迷宮の果てのミュシャ [短編小説]
年末進行の中で、急きょ決まったインタビューだった。師走を前にした慌ただしさ以上に、編集の世界はいつも時間に追われている。だから、売れっ子の有名人画家を掴まえられたのは最高にラッキーなことだと思っていた。年始早々の特集に華を添える目玉の記事になるからである。ところが、いきなりカウンターパンチをくらう。
「あなたはアルフォンス・ミュシャの何が好きなんですか?」
出会い頭に彼から質問された。インタビュー前の自己紹介を終えたばかりのタイミングでだ。初対面とは思えないぐらい強い口調だった。その柔らかな面差しとのギャップで、何か失礼な態度で接してしまったのかと怯んでしまったほどである。ミュシャの絵が好きだと言った途端、急に彼の目の色が変わったのだ。
その唐突な質問に一瞬気を呑まれる。たが、慌てて言い訳がましく知識を語るのも馬鹿らしく思えた。別に美術専門のライターだと名乗ったわけでもない。とにかく、そうでなくても短いインタビューの時間を、相手のペースで進めたくなかった。
「デザイナーとしての彼より、スラブ民族の千年にわたる大叙事詩を描いた画家として、ミュシャの作品が好きです」
「そうですか。スラブ叙事詩は新美術館に来た時にご覧になったのかな?」
「いえ、昔プラハで見ました。まだ大学生でしたが…」
そんなやり取りの後、彼は少し頷いたような素振りをして姿勢を正した。明らかに彼の周囲の空気が変わったのがわかる。質問をどうぞと私を促してからは、特に支障もなくインタビューは進んだ。カメラマンの要望にも面倒がらずに応えてくれる。約束の時間内で質問は終えたが、その後も少し時間をもらえた。彼に当初から抱いていた、気さくで誠実な印象通りだった。
だから最後の質問で、私は我慢しきれなくなる。思わず訊いてしまった。
「なぜ最初にミュシャのことを質問されたのですか?」
かなり言葉尻がきつかったかもしれない。少し悔やみながら彼の眼を見る。だが彼は、その件はまた今度と曖昧に答えて席を立った。
「ぜひ、ゆっくりミュシャの話をしましょう」
次の機会なんて、いつあるというのだろう。彼が立つと同時に、同席していた桜庭という女性のマネージャーが伝票のフォルダーを手に取った。
「いや、それはうちの経費で落としますから」
「いえ、こちらの都合で指定した場所なので」
慌てて伝票を取り返そうとしたが、マネージャーからやんわりと断られてしまった。
しっかりしている。レジに走るマネージャーの後を、赤崎はゆっくり歩いて行った。
「原稿が書けたらメールで送ります」
遠ざかっていく彼の背中に向かって、そう声をかけたら、振り向かずに片手をあげて返事する。これが、現代画家のホープと話題の赤崎竜一との出会いだった。
大学を卒業して、地元の印刷会社に勤めるようになったのが十年前。最初はお決まりの営業からだったが、やがて希望通りに小冊子やパンフレットなどの編集・作成部門に移れた。都下の街では珍しく、世間によく名の知れた美術館が発行する季節ごとの小冊子を編集するようになってからは、すでに五年が経っている。私自身、この仕事が注目されるようになってから、俄然やる気が出てきた。
締め切りのある仕事をしていると、月日が経つのが異常に早い。もともと活動的に飛び回っているのが性に合っているから、ついつい働き過ぎてしまう。毎回取材対象が変わるのも、飽きっぽい自分の性格にはあっていた。
お盆も暮れも正月も関係なしに働いているから、たまにエアポケットのように空いてしまった日があると逆に戸惑ってしまう。とにかく仕事が楽しい。気の置けない友人は何人かいるが、気がつけば、いつの間にかみんな結婚している。高校までは一番早く結婚するだろうといつも噂されていた私が、いまやアラサー独身の末期を迎えていた。
