見出し画像

言葉が確かに届く瞬間

自分の経験がどう役立つかなんて、
正直予測できない。

特別支援学校の中学部から通常校への進学は、
今から20年前には珍しい選択だった。

「10年ぐらいしたら当たり前になるかな?」
当時のわたしは軽く考えてた。


「体は食べたものでできている」
としたら、
「わたしの仕事は経験でできている」
かもしれない。

イベントについて

ありがたいことに、イベントの企画で、
わたしが受けてきた教育について振り返る機会をいただいた。

教育を仕事にしているものの、
教育について振り返るチャンスは滅多にない。

イベントを主催されているりょうさんが書かれた記事
と、
わたしをりょうさんにご紹介くださったゆうりちゃんが書いてくださった記事
も是非!


教育は受けるもの?

見えない普通の中学生だったわたしがたまたまかかった魔法があるとすれば、
それは間違いなく「教育」という魔法。

みんなが見落としてる・あるいは見ないふりをしてきた
とっても小さな路地に足を1歩踏み入れたところから
始まったような時間。


高校から大学までの7年間は、
一つの冒険だった。

それは、わたしに関わってくれていた先生にとっても家族にとっても
同じだったはず。

冒険に出る

試練に出会う

宝を手にして帰還する


これはヒーローズジャーニーという
典型的な冒険のパターン。

中学生の頃のわたしがこんなパターンを知っているはずないし、
誰かから冒険に出ようと唆されたわけでもない。

でも「こっちだ」っていう確信はあった。

学校見学に行った時対応してくださった先生が持ってた
キラキラした感じと
真っ直ぐさと
一人一人と丁寧に向き合ってる人ならではの泥臭さと。
そこに惹かれた。

「このまま後頭部に上がれば、関関同立に行けるよ。」
って言われた。

きっぱり「興味ないです」
って答えた。

自分が本当に入りたければ、勉強すれば良いだけのこと。
それに行けるとしても社会福祉学部とか。

もちろん、福祉の勉強がしたければすごく魅力的な話。
それにしてもわたしに福祉系の学部を提案するとか、
「先生かなり見誤ってますよ〜。」
というのは心の声。


それよりも高校3年間でどんな経験をするかの方が重要だった。

それから、結局関学を卒業することになったのもきっと何かのご縁。
ちなみにわたしが在籍してた総合政策学部は、当時学内Nお1の学部だった。
学力はともかく、
どう考えてもわたしみたいな自我が強いキャラクターは「総合政策」だ!

誰かの思い通りに生きるとか、本当にくだらない。
こう思えるのは、あれだけ強く反対されたおかげ!


自分を信じて生きることの尊さを教えてもらった7年間は、
今のわたしにとっても宝物。

自分で選ぶこと、責任を持つことには、
そんなパワーがある。

で、どうする?

これはいつもわたしが試練にぶつかった時、
自分自身に投げかける問い。

相談したり、誰かのアドバイスを仰いだ利したところで、
どうせその通りにする人なんてほんのわずか。

だったら、自分に素直に生きれば良いじゃない。

最後に

11月21日にお話させていただいた内容と
お伝えしたかったエッセンスをぎゅぎゅっと言葉にしました。

「特別支援教育とインクルーシブどっちがいいと思いますか?」

教育業界に身を置くようになり、
もっとも受ける質問の一つ。

わたしにとっては、
「ピンクとブルーどっちが良いですか?」
みたいな質問。

どれだけ本人にブルーが似合うとしても、
本人が着たい色がピンクなら
ピンクを着た方が本人の納得度は大きくなるだろうし、
どんなにブルーが似合わないとしても
ブルーを身につけているうちに似合うようになったりする。

そして、メインの洋服の色によってマッチする靴やアクセサリーの色も変わる。

要するに、学校が特別支援にしても、インクルーシブにしても
学校では学べないことを学外で身につける必要があるということ。
それ以上に、自分の選択に責任を持つことが人生を変える。

学校が・・・。
先生が・・・。
教育委員会が・・・。
お母さんが・・・。
お金が・・・。
時間が・・・。

で、結局どうする?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
改めまして、イベントに参加してくださった皆様、
Noteを読んでくださった皆様、
本当にありがとうございます!

ご縁をつなげてくださったゆうりちゃん・りょうさんに感謝します!

いただいたサポートは、教材の購入や点訳費用、活動費に使います、それらを通して得た情報や経験はNoteを通して皆様にお伝えしていきますのでお楽しみに!!