせる硬質な文章。「TIMELESS」の、明晰で、それでいて五感の感覚を研ぎ澄ませるような文章。
「愛の夢とか」の、瑞々しく量感豊かで、ときに華やぐ文章。
それぞれ文体はことなりますが、内側からほのかな光を洩らす美しい糸で織られた布に手を滑らせるときのような印象を、どの作品からも受けます。
そしてふと思い浮かぶのは、"幽玄"ということば。
ふだんは全く用いることの無いことばですが、読んでいて、幽玄、ということばが想起される物語に、わたしは心をうばわれてしまうようなのです。
橋掛かりを渡ってきたシテが、ワキの夢の中で問わず語りに語る、胸のうちに秘めてきた思い。
ひとには、そういったかたちでしかことばに出来ない思いがきっとあるのでしょう。
それと同じように、物語を通してのみ語り得る思いや、現実、過去の記憶というものがあるのだ、ということを年を重ねるにつれて実感するようになりました。
それがたとえ哀しいものであっても、煌めくような美しさをそなえたものである、ということも。
ことばが持つ美しさ、豊かさをただ味わうために、一文一文を丁寧に読み進めていきます。
そうすることで、ひとときのあいだ、ことばで描かれた世界の中で旅をする。
それはなんというよろこびに満ちた、かけがえのない経験なのだろうと思うのです。
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