もちろん、男とつき合ったことがないわけではない。むしろ恋多き十代だったともいえる。大学ではインカレのフラメンコサークルで、カルメンと呼ばれるほど人気を集めたこともあった。今思えば、それこそ黒歴史かもしれない。いい気になっていた当時の自分を思い出すと冷や汗が出るし、情けなくて笑ってしまう。
先日、とうとう前髪に白髪を見つけてしまった。仕事には満足しているが、このまま一生独身だったらどうしようという不安も確かにある。そんなことを真剣に考え始めた矢先に、赤崎竜一が現れたのだ。
インタビュー後の言葉は社交辞令だと思っていた。だから、翌朝携帯に着信していた見慣れぬ電話番号の主を確認して目を疑った。昨夜はテープ起こしに疲れて早々に寝てしまったため気づかなかったのだろう。着信時間は零時少し前だった。
慌てて時計を確認し、電話を折り返すと、すぐに赤崎が出た。名乗ると、昨夜は遅くにごめんなさいと、例の気さくな雰囲気で話しはじめる。用件はとても簡潔だった。会って、ミュシャの事を話したいというのである。私が質問したのは、なぜミュシャのことを訊ねたのかという理由だと返すと、意味は同じことですと彼は答えた。
続けて会える候補日を直接聞いてくる。事務所を通さなくて良いという。多少訝りながらも手帳の空いた日程を伝えた。翌日の午後3時に、昨日の喫茶店で会うことが決まった。話したのは、ものの二分だ。また明日、という言葉を最後に電話が切れた。
向こうはどういうつもりかわからないが、妙にソワソワしている自分がいる。インタビューした相手から個人的に誘われたことは何度かあるが、こんなに早いアプローチは初めてだった。その上、相手は有名人である。
赤崎竜一がプレイボーイだという噂は聞いたことがない。ただ、つき合っている女性がいるという話題を耳にしたこともなかった。なぜ、こんなに胸が騒ぐのだろうと考えていて、急に意外な人物の面影が心に浮かんだ。長い間、封印してきた思い出が急にあふれ出してきた。
赤崎竜一は、あの人に似ている。
私は慌てて机のパソコンに飛びつき、検索画面を開いた。プロフィールを詳しく知りたいという衝動が抑えられない。午前中は自宅で原稿を書く予定だった。だから時間はある。通り過ぎた季節が、まとめて襲ってきた感覚だった。どうしようもないくらい指先が震える。大学時代の思い出が止めようもなくあふれてきた。直感が当たらないことを願っているのか、本当は当たってほしいと思っているのか、すでに自分でもわからなかった。
◇◇◇ ◇ ◇◇◇
私にとっての大学時代は、大きく三つの時期に分かれている。簡単に言ってしまえば、明るい一年間とその後の輝かしい半年間、そして残りの全ては黄昏と闇だ。
通学時間が長くて通いきれない。実家が東京都下の片隅にあるのを理由に、断固アパート暮らしを主張した。あの頃の私は自由に飢えていた。都内の有名私立大学に通うようになった最初の一年は、いわゆる大学デビューの典型だったといえる。躾の厳しかった実家を離れ、急に何もかもが許される気がした。
今は親友となっている同級生たちがセンスの良い女子大生だったことも幸いしている。私は入学後から、あっという間にあか抜けていった。カルメンと呼ばれたのも、この時期だ。
最初につき合ったのはお坊ちゃんだった。家が金持ちで、何かと記念日だといってはプレゼントをくれる。顔立ちと品の良さは、そんな苦労しらずの賜物だった。最初こそ一緒にいる優越感が勝ったが、そのうち中身が空っぽなのに嫌気がさして別れた。次はラグビー部のキャプテン。熱烈に言い寄られてつき合うことにしたが、どうしても体育会系独特の雰囲気が鼻について、ひと月足らずでさよならした。
