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難しい方を選ぶこと

先日、24歳の誕生日を迎えた。

当日はアフタヌーンティーやディナーを予約しており、この日を楽しみに仕事(繁忙期に加え、スタッフの体調不良による人員不足)を乗り越えたし、実際に大変良い時間を過ごした。

彼との別れ際、近頃電車の遅延が多く、原因は人との接触事故という話を聞いた。
何故生きることをやめてしまうのだろうか、という言葉に、
生きていたくないんだろうね、と返した。
俺たちは生きていようね、と言われた時、
私はなんとなく口を濁した。


生きることについて考えた時、頭に浮かぶのは
2022年秋に宝塚を通して出会った作品「蒼穹の昴」。
(生で2度、配信を1度観劇したがあまりにも感動したため、現在原作本を読み進めている。)
二幕での、伊藤博文の台詞。

死するは安く、生きるは難し
生きることの方がよほど難しい

24年しか生きていない私でも、人生を放棄したいと思ったことがある。
残酷な現実に、目も耳もいらないと嘆いた日もある。
死ぬのも怖いけど、生きていたくない。
全てから逃れて、早く楽になりたい。
最後の勇気を振り絞り、自ら終わりへ向かう人と、それをできない私との間の壁は、おそらく脆く弱い。

中学時代、吹奏楽部の先生の教えに、
「あえて難しい方を選ぶ」
という物があった。
あえて厳しい練習や困難な道のりへ進み、乗り越えることで人は成長できるという意味だが
人生においても同じ。
生きるという当たり前に思えることも、実は難しい方を選択している。

誰もが命の長さに限りがある。
私たちは皆、生きているだけで素晴らしい。
果てしない理想を追いかけていると、そんな単純な真実を忘れてしまう。

最近、楽しい時間を過ごした後ほど、1人になった途端に闇が忍び寄る気配がする。
クリスマスの繁忙期がひと段落したものの休養が足りず、純粋に身体も心も疲れているのも良くないだろう。
こんなにもメンタルが弱り切った時、特に思い詰めている訳でもないのに、ふと簡単な方へ行ってしまいまくなる。
私は怖いもの知らずで即決断し行動することもあるが、今はなんとか難しい方に留まっている。
いつまでこちら側にいられるか、自信もない。
ただ、自分の意思に関わらず、今難しい方にいる私のことは、少し労ってあげてもいいのかもしれない。



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