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無礼講 [SS]

 今夜は無礼講だと社長は言った。さんざん悩んだ末に、急にやることを決めた酒宴だった。親会社で起きたパワハラ事件がマスコミに騒がれ、子会社や孫会社にもハラスメントへの注意勧告が通達されている。だが何をすればいいか分からない。親の代から続く小さな町工場である。二代目の社長はきっと、酒の席で社員たちに日ごろのガス抜きをさせようと考えたのだろう。

 気心の知れた幼馴染が経営している駅前通りの居酒屋でひらいたささやかな酒宴は思惑通りに盛り上がり、ほとんどの社員が二次会へと流れていく。和気あいあいとした雰囲気には、ハラスメントのリスクは微塵も感じない。社長はホッと胸を撫で下ろした。
 家にはしばらく寝込んでいる妻と、受験勉強に勤しむ高校生の娘がいる。娘は少しでも親の負担にならないようにと、志望大学を国公立一本に絞っていた。社長とはいっても、家族三人の倹しい暮らしがそこにあった。
 酒宴で残った料理をこっそり包んでもらい、それを手土産に家路についた社長。その後ろ姿は安堵から気が緩んだためか、それとも老いのせいなのか、いつもの凛と伸びた背筋と違って少し猫背に見える。そんなどこか侘し気な社長の背中を、居酒屋の向かいの飲み屋の窓から見つめている二人の男がいた。

「あの社長、見るからに昭和生まれ丸出しだね。今どき無礼講の飲み会なんて、よくやるよ」
「頭が古いんですよ。あんなので胡麻化されちゃう奴らも同類ですけどね」
 男の一人は数日前に工場を解雇された元社員。解雇された理由は、生来の怠け者ゆえに無断欠勤を繰り返したせいなのだが、こともあろうか社長を逆恨みしていた。
 もう一人は、雑誌社に小ネタを売ってはギャンブルに入れあげているフリーライターで、裏では恐喝まがいのことにも手を染めている。
「アルコールハラスメントなんて言葉も、あの社長は知らないんだろうね」
 そう言うと、フリーライターはあれこれメモしていた手帳を鞄にしまった。もう元社員の男から聞くべきことはない。先ほどまで宴会をしていた隣の座敷で、盗撮、盗聴といった非合法な情報収集も行った。真偽などとは関係なく、点の情報を組み合わせて記事を捏造すれば、嘘も本当になる。
 アルコールハラスメントとは、関係性を利用して無理にアルコールを飲ませたり、飲み会に出席させたりするパワハラの一種だ。元社員の証言があれば、今夜行われた無礼講の酒宴を最悪のハラスメントだと書くことはフリーライターにとって造作もなかった。
 すでに親会社の方はSNSで派手に炎上している。正義を盾に罵声を浴びせる無関係な連中には、嘘も本当も見分けなどつかない。
「孫会社にまではびこるハラスメント体質。こんな記事が出たら、間違いなくあの工場は潰れるぜ」
「いいんですよ。天罰ですよ、天罰」
 元社員はさも嬉しそうにビールをあおる。
 何が天罰だよと、フリーライターも内心呆れていた。社長は温情からこの男を懲戒解雇にはせず、自己都合退職の扱いとしたのだが、今月いっぱいは在職扱いというのを良いことに、ハラスメントが理由で退職するという嘘をでっちあげたのだった。
「それ飲んだら、そろそろ帰るよ」
 フリーライターは、車で送ると約束をしていた。元社員の男は、まだ飲み足りなそうな顔をしていたが、奢ってもらっている酒なので文句は言えない。記事が売れれば、情報提供料という名目で幾ばくかの金ももらえることになっていた。
「記事はいつ頃出るんですかねぇ?」
 卑しい顔で元社員が訊ねる。取らぬ狸の皮算用でもしているのだろう。
「ネット記事なら、早ければ明日の夜にでも載ると思うがね」
 フリーライターは素っ気なく答えると元社員を急かした。もう一緒にいる意味もない。やがて二人は連れ立って外に出た。通りには神無月とは思えない冷たい風が吹きつけていた。

 ********

 翌朝、工場に出勤してきた社長に、古参の社員たちが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「社長、大変な事が」
 社員は手にしていたノートパソコンの画面を社長に向けた。ネット記事が開かれている。覗き込んだ社長は、そこに書かれた意外な記事に驚きを隠せなかった。
《突然の落雷による死亡事故が多発。大都会を襲った真夜中のミステリー》  
 そんな見出しとともに、ネット記事には落雷によって亡くなった十数人の人たちの名前が並んでいる。その中に、先日解雇した社員の名前があった。
「あの男も宴席に呼んでやればよかった…」
 社長は目頭を押さえながら、大きくため息をついた。

 同じ頃、島根県は出雲にある万九千神社の聖域で、雷神が高位の神々から事情聴取を受けていた。神在月の出雲に参集した男神や女神たちが楽しく騒いだ神の宴。その席でお神酒を痛飲し頬を赤らめた雷神が、いきなり人間界に雷を落としたのだという。
「いやぁ、昨夜は無礼講という事でしたので、つい胸糞の悪い人間どもに雷を落としてしまいました」
 神々の間で使われる無礼講という言葉は、人間界とは少しばかり意味が異なっているようだ。


※ショート・ショートをあまり書いてこなかったので、ちょっと挑戦してみようと思って書きました。でも、とっても難しいものですね。
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