他にも一過性のボーイフレンドはたくさんいたが、今はもうあまり覚えていない。すべて大学一年の短い間だった。深い付き合いになる前に別れて正解だったと今は思う。それでも陰ではビッチなどと悪口をいう者もたくさんいて、それからの私は同じ大学生の異性と遊ぶのを自重するようになった。もしかしたらあの頃は、軽い人間不信だったかもしれない。
本当の意味で男性とつき合ったのは、バイト先だった大手出版社で知り合った社会人だ。この人が一番長くて、深い関係だった。今の仕事につながる原稿の書き方や編集のやり方について、一から教えてくれた人である。十歳以上年上だが、独身だった。文学や絵画はもちろん映画や演劇にも詳しくて、大学の下手な非常勤講師より豊かな知識を持っていた。
ミュシャの事を教えてくれたのも彼だ。ちょうど彼の出した企画で、ある美術雑誌にミュシャの特集ページが組まれていた。その時、世間でよく知られているアール・ヌーヴォーの代表的なデザイナーとしてだけではないミュシャのことを知ることができた。未知の世界を知る喜びは、そのまま彼に対する好意へと変化していく。春から夏へと季節が変わる間に、私は彼に夢中になった。
大学二年の夏期休暇になって、私は実家へは帰省せず彼と一緒にプラハへ旅行した。もちろん家族には友人たちと出かけると嘘をついてだ。一番の目的はプラハの国立美術館である。そこにあるヴェルトゥルジュニー宮殿で、ミュシャの『スラブ叙事詩』を見るためだった。
この国立美術館は、ヨーロッパではパリのルーブル美術館に次ぐ歴史を持つ美術館だ。宮殿とはいっても、古いオフィスのような外観だった。一緒に中へ進み、最初の絵を目の当たりにした瞬間、つないでいた彼の手を強く握りしめたのをはっきりと覚えている。
高さが6メートル以上、横幅も8メートルを超える絵画は、まさに圧巻だった。その一枚ずつについて、彼が絵に描かれている物語を教えてくれる。千年以上に及ぶチェコとスラブ民族の歴史。20作もの連作を見ながら、私は大学で講義を受ける学生のように、彼の言葉を残さずメモしていった。
「絵の中には見えていないよじれた糸があるんだ。まるで迷宮みたいにね」
絵を見ながら、よく彼はそう言っていた。
「それを手繰り寄せた時に、その絵が伝えたい本当の物語が見えてくるんだよ」
あの頃の私には、その言葉の本当の意味は理解できなかった。今だって理解しているとは言い難い。せめてあの時のノートが手元に残っていたら、もう少しは前に進めただろうと悔やみもした。だが、本当にそうだろうか。
私は彼のことを忘れるために、全てを焼き捨てていたかもしれない。実際、わずかに残った彼との記憶さえ、さっきまできつく封印していたのだ。
あの夏が、おそらく私の青春の全てだと言ってもいいだろう。
中世の建物がそのまま残るプラハの街を、私たちは日が暮れるまで歩き回った。赤い屋根で埋め尽くされた街並みが、ありありとよみがえってくる。あの時より前にも後にも、あんなに人を愛おしいと思った事はない。彼に抱かれているだけで、他には何もいらないと思えた。私は、ずっと彼と一緒に旅を続けたいと願い、そんな未来を夢見ていたのだと思う。
だが、あれが二人で過ごした最初で最後の季節だった。日本に戻って約一か月後、大学の秋学期が始まる直前に、彼は何の前ぶれもなく突然いなくなったのだ。
無断欠勤が二日にわたり、心配になった彼の同僚たちがアパートを訪ねたが、その時にはすでに失踪していたと思われる。所持品は全て段ボールに荷づくりされ、あとは運び出せばいいだけになっていたらしい。
彼が愛用していた机の上には、家族と会社への書き置きと一緒に、封をした辞表が置いてあったそうだ。会社中が蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。自殺を心配した同僚たちは、あちこち捜索の手を尽くしたが、結局彼の行方はわからなかった。
あの時、自分が何をしていたのか、今でも全く思い出せない。彼が失踪したと聞き、泣きながら何度も彼に電話をしたのは覚えている。電波が届かないか電源が切れているという無味乾燥なメッセージが頭の中で何度も繰り返すうちに、かなり長い日数の記憶を飛び越えて時間が過ぎていた。
虫食いだらけの記憶の中で、親友たちが何度も部屋に様子を見に来てくれ、最後には実家から母も泊りがけで訪ねて来た。私がしっかり記憶しているのは、彼の失踪からひと月が経過した辺りからだろう。母は取り乱した私を問い詰める事もなく、ただ傍にいてくれた。その頃には、もう涙はすっかり涸れ果て、一滴も残っていなかった。
それからまたしばらくして、彼の上司だと名乗る人に呼び出された。電話の口ぶりでは、私と彼の関係にうすうす気づいていたようだ。会社に着くとそのまま会議室へ通され、今度は彼の父親だと名乗る人に引き合わされた。確かに、どことなく顔や体格が似ている。彼が残していった荷物を調べていたら、本の間から私と二人で撮った写真が出て来たらしい。だが、見せられた写真はプラハでのものではなかった。
その人は、私と彼の関係は口外しないと断ってから、幾つか質問に答えてほしいと言った。どんな関係だったのか、最後に会ったのはいつか、何か約束をしなかったかと質問が続いていく。そして最後に、単刀直入にという前置きをはさんで、彼の居場所を知らないかと訊かれた。嘘はつかなかった。私の答えから、何かヒントを見つけてくれたらと思ったからだ。だが、道は袋小路から抜けられないままだった。
彼が失踪してから、私は日陰の道を選ぶようになったと思う。その理由は、彼への未練を残してしまったからだと今ならわかる。大学二年の冬から卒業までが、まさにそうだった。考えてみればあれ以来、私は今でも何かに縛られているような感じがしている。
就職活動も、同じ大学の学生が受けないような会社を選んだ。本当は彼がいた大手出版社に入るのが夢で、だからアルバイトもしていたのだが、エントリーしても人事部が私の入社を許すとは思えなかった。
卒業を機に、私は別の自分になろうと努力した。小綺麗なОLにではなく、とにかく仕事が出来る女になりたかった。
人には心機一転のチャンスが幾つかある。思い切って地元に帰った私は、今の会社へ入社した。都心ではないが、都下の街にもやりがいのある仕事は山ほどある。今のポジションには心底満足していた。心の奥に残っていた彼の事は固く封印している。今日までそれが暴走したことはない。もう全ては終わったことなのだ。
激しく渦巻いた記憶の奔流が遠ざかった時、私はやっといつもの自分を取り戻していた。考えすぎだ。パソコンで何度も検索したが、赤崎竜一と失踪した彼を結びつけるものは何もない。我ながら、こんなに取り乱したのは久しぶりだった。深く負った心の傷は、時にこんな記憶のPTSDともいえる症状を引き起こすのかもしれない。
時間を見ると、すでに正午近かった。これから出社して、とにかくインタビュー原稿を仕上げよう。遅くても夕方には上司の確認が必要だ。
私は椅子から立ち上がり、深く深呼吸してからコートを羽織った。パソコンの電源を落とそうとして、今さらながら壁紙がミュシャの絵だったことに気づく。一瞬手が止まった。無意識のうちに何かを求めていたのかもしれない。もうとっくの昔に迷宮の扉は閉じられているのに。そんな思いを振り払うように、私はもう一度息を整えて思い切りよく電源を切った。
◇◇ ◇ ◇◇ ◇
今日は朝から大忙しだった。昨日会社で仕上げた赤崎竜一のインタビュー原稿がボツになり、夜通し書き直すはめになったからだ。なんとか午前中に原稿を再確認してもらえた。気迫だけで乗り切ったとも言える。まだ若干の直しが必要かもしれないが、とりあえずは前に進めた。我ながらタフになったものだと思う。昨日のナーバスさが気恥ずかしく思えた。
やっと仕事の緊張から解放されたが、すぐに次が待っている。予測がつかない分、仕事よりも厄介だった。それでもなぜか足取りは軽い。正午過ぎに朝昼を兼ねたランチを食べて、時間ギリギリに赤崎と約束した喫茶店に駆け込んだ。
先日はなかったクリスマスツリーがホテルのロビーに飾られていた。ない方が良いのにと思いながら、その脇を通り過ぎる。喫茶店の店内を見渡しても、まだ赤崎が来ている様子はない。よかったと、つい安堵の独り言がこぼれた。
窓辺のテーブルを確保し、なぜか急に飲みたくなったホットチョコレートを注文した所で、赤崎が到着した。手荷物は鞄一つだ。先日とは違う、少しラフな服装だった。この街では、かなりお洒落な部類の店なので、客層も絞られている。インタビューの時も、赤崎を見ている人が何人もいた。現代画家のホープを知る人が来る店だという事だ。そういう人たちの目には、自分たち二人がどういう関係に見えるのか、ちょっと気になった。
赤崎は私に気づくと、さっと右手を挙げた。嫌味のない仕草だ。そのまま一直線にテーブルへと近づいてくる。途中でウェートレスに声をかけ、ダージリンを注文した。派手な動きだが華がある。改めて少し緊張している自分に気づき、私は素知らぬふりで水を飲んだ。
「待たせてしまいましたか?」
「いえ、私も今さっき着いたところです」
「よかった。遅れてしまいそうでひやひやしました」
席に着くと、赤崎は饒舌に話しだした。まず先日のインタビューの礼を述べ、今日までの様子をくまなく語りはじめた。今日会うことを約束した後、どうしても私に見せたいものがあって、ずっと探していたらしい。
一通り探し物の苦労話が済んだ後、やっと赤崎は鞄の中から、その見せたいものを取り出した。古びて角がボロボロになった角二サイズの封筒だった。よれた封筒の口から一冊のノートが引っ張り出される。私は食い入るようにノートを見た。表紙に微かな見覚えがある。次の瞬間、私の方に向けて開かれたページを見て、私は叫びそうになるのを両手で懸命に抑えた。舌がひきつっていたかもしれない。
それはプラハに行った時、失踪した彼が『スラブ叙事詩』について一枚一枚語ってくれた言葉をメモした私のノートだった。封筒は容赦ない時間の経過で痛んでいたが、ノートは不思議なほどに原型をとどめている。心の封印が壊れた。その亀裂からとりとめもなく記憶がこぼれだしていく。あまりのことに混乱していた私は、救いを求めるように赤崎を見た。にっこりとほほ笑んだ顔が、消えた彼の面影とだぶった。
「あなたが愛したのは、ぼくの兄でした」
しっかりと私の目を見つめながら、そう赤崎は噛みしめるように語った。気が付いた時には、頬を十年ぶりの涙がこぼれていた。そこからは時間が流れた気がしない。ただ、赤崎の話す言葉が、心の亀裂から流れ込んできた。
赤崎というのは、母方の姓だという。両親は子供の頃に離婚した。生まれて間もない赤崎は母方に、失踪した彼はすでに小学校5年生だったので、そのまま父のもとで育てられたのだそうだ。一度だけ会った父親らしき人の面影が記憶の中にぼんやりと浮かぶ。もしかしたら赤崎のほうが父親に似ていたのかもしれないと思った。
赤崎は親の離婚について世間にどうこう言われたくないので、プロフィールには載らないように注意してきたらしい。兄とは年が離れていたので、あまり深い交流はなかったそうだ。
ただ、兄がミュシャについて教えてくれたのが絵を志したきっかけなのだと、赤崎は言った。だから自分にとってミュシャは特別で大事な存在なのだと。そうつぶやいた赤崎の目は、見間違いではなく確かにうるんでいた。
兄が失踪したという報告があった前日、赤崎は彼に会ったのだという。母親と弟の姿を一目見に来たのだろうと赤崎は言った。結局、母親とは会わず、赤崎とだけ少し話して去ったらしい。その時に、お前なら大事にしてくれると思うと渡されたのが、このノートだったそうだ。それ以来、彼の消息は未だに分かっていない。
先日、私が自己紹介でミュシャが好きだと話した時、赤崎は一瞬苛立ってしまったのだと詫びた。感じていた通りだった。理由は、ミュシャを誤解している女性が多いからだそうだ。多くがミュシャをお洒落な画家ぐらいにしか認識していないという。
パリのベルエポック時代、女優サラ・ベルナール主演の舞台『ジスモンダ』の宣伝ポスターで有名になったミュシャは、耽美で幻想的な女性イラストを制作してアール・ヌーヴォーの巨匠となった。だが、ミュシャがそれだけだと思われるのは、赤崎にとって自分の作品を誤解される以上に腹が立つのだそうだ。その言葉をアーティストらしい不思議な感覚だと思う一方で、とても共感している自分がいることに私は気づいた。
人には、絶対に土足では踏み込んでほしくない領域がある。
「兄は本当にミュシャが好きでした」
「そうですね。いつも、とっても熱く語っていましたよ」
「それは、あなたが書いた文字からも伝わってきます」
そんな言葉に促されるように、私は赤崎が守ってくれたノートを1ページずつめくった。その度に、失くしてしまった過去が心の中に戻ってくる。
最後のページをめくった時、私をもう一度強い衝撃が襲った。そこには、プラハで撮った私たちの記念写真が貼られていたのだ。
「最初にお会いした時、なんだか懐かしい感じがしました」
赤崎はどこかで私と会ったことがあるのではないかと感じたらしい。その理由も、すべてこのノートにあった。よじれた糸が繋がって、今ひと筋の物語が見えたのだ。長い迷宮を抜け出た気がした。
それにしても、彼はなぜ私のもとからノートを持ち去ったのだろう。私に負担をかけたくなかったのか。それとも、やはりこの思い出を守るためだったのか。答えは分からない。そのうち考えても仕方ないことだと思いきれた。それよりも、この偶然を心から悦ぼう。この世界に奇跡はあるのだと思えた。失踪した彼が生きている可能性もゼロではない。
「このノートは、あなたが持っていてください」
私は赤崎にノートを差し出した。
「今度、プラハに取材に行くときに、またお借りしに伺います」
本当に、もう一度プラハに行きたいと思った。ミュシャの記事を書くことを年始からの目標にしよう。心の中でそう誓っていた。
赤崎は一瞬眩しいものを見た時のように目を細めて遠くを見ている。
「その時は、ぜひ同行させてください。兄が見た景色をぼくも見てみたい」
私は赤崎の声を聞きながら、彼の手もとへと戻っていくノートを目で追いかける。その軌跡が、二人を繋ぐ太い紐のように見えた。
失踪した彼を通して、私たち二人はミュシャに教えてもらったことがある。人は誰もが物語の中を生きているのだ。その物語を描くのは、紛れもなく自分自身である。
私はいつの間にか運ばれてきていたホットチョコレートのカップに手を伸ばした。プラハのカフェで彼と飲んだ時のように濃厚な味がする。私を長い間縛っていた何かが、急速にほどけていくのを感じた。
※はじめてミュシャの『スラブ叙事詩』を見た時、そのパワーに圧倒されました。一日中、美術館にいたことを覚えています。絵には人の人生を変えてしまう力がある。そんな風に思えた体験でした。その時の感動を少しはお伝えできたでしょうか。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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